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(1707年〜1709年)
宝永4年(1707)
10月4日
 関東・東海・南海に大地震が発生し、多くの死傷者が続出する。

11月23日
 富士山が大噴火し、火山灰が周囲の国の田畑を埋没させる。

宝永6年(1709)
1月10日

 将軍徳川綱吉が没する(64歳)。

2月16日
 東叡山寛永寺にて刃傷事件が発生する。
 加害者は、中宮使御馳走役の加賀新田領主・前田o女利昌でした。
 被害者は、中宮使御馳走役の大和柳本藩主・織田監物秀親でした。
 織田は即死(48歳)しるが、遺領は保持される。
 前田利昌は、石川主殿頭義孝に預けられる。

2月18日
 前田利昌は、石川主殿頭義孝邸で切腹する(26歳)。

3月1日
 大石内蔵助の2男大石吉千代は大赦令が出る前に豊岡にて病死する(19歳)。

5月1日
 甲府宰相・徳川綱豊が6代将軍(家宣)となる。

7月16日
 6代将軍徳川家宣は前将軍死去のための大赦令により義士の遺児の赦免を行なう。
 吉田伝内・村松政右衛門・中村忠三郎は還俗して武士に戻る。

7月18日
  5代将軍綱吉の死去による大赦で、浅野大学は広島藩預け置き赦免となる。

8月20日
 浅野大学が赦免され、江戸に帰ることを命ぜられる。

9月29日
 浅野大学が広島を発って江戸へ向かう。

 寺坂吉右衛門は、赦免された吉田伝内(吉田忠左衛門の次男)を出迎えるために、越後より江戸に赴く。

10月25日
 浅野大学が江戸に到着する。

この年
 室鳩巣は「赤穂義人録」定本を完成する。

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