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エピソード

268_01

日本国憲法の制定
 戦後60年が経過し、教育基本法の改正や日本国憲法の改正が議論にのぼり、世論調査では、かなり高い比率で、改正が支持されています。
 TVなどの出演者を見ると、改正論者が多く、その影響でなければいいのですが、そのことを危惧しています。というのは、出演者の主張には、教育基本法や日本国憲法という法律をどう捉えるかという議論が欠けているからです。江戸時代や戦前の歴史を見ると、権力を持っているものは、常に税の対象・頼らしむべき対象としては国民を把握しています。つまり、近代的法律は「国民が公権力を縛るルール」であるかどうかの視点が大切なのです。
 ここでは、どういう経過で日本国憲法が誕生したのか、調べてみました。
 1945(昭和20)年8月17日、@43東久邇宮内閣が誕生しました。
 10月4日、近衛文麿は、マッカーサーから直接憲法改正について示唆を受けました。その後、天皇は近衛を内大臣御用掛に命じました。
 10月9日、@44幣原喜重郎内閣が誕生しました。
 10月19日、毎日新聞は、「日本国憲法の改定が、なぜ、この戦争責任者である近衛文麿の助力によらなければならぬのか、私(阿部真之助顧問)には解することができない」との記事を掲載しました。
 11月1日、GHQスポークスマンは、「憲法改正をめぐる近衛文麿の仕事は皇室との関係にすぎず、GHQは感知しない」と声明しました。
 11月18日、GHQは、皇室の財産に関する覚書を発表し、皇室財産を凍結しました。
 11月19日、GHQは、荒木貞夫小磯国昭松岡洋右ら11人の逮捕を命令しました。
 11月21日、治安警察法廃止の件がポツダム勅令で公布されました。
 12月1日、陸軍省・海軍省廃止の件および第一復員省・第二復員省官制が公布されました。
 12月2日、GHQ、戦犯容疑で、元帥の梨本宮守正陸軍大将・元首相の平沼騏一郎・元外相の広田弘毅をはじめ皇族・陸海軍将校・政治家・財界人・記者ら59人の逮捕を命令しました。
 12月6日、GHQ、戦犯容疑で、「16日の午後12時までに」と期限を区切って、元首相の近衛文麿・前内大臣の木戸幸一・貴族院副議長の酒井忠正・前駐独大使の大島浩陸軍中将・前国務大臣の緒方竹虎・理研工業社長の大河内正敏ら9人の逮捕を命令しました。これで、逮捕を命じられた戦争責任者は合計で286人になりました。
 12月7日、マニラの軍事裁判は、山下奉文の戦争犯罪に対して死刑を宣告しました。
 12月8日、松本烝治国務相は、衆議院予算委員会で、「天皇の統治権総攬は不変、議会の議決権拡大、国務大臣の国政全般および議会に対する責任、人民の権利・自由の確立など」憲法改正の4原則を言明しました。「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」を「天皇ハ至尊ニシテ侵スベカラズ」と修正しています。これを松本私案といいます。
 12月8日、神田共立講堂で、共産党以外の5団体主催戦争犯罪人及び人民大会は、天皇を含む1000人以上の戦犯名簿を発表しました。
 12月14日、元独秘密警察員は、ニュルンベルク国際軍事裁判で、ユダヤ人虐殺は600万人以上と証言しました。
 12月15日、GHQは、国家神道(神社神道)に対する政府の保証・支援・保全・監督および弘布の廃止に関する覚書を発表しました。これを国教分離といいます。従来の国体観念の改革を要求し、国の行事であった神道の祭典は、皇室の私的な行事となりました。軍国主義の役割を補完していた神社も、本来の神社の姿に帰ることになりました。
 12月15日、GHQの民間教育情報部長であるダイク代将は、記者会見で、国教分離の覚書の趣旨を「神道は、決して軍国主義的、超国家主義的なものでなかったが、神の子として侵略その他の蛮行がすべて合理化されたのは明治以来の官製神道の教義によるものであつた」と語りました。
 12月15日、衆議院議員選挙法改正案が成立しました。これを新選挙法といいます。
 12月16日、米・英・ソの3国外相会議は、極東委員会・対日理事会の設置を決定しました。
 12月16日、近衛文麿(55歳)は、自宅で青酸カリで服毒自殺しました。
 12月17日、俘虜に対する暴虐行為容疑者に対するBC級軍事裁判が横浜地裁で開廷しました。
 12月20日、国家総動員法・戦時緊急措置法廃止件が公布されました。
 1946(昭和21)年1月1日、天皇は、神格化否定の詔書を発表しました。これを天皇の人間宣言といいます。マッカーサーは、詔書に満足の意を表明しました。人間宣言の内容は、以下の通りです。
「朕は爾等国民と共に在り、常に利害を同じうし休戚を分たんと欲す。朕と爾等国民との間の紐帯は終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ、単なる神話と伝説とに依りて生ぜるものに非ず。天皇を以て現御神とし、且日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、延て世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基くものにも非ず」
 *解説(私(天皇)と国民との絆は、神話と伝説ではない。私を現人神=人の姿をしてこの世に現れた神とし、日本民族は他民族より優越しているので、世界を支配すべき運命を持っているという架空の観念でもない。私(天皇)と国民との絆は、相互の信頼と敬愛で結ばれている→私たちの敗戦後の出発点は、まさにここにあります)
 1月4日、GHQは、軍国主義者の公職追放および超国家主義団体27の解散を指令しました。
 1月19日、マッカーサーは、極東国際軍事裁判所条例を承認し、戦争犯罪人(平和・人道に対する罪、戦時法規違反の罪)を審問・処罰のため裁判所の設置を命令しました。
 1月21日、自由党鳩山一郎は、憲法改正要綱を発表し、天皇は統治権の総攬者であることを明記しました。
 2月3日、マッカーサーは、GHQ民政局に対して、(1)天皇は国家の首部にある(2)戦争を放棄する(3)封建制度を撤廃するという3原則に基づく日本国憲法草案の作成を指示しました。
 2月8日、憲法改正要綱(松本試案)がGHQに正式に提出されました。松本試案とは、国務相の松本烝治の私案を憲法問題調査委員会委員の宮沢俊義が要綱化した草案に、さらに、松本が加筆したものです。
 2月10日、GHQは、日本国憲法草案を完成しました。これをGHQ草案といいます。
 2月13日、GHQは、松本試案を拒否し、GHQ草案を日本政府に手交しました。これを日本国憲法はアメリカの押し付けという議論を生みました。しかし、日本の指導者の作成した草案は、明治憲法とほとんど変わらない内容でした。「日本人は内圧では変わらず、外圧によって変わる」しかなかったといえます。
 2月14日、進歩党町田忠治は、天皇制を護持する憲法改正要綱を決定しました。
 2月19日、昭和天皇は、神奈川県を巡幸しました。これを天皇の巡幸といいます。
 2月19日、GHQは、刑事裁判権行使に関する覚書を発表しました。その内容は、占領目的に有害な行為に対し連合国軍事占領裁判所も裁判権を行使するというものでした。
 2月22日、幣原内閣は、閣議で、GHQ草案の受け入れを決定しました。
 2月23日、社会党片山哲は主権在国家・天皇は儀礼的代表という憲法改正案要綱を発表しました。
 2月23日、戦犯として裁かれた山下奉文の死刑が執行されました。
 2月26日、第1回極東委員会は、ワシントンの元日本大使館で開かれた。会議は非公開で、米・英・ソ・中の4ヵ国には拒否権が与えられました。また緊急事態が生じたときは、アメリカ政府は、連合国最高司令官に中間指令を発することもでき、委員会が取消し決定を行なわない限り有効であるため、アメリカの主導権は確保されることになりました。
 極東委員会は冷戦の激化による米ソ対立で弱体化しました。
 3月4日、幣原内閣は、GHQ草案に趣旨に基づく憲法改正草案を作成し、GHQに提出しました。
 3月6日、幣原内閣は、(1)主権在民(2)天皇象徴(3)戦争放棄を規定した憲法改正草案要綱を発表しました。マッカーサーは、全面的承認を声明しました。
 3月20日、極東委員会は、最終憲法草案に関する極東委員会の最終的審査権を留保し、「新憲法の制定過程で日本の世論を尊重せよ」とのマッカーサー宛指令を全会一致で決定しました。
 4月5日、第1回対日理事会が東京で開催されました。
 4月10日、@22衆議院議員総選挙が新選挙法により実施され、自由党141人、進歩党94人、社会党93人、協同党14人、共産党5人、諸派38人、無所属81人が当選しました。
 4月10日、極東委員会は、新憲法の採択過程に関与したいと全会一致で要望しました。
 4月28日、東条英機ら28人のA級戦犯容疑者の起訴状を発表しました。
 5月3日、極東国際軍事裁判所が開廷しました。これを東京裁判といいます。
 5月13日、極東委員会は、新日本国憲法採択の3原則を決定しました。その内容は、(1)審議に十分の時間と機会(2)明治憲法との完全な法的持続性(3)国民の自由な意思表明というものでした。
 5月15日、対日理事会で、アメリカ代表のアチソンは、「共産主義を歓迎せず」と言明しました。
 5月22日、@45吉田茂内閣が誕生しました。
 6月12日、連合国占領軍の占領目的に有害な行為に対する処罰等に関するポツダム勅令を公布しました。その内容は、違反者は、連合国軍事占領裁判所において裁判に処せられるというものでした。
 6月14日、アメリカ政府は、マッカーサーの「4月13付拒否回答」を極東委員会に通達しました。
 6月18日、極東国際軍事裁判のアメリカ側主席検事のキーナンは、ワシントンで、「天皇を戦争犯罪人として裁判しない」と言明しました。
 6月20日、憲法改正案が帝国議会に提出されました。
 6月21日、マッカーサーは、極東委員会の決定に基づき議会における憲法改正案討議の3原則に関する声明を発表しました。
 6月26日、吉田茂首相は、衆議院で、「憲法第9条は自衛権の発動としての戦争も交戦権も放棄したものである」「過去の
戦争というものはみな自衛の為といって始められたものだ」と言明しました。
 7月2日、極東委員会は、新日本国憲法の基本諸原則を全会一致で採択しました。
 7月6日、大日本帝国を日本国と改称しました。
 7月12日、蒋介石の国府軍50万人は、解放区への攻撃を開始しました。これを中国の全面的国共内戦の開始といいます
 8月24日、衆議院は、憲法改正案を修正多数で可決しました。賛成は421人、反対は8人でした。
 8月26日、皇太子の家庭教師にアメリカ人のヴァイニングと発表されました。イギリスからアメリカの教育制度が採用されたことを意味します。
 10月1日、ニュルンベルク国際軍事裁判で判決がり、12人に絞首刑が宣告されました。
 10月7日、衆議院は、憲法改正案の貴族院修正案に同意して、日本国憲法が成立しました。
 10月16日、自殺したゲーリングを除いて、11人が絞首刑に処せられました。
 11月3日、日本国憲法が公布されました。
 12月24日、枢密院・皇室会議は、皇室典範増補中改正の件を可決しました。
 1947(昭和22)年3月4日、GHQは、南方軍事裁判で絞首刑30人と発表しました。
 3月12日、米大統領のトルーマンは、上下両院合同会議で、ソ連封じ込めと共産勢力拡大阻止をねらうトルーマン・ドクトリンを発表しました。
 5月3日、日本国憲法が施行されました。
 5月13日、東京裁判で南京虐殺事件が審議されました。
 5月24日、@46片山哲内閣が誕生しました。
 10月7日、片山内閣は、財界・報道関係991人の公職を追放しました。
 10月13日、戦後初の皇室会議を開催しました。その結果、3直宮家を除く内親王・女王が勅旨・請願により臣籍降下出来るようになりました。
 1948(昭和23)年1月5日、米陸軍長官のロイヤルは、サンフランシスコで、「日本を共産主義に対する防壁にする」と演説しました。
 2月16日、アメリカ政府は、岸信介らA級戦犯容疑者の裁判を放棄すると声明しました。
 3月2日、中国検察当局は、ソ連抑留中の元満州国皇帝である溥儀を反逆罪で起訴しました。
 3月6日、米・英・仏など西側6ヵ国会議は、西独の西側組み込みを決議し、その結果、ドイツの東西分裂が決定しました。
 3月10日、@47芦田均内閣が誕生しました。
 8月15日、大韓民国が樹立され、大統領に李承晩が就任しました。
 9月9日、朝鮮民主主義人民共和国が樹立され、首相に金日成が就任しました。
 10月19日、@48第二次吉田茂内閣が誕生しました。
 11月2日、アメリカの大統領選でトルーマンが再選されました。
 11月9日、蒋介石は、アメリカ大統領のトルーマンに対して、緊急軍事援助を要請しました。
 11月12日、東京裁判で最終判決が出され、東条英機ら7人に絞首刑が宣告されました。
 12月16日、中国共産党軍は、北京に無血入城しました。
 12月23日、東条英機ら戦犯7人は、巣鴨拘置所で、絞首刑が執行されました。
 12月24日、岸信介・笹川良一児玉誉士夫らA級戦犯が釈放されました。
 この項は、『近代日本総合年表』などを参考にしました。
日本国憲法をめぐる議論
 ます産経新聞の主張を紹介します。
 「昭和22年に施行された憲法があす59周年を迎える。日本の非武装化を目的としていた憲法が想定していた世界は今や激変している。・・・日本が激動する東アジアで生き抜くためにも脅威への備えを怠ってはならない。核心は9条の改正である。いまだに領土や領海を不法に侵害する行為を排除する権限を自衛隊に与えていないことにもうかがえる。
 9条改正についても3月5日付毎日新聞の調査は、賛成49%で反対41%だった。一概に断定できないが、これまでの9条改正反対派の優位が変わりつつあるといえよう。
 9条改正の具体案も見えつつある。自民党が昨年十月にまとめた新憲法案では「自衛軍」が明記された」。
 *解説(1)(私は、軍隊を否定しているわけではありません。オーストリアに行った時、市民に愛される軍人を見てきました。市民と同じ生活する軍人です。指導者の無責任・陰湿ないじめ・暴力がまかり通る日本の体質に、軍隊組織はなじめないと考えています。戦前のような軍国主義に戻らないと反論されますが、私は信じていません)
 *解説(2)(基本的には、公権力が国民を法律という視点で書かれています。敵を煽り、東アジアで生き抜くためにも脅威への備えという論調は、戦前と同様の自存自衛の主張です。朝日新聞の世論調査では、憲法についてよく知っていると答えた人は43%で、ほとんど知らないは52%です。ます、憲法9条の内容をよく説明する必要があります)
 *解説(3)(仮に、民主化された軍隊が実現したとして、核を保有する中国と対決するために、どれほどの軍事力が必要なのでしょうか。現在の防衛費は4兆8139億円で、歳出の10.4%です。戦前の最高は1944年で85.3%です)
 *解説(4)(ワールド・ベースボール・クラッシク(WBC)のTV放送を日本中の50%以上の人が視聴したといいます。そこに愛国心を感じた人もいたと新聞に投書した人もたくさんいました。自然な感情だと思います。しかし、世界一に導いて王監督は日本代表チームの監督を要請された時「国籍がにほんでなくてもいいのかな」と一瞬思ったか語っています。王監督の父親は、「浙江省から日本に来て、戦争中は辛酸をなめたらしい」とも語っています。日本を美化し、外国を非難するナショナリズムの風潮に王貞治さんの心中は如何なものでしょうか。)
A(実質国防支出)B(GDPに占める国防費の割合)C(一人当たりの国防費)(単位:ドル)
 
国名 2001年 1985年
A B C A B C
1 アメリカ 3223億6500万 3.2% 1128 3902億9000万 6.5% 1631
2 ロシア連邦 636億8400万 4.3% 440 3647億1500万 16.1% 1308
3 中国 460億4900万 4.0% 36 300億900万 7.9% 29
4 日本 395億1300万 1.0% 310 324億9100万 1.0% 269
5 イギリス 347億1400万 2.5% 583 481億9600万 5.2% 852
6 フランス 329億9000万 2.6% 553 493億7800万 4.0% 895
7 ドイツ 269億200万 1.5% 328 533億300万 3.2% 702
8 サウジアラビア 242億6600万 14.1% 1156 271億5600万 19.6% 2353
9 イタリア 209億6600万 2.0% 365 259億7400万 2.3% 455
10 インド 141億6700万 2.9% 14 94億6900万 3.0% 12
 もう一つの議論に「押しつけられた日本国憲法」というのがあります。TV番組で特に多い内容です。
(1)今の日本国憲法は敗戦直後に米国から押しつけられたものである。だから、自由民主党は自主憲法制定を党是としています。
(2)いまこそ民族の悲願である正しき自主憲法の制定を実現し、屈辱的な憲法9条をはじめとする占領憲法を葬り去りましょう。
(3)自民党の原田義昭氏は「9条1項をそのままにし、自衛軍の表現で自衛隊の根拠を明確にした。現行の憲法は平和憲法としてどんなに立派であっても押し付けられた憲法であるという感は否めません。
(4)占領中に押し付けられた憲法を一度も改正しなかった国は日本以外にない。そもそも占領中に憲法を押し付けられた国も日本以外にない。日本は憲法を改正して独立しなければならない。
(5)日本建国の精神を欠く、歴史と伝統に根ざした本来の天皇制の姿をゆがめる、独立と安全を守るための自衛隊を日陰者扱いにする、基本的人権だけが亡国につながるほど過度に保護されている
(6)一つにはマッカーサーの巧妙な占領政策のマインドコントロールで、原罪を刷り込まれてしまったことと、二つには左翼革命勢力によって占領政策を強化、活用しようとする力が働いているからである。
(7)第九条ほど侵略者にとって好都合な条文はない。「日本がいかに戦争を放棄しても、戦争は日本を放棄しない」という世界の教訓を忘れてはならない。
(8)本当に良い悪いは別として、押し付けられた憲法をありがたがっている国民って、本当におめでたい国民です。
(9)中国が国防費を増大させ、北朝鮮が核開発し、韓国とは竹島で争っている。国際環境が危険な状態にある中、9条がこのままでいいのか。9条2項で自衛隊を軍隊と明記すべきだ。
 *解説(日本の国防費は、アジア第一。完全に非武装なら、相手はどうだっかのか。中途半端はいけない)
 それに対する反論です。
(1)「憲法は国民が国家権力に押し付ける命令である」という憲法本来の意味を考えたとき、公権力側から見て「押しつけられた」と感じる憲法は、むしろ良い憲法である。
(2)誰が創ったかは問題ではなく、それが良いのか悪いのかが問題なのです。現行憲法のどこが良くてどこが悪いのか。メディアはそこのところを論点にして欲しいと思います。
(3)時代に合わない部分を修正するのは賛成ですが、押し付けられたからとか、自前の憲法をというのは、なんだか子どもっぽいし前向きな気がしないですよね。
(4)押し付けられたと言っても、内容的には基本的人権の保障、国民主権、平和主義など素晴らしい項目が含まれています。特に「表現の自由」については、アメリカ合衆国憲法を活用しています。
(5)9条の戦力不保持は、敗戦時の日本の国際的約束で、この約束事をしっかり実現していくことが大切です。日本が当時、武器を持たないことで平和を実現していく努力を表明したのは今も生きている。
(6)再軍備や9条改正は近隣諸国との関係で、非武装よりはるかに日本を危険に巻き込む。
(7)『フォーオブウォー』の監督であるモリス氏は「日本には憲法九条があることを知って感動しました」と語っていました。最後に憲法九条を世界にPRする。
(8)小田実氏は「憲法九条は、日本のためだけでなく、世界に広がる可能性がある。アジアの平和のためにも世界の未来のためにもなる」といっています。
(9)日本は戦後60年間、他の国から侵略されていない。それが自衛隊の存在によってなのか、憲法9条がある国だからなのか。
 *解説(押し付けは事実です。しかし、日本の人権感覚と世界の人権感覚には相当の隔たりがあり、世界憲章を日本が批准したと考えています。これ以上の憲法ができるなら、改正には賛成です)
 次の史料は「ラウエル文書」といいます。1946年(昭和21年)2月10日、GHQは、GHQ草案を完成しました。2月13日、GHQは、松本試案を拒否し、GHQ草案を日本政府に手交しました。この時のGHQ側(英文)と日本側松本烝治(日本文)の記録です。最高司令官のマッカーサー元帥がホイットニー将軍を通して、日本側に押し付けている迫真の場面です。アメリカ側の出席者は、ケイデイス陸軍大佐・ラウエル陸軍中佐・ハツシー海軍中佐です。日本側の出席者は、吉田茂外相・松本烝治憲法問題調査委員会委員長・白洲次郎外相補佐・長谷川元吉外務省翻訳官です。
(1)「あなた方が御存知かどうか分かりませんが、最高司令官は、天皇を戦犯として取り調べるべきだという他国からの圧力、この圧力は次第に強くなりつつありますが、このような圧力から天皇を守ろうという決意を固く保持しています。これまで最高司令官は、天皇を護ってまいりました。それは彼が、そうすることが正義に合すると考えていたからであり、今後も力の及ぶ限りそうするでありましょう。しかしみなさん最高司令官といえども、万能ではありません。けれども最高司令官は、この新しい憲法の諸規定が受け容れられるならば、実際問題としては、天皇は安泰になると考えています。さらに最高司令官は、これを受け容れることによって、日本が連合国の管理から自由になる日がずっと早くなるだろうと考え、また日本国民のために連合国が要求している基本的自由が、日本国民に与えられることになると考えております」
(1)"As you may or may not know, the Supreme Commander has been unyielding in his defense of your Emperor against increasing pressure from the outside to render him subject to war criminal investigation. He has thus defended the Emperor because he considered that that was the cause of right and justice, and will continue along that course to the extent of his ability. But , gentlemen, the Supreme Commander is not omnipotent. He feels, however, that acceptance of the provisions of this new Constitution would render the Emperor practically unassailable. He feels that it would bring
much closer the day of your freedom from control by the Allied Powers, and that it would provide your people with the essential freedoms which the Allied Powers demand in their behalf."
 *解説(1)(戦犯としての天皇を免訴し、天皇制を維持する条件に、GHQ草案を受け入れることを押し付けています)
(2)「最高司令官は、私に、この憲法をあなた方の政府と党に示し、その採用について考慮を求め、またお望みなら、あなた方がこの案を最高司令官の完全な支持を受けた案として国民に示されてもよい旨を伝えるよう、指示されました。もっとも、最高司令官は、このことをあなた方に要求されているのではありません。しかし最高司令官は、この実に示された諸原則を国民に示すべきであると確信しております。最高司令官は、できればあなた方がそうすることを望んでいますが、もしあなた方がそうされなければ、自分でそれを行なうつもりでおります。みなさん、最高司令官はこの文書によって、敗戦国である日本に、世界の他の国々に対し、恒久的平和への道を進むについての精神的リーダシップをとる機会を提供しているのであります」
(2)"The Supreme Commander has directed me to offer this Constitution to your government and party for your adoption and your presentation to the people with his full backing if you care to do so, yet he does not require this of you. He is determined, however, that the principles therein stated shall be laid before the people -- rather by you -- but, if not, by himself. By this instrument he has thus, gentlemen, offered Japan, a nation in defeat, the opportunity to assume moral leadership among the other nations of the world toward lasting peace."
 *解説(2)(マッカーサーは、みずから、GHQ草案を日本国民に提示してもいいと言っています。暗に日本の指導者が作成した松本試案国民が比較採決してもいいと言っています)
(3)「マッカーサー将軍は、これが、数多くの人によって反動的と考えられている保守派が権力に留まる最後の機会であると考えています」
(3)"General MacArthur feels that this is the last opportunity for the conservative group, considered by many to be reactionary, to remain in power."
 *解説(3)(このGHQ草案を受け入れると、保守・反動派が権力を保持できるよという押し付けです。マッカーサーは、天皇制を維持したいかと甘言し、保守反動の憲法草案を国民に提案するぞと脅し、権力を保持したいかと迫り、つまり、一番当時の権力者の一番弱い部分を突いています。役者が格段に違います)
 政治とか国家を考える場合、私の2つのキーワードを持っています。
(1)我々は政治に無関心であっても、政治は我々に無関心でおってくれない(私たちが政治に無関心であればあるほど、政治は、私たちに要求を追加します。税金がその好例です)。
(2)個人のために国家がある、国家のために個人があるのではない(イギリスの思想家ロックは、人間は生まれながらに生命・自由・財産を守る自然権を与えられている。それを守るために国家と契約する。国家が個人の自然権を侵した場合、これに抵抗する権利も与えられると主張しました。フランスの思想家ルソーによって理論は発展し、アメリカ独立宣言・フランス革命・日本国憲法に継承されたのです)。
 この(1)(2)点を物差しにして、様々な議論を測ると、相手が巧言令色しても、本質が見えます。
 次は、司法試験「伊藤塾」の伊藤真氏の講演抄録です。法律を国民の立場で考える私の意見にぴったりです。以下はその要点です。
 憲法99条にはこう書いてあります。「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」
 今、改憲論は政治家の側から出ている。「現実的でない」「一国平和主義」など、さも国民の意識の問題のように批判する。だが、権力者は自分たちの政治行動を縛る憲法が窮屈になり、「もっと好きにやらせてくれ」と言っているのです。・・・憲法は、民主主義が暴走したときの歯止めでもあります。つまり、国民の多数が支持した権力でも、奪うことができない価値を規定しているのです。それが基本的人権、平和主義です。普遍的な価値で権力者を縛り、弱者、少数派の人権を守る。これが日本国憲法の本質です。(2006年5月19日付け神戸新聞)

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