| (1703年1月5日〜1月27日) |
| 元禄16年(1703) 1月5日 |
| 松平(久松)隠岐守が預かり人に面接する。 |
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| 1月12日 |
| 水野監物が預かり人に面接する。 |
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| 1月20日 |
| 室鳩巣が大石らの行為を「前代未聞忠義之気」とたたえる。 |
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| 1月22日 |
| 幕府は四十六士自署の「親類書」を提出させるよう、四大名家に命じる。 |
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| 1月26日 |
| 幕府は、22日に提出した「親類書」に各々の子供の年齢を書き加えるように命ずる。 細川家は預かり人を役者の間に移す。 |
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| 1月27日 |
| 子供の年齢を書きそえた四十六士自署の「親類書」が四大名家から幕府に提出される。 おりん(吉田忠左衛門の妻)は、せいてい宛に書状(「吉右衛門事おしづめに此元へもとり申候」)を出す。この日寺坂吉右衛門が吉田忠左衛門の親戚の姫路亀山に戻っていることがわかる。 |
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| この月 |
| 大石大三郎(内蔵助の三男)は眼科医に養子として迎えられる。 |