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エピソード

254_03

総力戦体制W(学徒動員、女子挺身隊、学童集団疎開)
 ここでは、1943年から1944年までを扱います。
 戦死を玉砕と美しい言葉で脚色しています。
 他方、徴兵令では17歳から軍隊に入るようになります。17歳以前でも志願出来るようにしました。今なら高校生です。
 軍隊には、一家の一番働き手が入隊します。当然一家の働き手を失った家族は、生活に困ります。そのしわ寄せは、子供や老人に及びます。当然愚痴が出ます。何のための戦争かと。そこで、そうした不満をそらしたり、言わないようにするための、様々な政策を行われます。 
 1941(昭和16)年10月18日、@40東条英機内閣が誕生しました。
 1943(昭和18)年1月1日、朝日新聞は、中野正剛の「戦時宰相論」を掲載しましたが、東条首相を批判したとして発売禁止となりました。
 1月13日、内務省・情報局は、ジャズなど米英楽曲1000種の演奏・レコードを禁止し、その一覧表を配布しました。
 1月16日、東条内閣は、間接税中心の増税案を発表し、平年度より11億4500万円の増税を課しました。
 1月21日、中等学校令改正が勅令により公布されました。その内容は、(1)中学校・高等女学校・実業学校の修業年限を1年短縮して4年制とする(2)教科書を国定化するというものでした。
 1月、谷崎潤一郎の『細雪』(『中央公論』)が軍・情報局の圧力で連載を中断しました。
 2月7日、ガダルカナル島1万1000人の撤退が完了しました。しかし、地上戦闘の戦死者・餓死者は2万5000人に達しました。
 2月14日、大日本国仏教会は、京都知恩院で聖旨奉戴護国法要を行いました。
 2月23日、陸軍省は、決戦標語「撃ちてし止まむ」のポスターを5万枚配布しました。
 2月、英米語の雑誌名を付けた雑誌が禁止されました。サンデー毎日は週刊毎日、エコノミストは経済毎日、キングは富士、オール読物は文芸読物と改題させられました。
 3月2日、兵役法改正が公布され、朝鮮で徴兵制が施行されました。
 3月18日、戦時行政職権特例法が勅令により公布されました。その内容は、鉄鋼・石炭・軽金属・船舶・航空機の5大重点産業を明示し、総理大臣による一元的行政運営を図るというものでした。
 4月8日、内務省と厚生省は、健民運動組織要綱を通牒し、筋骨薄弱者を収容しました。
 4月15日、日本基督教団は、聖旨奉戴基督教大会を開きました。
 4月18日、連合艦隊司令長官の山本五十六ソロモン群島上空で戦死しました。
 4月28日、東京大学野球連盟は、解散を決定しました。
 6月1日、東京の昭和通りが畑になったり、神奈川のゴルフ場が農園化しました。
 6月1日、東条内閣は、閣議で、戦力増強企業整備要綱を決定しました。その結果、工業部門を3種に区分し、特に繊維工業など工場・機械・労働力が軍需工業に転用可能な第1種工業部門の企業整備を推進することになりました。
 6月4日、東条内閣は、閣議で、戦時衣生活簡素化実施要綱を決定しました。
 6月4日、東条内閣は、閣議は、食糧増産応急対策要綱を決定し、休閑地に動員して雑穀を増産することになりました。
 6月10日、警視庁は、無断欠勤など国民徴用令関係違反者776人を検挙しました。
 6月16日、勅令により、工場就業時間制限令廃止の件が公布され、婦女子・年少者の鉱山坑内作業が可能となりました。
 6月20日、創価教育学会が弾圧され、牧口常三郎戸田城聖ら幹部が検挙されました。
 6月25日、東条内閣は、閣議で、学徒戦時動員体制確立要綱を決定し、本土防衛のため軍事訓練と勤労動員を徹底しました。
 8月5日、商工省は綿・スフ紡績業整備要綱を通牒し軍需工場への全面的転換を開始しました。
 8月10日、商工省は、反物の長さを制限し、長袖の和服・ダブル背広など非必需品600種の製作・生産を禁止しました。
 8月20日、東条内閣は、閣議は、「科学研究ノ緊急整備方策要綱」を決定し、「大学その他の科学研究は戦争を唯一絶対の目標とすべきこととする」と規定しました。
 8月31日、文化学院校主の西村伊作が検挙されて、文化学院が強制的に閉鎖されました。
 9月4日、上野動物園は、空襲時の混乱に備え、ライオンなどの猛獣を薬殺しました。
 9月8日、イタリアが無条件降伏しました。
 9月21日、陸軍省は、兵役法施行規則改正を公布し、1930年以前検査の第2国民兵も招集することが可能となりました。
 9月21日、東条内閣は、閣議で、国内態勢強化方策を決定し、航空機生産の最優先食糧自給態勢の確立を定めました。
 9月23日、東条内閣は、閣議で、台湾に1945年度より徴兵制実施を決定しました。
 9月23日、東条英機内閣は国内必勝勤労対策を閣議で決定しました。その内容は次の通りです。
(1)販売店員・出改札係・車掌・理髪師など17職種の男子就業を禁止する
(2)14〜25歳の女子を勤労挺身隊として動員することを可能とする
(3)「日本の家族制度の特質に鑑み相当の考慮をす」という見地から、町内会・部落会・婦人会らの協力によって家庭の遊休婦人を中心に結成するものとする
 9月24日、文部省は、学徒体育大会を一切禁止しました。
 10月1日、鉄道省は、旅客列車を大削減し、貨物列車を大増発しました。
 10月1日、警視庁は、不良徴用工210人に成増飛行場建設作業場で特別練成を実施しました。
 10月2日、在学徴集延期臨時特例が勅令により公布されました。その結果、学生・生徒の徴兵猶予が全面的に停止されました。
 10月2日、文部省に国史編修準備委員会が勅令により設置されました。
 10月12日、東条内閣は、閣議で、「教育ニ関スル戦時非常措置方策」を決定しました。その結果、(1)理工科系統および教員養成諸学校学生の他は徴兵猶予を停止(2)義務教育の8年制を無期延期(3)高等学校分科を3分の1減(4)理科を増員、文科系大学の理科系への転換(5)勤労動員を年間3分の1実施などを決めました。
 10月20日、日響第249回定期演奏会より、楽員は国民服を着用しました。
 10月21日、文部省・学校報国団体部は、徴兵延期停止により出陣する学徒壮行大会を、神宮外苑競技場で挙行しました。学徒数万人が、雨中に劇的の分列行進をしました。
 11月1日、企画院・商工省などを廃止して、軍需省などを設置しました。
 11月1日、兵役法改正を公布し、国民兵役を45歳まで延長しました。
 11月5日、大東亜会議が開催され、日本・満州・タイ・フィリピン・ビルマ・中国汪兆銘政権の各代表が参加しました。
 11月6日、大東亜会議は、大東亜共同宣言を発表しました。
 11月27日、ルーズベルトチャーチル蒋介石は、カイロ宣言に署名しました。
 11月28日、ルーズベルト・チャーチル・スターリンは、欧州第2戦線の結成などを発表しました。秘密協定で、ソ連の対日参戦を協議しました。これをテヘラン宣言といいます。
 12月1日、第1回学徒兵が入隊しました。これを学徒出陣といいます。
 12月8日、東条英機首相は、世界向けの放送で、カイロ宣言テヘラン宣言を反撃しました。
 12月10日、文部省は、学童の縁故疎開促進を発表しました。
 12月17日、東条内閣は、閣議で、競馬開催中止を決定しました。
 12月21日、東条内閣は、閣議で、都市疎開実施要綱を決定しました。
 12月24日、徴兵適齢臨時特例が勅令により公布され、適齢を1年引き下げました。
10  1944(昭和19)年1月4日、戦時官吏服務令文官懲戒戦時特例が勅令により公布されました。
 1月11日、東条内閣は、閣議で、受注調整実施要綱を決定し、主要原材料発注を軍需省に要約する方針を決めました。
 1月18日、軍需省などは、軍需会社法により、三菱重工業など150社を第1次軍需会社に指定しました。
 1月18日、東条英機内閣は、緊急国民勤労動員方策要綱を閣議で決定しました。その内容は、次の通りです。「国民勤労総力ノ最高度ノ発揚ヲ目途トシ国民勤労配置ノ適正化其ノ他国民勤労能率ノ飛躍的向上ヲ図ルト共ニ軍動員ト緊密ナル連繋ヲ保持シツツ国家ノ動員所要数ヲ充足為綜合的且計画的国民勤労動員ヲ強力ニ実施スル」
 1月26日、内務省は、改正防空法により初の疎開命令を出し、戦車などを動員して、指定区域内の建築物を強制的に取り壊しました。
 1月29日、『中央公論』・『改造』の編集者が検挙されました。これを横浜事件といいます。
11  2月16日、国民学校令等戦時特例が勅令により公布されました。その結果、勤労動員のために義務教育の年限を満12歳に引下げられました。
 2月17日、文部省は、徴兵による教員の不足に対処するため、軍人・官吏などを無試験で国民学校・中等学校の教員とすることを決定しました。
 2月22日、臨時人口調査と国民登録を実施しました。その結果、男子12〜60歳、女子12〜40歳に登録を拡大しました。
 2月23日、文部省は食料増産に関する学徒動員について各地方長官および農業専門学校長に通牒を発し、戦時下の食料の国内自給の絶対的要請に即応すべく国民学校初等科4学年以上の児童・青年学校および中等学校の学徒500万人動員を計画しました。
 2月23日、毎日新聞は、「竹槍では間に合わぬ、飛行機だ」の記事に東条英機首相が激怒し、新聞が差し押さえられました。その後執筆記者の懲罰招集をめぐり陸軍・海軍当局で衝突がおきました。
 2月25日、東条英機内閣は非常決戦措置要綱を閣議で決定しました。その内容は次の通りです。
「決戦ノ現段階ニ即応シ国民即戦士ノ覚悟ニ徹シ国ヲ挙ゲテ精進刻苦其ノ総力ヲ直接戦力増強ノ一点ニ集中シ当面ノ各緊要施策ノ急速徹底ヲ計ル」というもので、一億総玉砕を意図しました。
 2月25日、決戦非常措置要綱第7項により、高級料亭・劇場などの閉鎖を決定しました。
12  3月1日、東京歌舞伎座・東京劇場・大阪歌舞伎座・京都南座など19の劇場が休場しました。
 3月3日、米の生産は激減し、外米の輸入も途絶したため、東条内閣は、国民学校学童給食・空地利用による食糧増産・疎開促進の3要綱を閣議で決定しました。
 3月4日、宝塚歌劇団は、この日限りで休演しました。
 3月5日、警視庁は、高級料理店の精養軒・錦水など850店、待合芸妓屋4300店・芸妓8900人、バー・酒店2000店を閉鎖しました。
 3月7日、東条英機内閣は学徒動員実施要綱を閣議で決定しました。その内容は次の通りです。
(1)2千万学徒の総力を戦力増強の一点に集中ために学徒動員の通年実施
(2)理科系学徒の重点配置
 3月8日、日本軍は、インパール作戦を開始しました。
 3月18日、東条英機内閣は、女子挺身隊制度強化方策要綱を閣議で決定しました。その結果、女子挺身隊を職域・地域ごとに結成し、それへの強制加入が義務づけられました。 
 3月18日、東条英機内閣は勤労昂揚方針要綱を閣議で決定しました。その内容は次の通りです。
「戦力緊急増強ノ要請ニ即応シ且勤労動員ノ範囲ノ拡大並ニ勤労ノ国家性ノ強化ニ伴ヒ工場、事業場ノ勤労能率ノ飛躍的向上ヲ図リ清新ナル勤労生活ヲ確立スル為勤労精神ノ昂揚、勤労体制ノ整備及教育訓練ノ徹底ヲ中心トシテ勤労管理ヲ刷新スルモノトス」
 3月31日、松竹少女歌劇団が解散し、松竹芸能本部の女子は挺身隊を結成しました。
13  4月1日、国民学校学童に1食7勺の給食となりました。
 4月1日、アメリカ型楽器編成の楽団が禁止されました。スチールギター・バンジョー・ウクレレ・ジャズ用打楽器の使用が禁止されました。
 4月12日、警視庁は、決戦非常措置令に基づき興行刷新要綱を発令し、少女歌劇を不許可としました。
 4月27日、軍需省などは、愛知化学工業など422社を第2次軍需会社に指定しました。
14  5月20日、塩専売法戦時特例が勅令により公布され、自家用塩・苦汁の製造を届出により許可しました。
 5月、勝ち抜くため南瓜をつくりましょう」と女子大生の宣伝挺身隊が都内で呼びかけました。
 6月13日、城戸幡太郎留岡清男らが検挙され、民間教育運動は壊滅しました。
 6月15日、アメリカ軍は、マリアナ群島のサイパン島に上陸しました。
 6月17日、米穀管理要綱を決定し、供出割当を生産者に一元化しました。
 6月19日、アメリカ軍と日本軍は、マリアナ沖で衝突しました。これをマリアナ沖海戦といいます。日本海軍は、空母・航空機の大半を失いました。
 6月30日、東条内閣は、閣議で、国民学校初等科児童の集団疎開を決定しました。
15  7月7日、サイパン島の日本守備隊3万人が玉砕しました。住民1万人が死亡しました。
 7月10日、情報局は、中央公論社・改造社に自発的廃業を指示しました。その後、両社は解散しました。
 7月22日、@41小磯国昭内閣が誕生しました。
16  8月4日、小磯内閣は、閣議で、国民総武装を決定し、竹槍訓練が始まりました。
 8月4日、学童集団疎開第1陣が上野駅を出発しました。
 8月23日、女子挺身勤労令が勅令で公布されました。その内容は、次の通りです。
「現下ノ緊迫セル戦局ノ下ニ於テ戦力ノ飛躍的増強ヲ図ルコトノ緊要ナルコトハ申ス迄モナイ所デアリマス。而シテ之ガ為ニハ相当多数ノ勤労者ヲ必要トスルノデアリマスガ他面一般男子ノ勤労給源ハ相当逼迫セル状況ニアリマスノデ、此ノ際女子ノ勤労ニ期待スル所極メテ大ナルモノガアルノデアリマス、政府ニ於キマシテハ従来女子ノ勤労動員ニ付キマシテハ時局段階ニ即応シ夫々施策シテ参ツタノデアリマシテ、特ニ昨年9月勤労ノ態様トシテ新ニ女子挺身ヲ自主的ニ組織セシメ相当ノ指導者ノ下ニ団体的ニ長期出勤ヲナサシムルノ制度ヲ創設致シマシテ既ニ行政官庁ノ指導勧奨ニ依リ女子挺身隊ニ加入セル女子ノ数ハ数十万ニ達シテ居ル状況デアリマス、而シテ今後更ニ本制度ヲ強化シ女子ノ勤労動員ヲ促進スル為ニハ明確ナル法的根拠ノ下ニ女子挺身隊ノ加入、出動ヲ的確ナラシムルト共ニ之ガ受入態勢ヲ刷新強化シ其ノ保護ニ付万全ノ措置ヲ講ジ以テ女子ヲシテ挺身勤労愛国ノ至情ヲ尽サシムルコトガ肝要デアリマスノデ茲ニ国家総動員法第5条及第6条ニ基ク勅令ノ御制定ヲ仰ガントスル次第デアリマス、本勅令ノ運用ニ当リマシテハ特ニ皇国本来ノ家族制度ト女子ノ特性トヲ考慮シ徒ラナル強権 ヲ発動ハ厳ニ之ヲ戒メ決戦下皇国女子ノ愛国心ニ訴ヘ挺身勤労ヲ指導スルト共ニ受入態勢ノ整備強化ニ重点ヲ置ク方針デアリマス」
 8月23日、学徒勤労令が勅令により公布されました。その結果、中学生以上全学生の工場配置が強行されました。しかし、大学・高専の2年以上理科系学徒1000人に限って勤労動員より除外して、科学研究要員とすることにしました。
17  9月1日、国民学校学童にパン食のみとなりました。 
 10月16日、陸軍特別志願兵令改正が勅令により公布されました。その結果、17歳未満の者の志願を許可しました。
 10月18日、陸軍省は、兵役法施行規則改正を公布し、17歳以上を兵役に編入しました。
 10月20日、戦況が日々に悪化により、一億憤激米英撃■国民大会が日比谷で開催されました。
 10月23日、農商省はガソリン代用品増産の為松根油緊急増産対策措置要綱を決定しました。
 10月25日、海軍神風特攻隊は、レイテ沖で初めてアメリカの軍艦に突入しました。
 10月25日、中国基地のB29の100機が北九州を空襲しました。
18  11月1日、新聞の朝刊が2ページとなりました。
 11月1日、たばこの配給が、隣組を通じて行われるようになりました。男子1日6本です。
 11月13日、日本野球報国会は、プロ野球の休止を声明しました。
 11月24日、マリアナ基地のB29の70機が東京を初空襲しました。
 この項は、『近代日本総合年表』などを参考にしました。
敵性英語の禁止、甘いぞ日本、戦時下の在日中国人の気持ち
 1943年、野球用語に注文が付きました。敵性英語は禁止されたのです。ストライクは「よし1本」、アウトは「ひけ」などです。自動車用語も英語のオーライは「発車」、バックは「背背」です。昔、中村メイコさんの『田舎のバス』という歌がありました。「発車、オーライ」というのがありましたが、戦前のこれを揶揄したのでしょうか。
 1944年に流行した歌には、『若鷲の歌』・『予科練』・『同期の桜』・『ラバウル小唄』など戦時歌謡一色という感じです。
 こういう傾向に何にも感じない人もいますが、「是々非々」をモットーとする私には、耐えられません。臭い物に蓋をするのは、臭い物があるからです。
 1943年11月には、テヘラン会談で、ルーズベルト・チャーチル・スターリンが「ソ連の対日参戦」を秘密で協議しています。
 1944年9月、その情報を知らない日本政府は、日ソ中立条約を結んでいる中立国ソ連をあてにして和平交渉に臨もうとしています。しかし、ソ連にすると、自分を敵にする日独伊防共協定を結んでして、困った時だけ、あてにされても困るでしょう。当然、対日参戦の秘密協議もありますが、政治的に判断して、拒否するでしょう。
 中立条約を破棄して、満州に進入したことは事実であり、たくさんの日本人に犠牲を強いたことも本当で、厳しく糾弾することも必要です。
 しかし、政治の世界では、ソ連をあてにして、断られたことを口実に、非難するのは的外れです。当時の指導者の外交的センスのなさ、節操のなさを恥じるべきです。
 最近こんな新聞記事に出会いました(2006年3月26日付け神戸新聞)。
 神戸華僑総会名誉会長の林同春さんが、『わが心の自叙伝』です。
 1941(昭和16)年に、津山の鶴山中学という私立の男子校に入学します。「内村鑑三に師事した無教会キリスト者の森本慶三先生が創設した三カ年修業の私学だつた。…当時進学の機会が十分に与えられていなかった朝鮮人学生を進んで受け入れていた森本先生なら、敵国人である私も受け入れてくれるのではないかと思ったのだ」と入学の動機を語っています。
 「軍事教練に断固として反対していた森本先生が、軍からさまざまな圧力を受けていた」。そこで、妥協策として本名でなく日本名の林春男を名乗ることになります。
 国民学校令により「小学校は国民学校と改称され、教育内容はより軍事色の強いものになった。鶴山中学でも軍から配属された教官による軍事教練が行われるようになった。…校庭に立てられた藁人形を生徒が竹槍で突く訓練が行われていた。校庭に入ってきた私を見とがめて教官が怒鳴った。”よし、ここに本物のシナ人がおるぞ。ハヤシ、おまえはあの藁人形の間に立て!”…教官に小突かれて三体並んでいる人形の二番目と三番目の間に立たされた。”よし、人形を敵だと思って力一杯突け!”」と恐怖と侮辱された体験を書いています。
 「大東亜戦争は正義の戦いであった」と主張する人は、林同春さんの体験談をどう読むのでしょうか。
 私は、「日本は戦争に負けてよかった」という軍人さんをたくさん知っています。私も同感です。こんな日本は、「戦争する前に、既に負けていた」と思います。
 林同春さんは「それでも私にも、同じ年ごろの友人が何人かできた」。敵国人である林同春さんを野球の仲間に誘う日本人がいたのである。「チームメートの歓声に応えてべースの上から手を振るとき、中国人であることも日本人であることも忘れた。このまま時間が止まって、ゲームが永久に続けばいいと思うの
だつた」と書いています。これが人情です。自然な発露です。私はホッとしました。
 私はこういう日本人がいたことを誇りに思います。
 日本人を誇るために、外国人を不当に侮辱するTVの討論番組が増えています。自慰番組です。

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