print home

エピソード

156_01

開国前夜(江戸末期)
 列強の接近(141-01)で紹介したように、19世紀初頭、欧露列強の日本接近の背景は、イギリスのピューリタン革命産業革命がありました。
 19世紀中頃、欧米では産業革命がより波及しました。その結果、欧米列強は、国外市場や植民地を求めて、東洋に進出するようになりました。歴史は、繰り返すのではなく、欧米は、新しい段階に突入し、日本の歴史は、世界の歴史と無縁ではありえなくなったのです。
 19世紀半アメリカは、産業革命に成功しました。その中心地は、東部のニューヨークでした。
 1820年、アメリカの商品は、ニューヨークを出発し、大西洋を横断し、インド洋を通過し、広東に到着しました。これが広東航路の開発です。アメリカは、この段階では、日本の重要性を認識していませんでした。
 1840年、イギリスと清国との間で、アヘン戦争が起こりました。
 その背景を調べました。@イギリスでお茶を飲む習慣が浸透しました。その結果、A清国からお茶を大量に購入しました。A清国は、@イギリスから購入するものがないので、@イギリスは、大量の銀をA清国に支払いました。この貿易不均衡を改良するため、イギリスは、マカートニー(1793年)やアマースト (1816年)を清国に派遣しました。しかし、三跪九叩頭という清朝式作法を拒否したため、外交交渉は失敗しました。
 そこで、@イギリスは、毛織物をBインドに輸出し、Bインドは、イギリス国内で禁止しているインド産アヘンをA清国密輸入しました。これを三角貿易(@AB)といいます。その結果、アヘンの吸飲が中国では拡大し、社会問題となりました。
 事の重大さを知った清朝の道光帝は、林則徐を欽差大臣に任命し、広州に派遣しました。林則徐は、イギリスの会社に「アヘンの密輸入をしないように」と依頼しました。イギリスの担当者は「自由貿易」を主張して、依頼を無視しましたので、林則徐はイギリス船の所有するアヘンを1400トン没収し、償却しました。
 これを知ったイギリス議会は手を叩いて歓び、私有財産を侵犯したとして、清国に宣戦を布告しました。
 1842(天保13)年7月、アヘン戦争の情報を知った老中水野忠邦は、あわてて、天保の薪水給与令を出し、異国船打払令の緩和を命じました。
 8月、イギリス軍は、20隻の軍艦と60門の大砲と4000人の訓練された兵を出し、南京を占領しました。そして、屈服した清国との間で南京条約を締結しました。その内容は、広州・上海・福州・厦門・寧波5港の開港、香港の割譲多額の賠償金などでした。
 1844(弘化元)年3月、フランスの軍艦が、琉球に来航し、通商を要求しました。
 7月、オランダ国王ウィリアム2世は、日本に特使であるコ−プスを派遣し、将軍徳川家慶に開国を勧告する親書を提出しました。
 1845(弘化2)年3月、アメリカ船は、漂流民を浦賀に護送してきました。幕府は、薪水を給与して、帰らせました。
 5月、イギリス船は、琉球に来航し、貿易を強要しました。
 6月、世情に疎い幕府は、オランダ国王に返書を送り、「鎖国が国是である」と、開国を拒否しました。
 1846(弘化3)年4月、イギリス船が琉球に来航しました。
 同月、フランス軍艦が琉球に来航しました。
 5月、アメリカ捕鯨船の乗組員7人は、エトロフ島に漂着しました。アメリカ捕鯨船の寄港地として、日本の重要性が高まりました。
 閏5月、アメリカ東インド艦隊司令長官ビッドル(64歳)は、浦賀に来航して、通称を要求しました。しかし、幕府は、これを拒否しました。
 1847(弘化4)年、オランダ船は、長崎に入港し、風説書を提出し、幕府に対し外交について忠告しました。
 1848年、アメリカ・メキシコ戦争が終了し、アメリカは、テキサス・ニューメキシコ・カリフォルニアを獲得しました。カリフォルニアで金鉱が発見され、ゴールド=ラッシュが始まりました。これをきっかけに西部開拓時代が始まりました。
 5月、アメリカの捕鯨船が西蝦夷に漂着しました。
アヘンの恐ろしさと、アヘン戦争
 ある県の警察本部長の「覚せい剤乱用(上)」と題した1通の書類があります。そこには「平成7年以降第三次乱用期に入っている」として、「使用されている覚せい剤は13トンから18トン、末端価格にして800億円から1兆800億円…覚せい剤の値段は1グラムが2万円で取り引きされ、末端乱用者のところでは、1グラム6万円」と記録されています。
 覚せい剤を使用した場合、30分程は、強烈な快感や多幸感や高揚した気分を味わうことが出来ます。例えば、男子なら松嶋菜々子さんとデートする夢を見ることが出来ます。
 しかし、3時間後には薬の効果がきれ、不眠・拒食・抑うつ・疲労倦怠感・焦燥感に襲われます。ある人は、「シロアリが皮膚の下を這いずり回っている感じだった」と証言しています。皮膚の上のシロアリなら叩き潰せましが、皮膚の下ではのたうち回っても、解決できません。
 その辛さから逃れようと、覚せい剤を連用すると、幻覚(幻聴や幻視など)や妄想が出現し、強い恐怖感を伴う迫害的状況に追い込まれ、犯罪に手を染めるようになります。ビルの屋上は「恐い恐い」と逃げ回ったり、交通ラッシュの道路上で、車の中でハンドルにしがみついて、「猫が咽喉を噛み切りに来た」という報道は、覚せい剤の幻覚です。
 疲労倦怠感から、定職を失います。最初は、知人や親からお金をせびっていますが、いずれ、誰も相手にしなくなります。そこで、窃盗や強盗・殺人にまで進んでいきます。
 アヘンや覚せい剤など麻薬は、個人の精神を腐らし、社会を崩壊させます。
 イギリスといえば、紳士の国というイメージです。しかし、紳士の国イギリス人は、やったことは犯罪です。犯罪で得たお金で繁栄するイギリスを、私たちはどう評価すればいいのでしょうか。
 先日、田原総一郎さんが司会する「朝まで生テレビ」を録画して見ました。日中問題、日米問題を論ずる時、ゲストに中国人1人だったり、米国人1だったりして、ほとんどが日本人の学者や評論家です。そして「中国人はこう思っている」とか「アメリカ人は、これを支持している」とかナンセンスな論議が続きます。当事者でもないのに、その立場で話を進めて行きます。憶測でする議論に深まりがでません。
 しかし、先日(2005年4月30日)の番組には、4人の中国人が出演していました。議論伯仲、そんな中で、日本人の学者が、「これでは福沢諭吉の脱亜論しかない」と発言していました。相手を説得できない時に使う言葉です。日本人の前では多弁だったその学者は、たくさんの中国人の前では、沈黙し、そして出てきた言葉が上記の内容です。
 日本の歴史も、世界の歴史も、相手がいて、存在するのです。相手を抹殺する言葉を平気で言う学者の存在に、恥ずかしい思いをしました。
 同じ番組で、日本人は、「小泉さん」「村山さん」と「さん」ずけで読んでいました。他方、「胡錦涛」などと中国人を呼び捨てにしていました。ここら辺の感覚も絶対にオカシイと思いました。
 以前、こういう新聞記事がありました。「エリザベス女王がこう言った。それに対して、天皇陛下がこう答えられた」。今は常識的な記事に戻っていますが、世界の中の日本として、意識して、表現して欲しいと思います。

index