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(1706年1月20日〜9月16日)
宝永3年(1706)
1月20日
 吉良左兵衛(21歳)が諏訪の高島城で病死する。

1月28日
 赤穂城主永井伊賀守直敬が信州飯山に移る。

 備中国西江原領主森和泉守長直(2万石)が播州赤穂に移る。

2月4日
 書院番石谷七之助が検使となり、塩漬けの吉良左兵衛義周の死骸を見分する。
 義周の遺体は諏訪の法華寺で葬られる(吉良家断絶)。

8月12日
 桂昌院の一周忌法要に際して大赦が行われる。

 瑶泉院の願い出により出家という条件で、吉田伝内・中村忠三郎・村松政右衛門は遠島赦免となり、伊豆大島から江戸に帰される。中村忠三郎は遅れて離島する。

9月7日
 伊豆大島に流罪の遺児が江戸に帰る。

9月16日
 吉田伝内・村松政右衛門は目白関口の洞雲寺にて出家し、伝内は恵学、政右衛門は無染と号す。

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