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エピソード

268_02

皇室典範
 日本国憲法の成立によって、一夫一婦制を皇室でも採用しました。皇室典範の改正により、臣籍降下も認めました。その結果、最近の女系天皇問題の根がこの段階で発生しました。
 GHQは、民主化政策の一環として、臣籍降下を認めました。当時、皇族は秩父・高松・三笠・東伏見・山階・伏見・賀陽・久邇・朝香・梨本・東久邇・北白川・竹田・閑院の11宮でした。しかし、この結果、皇族として残ったのは、天皇と直接血のつながりのある直宮の秩父・高松・三笠の3宮家のみでした。
 その他の官家は王族としての身分を失いました。
 戦前には側室制度がありました。大正天皇は、側室の子供です。
 系図の説明(天皇、皇位継承者、皇位継承者の子女、▼皇位継承者で故人、敬称略)
貞明皇后
柳原愛子 ‖━ 昭和天皇 皇太子@
‖━ 大正天皇 ‖━ 今上天皇 ‖━ 愛子
明   治   天   皇 香淳皇后 ‖━ 雅子
皇后 秋篠宮A 眞子
昭憲皇太后 常陸宮B ‖━
千種任子 紀子 佳子
園子 華子 清子
小倉文子 三笠宮C
橋本夏子 ‖━ 三笠宮D 黒田慶樹
葉室光子 百合子 ‖━ 彬子
信子 瑤子
桂宮E
▼高円宮 承子
‖━ 典子
久子 絢子
 上記の系図を見ると、分かるように、皇室には男子が40年生まれておらず、安定的な皇位継承ができなくなる恐れが現実化しました。「皇室典範に関する有識者会議」は、2005年11月に「男系男子継承の維持は極めて困難と結論付け、女性、女系天皇の容認、皇位継承順位を長子優先とすることなどを盛り込んだ」皇室典範改正案を報告しました。
(1)女性天皇、女系天皇に賛成する立場
@早稲田大学の戸波江二教授は「現在では、欧州の王国などで女性の王位継承を認めており、男系男子に限る皇位の継承はもはや存在根拠を失った。二十一世紀の天皇家の将来を考えると、男女平等は、天皇家にも入れなければならない憲法原理になっている。皇室も男女共同参画社会であるべきで、女性・女系の天皇も認めるべきだろう」と語っています。 
A共同通信が2005年12月に行った世論調査では7割以上が女性、女系天皇に賛成しています。
(2)女性天皇、女系天皇に反対する立場
@東京大学の小堀桂一郎名誉教授は「天皇制についても、皇統の歴史を反映していた明治の皇室典範は1947年、GHQによって現憲法制定と同時に変えられた。皇室と皇族制度の在り方は、それ以前に戻すしかない。当時、臣籍降下した11宮家のうち五宮家では男子が健在だから、旧皇族復帰を提案したい。男系男子継承の原則を守りながら皇位の安定は十分可能だ」と語っています。
A125代の天皇のうち女性天皇は8人10代だが、いずれも男系で、女系天皇はいない。女性と女系の違いが国民に正確に理解されていない。
先送りされた皇室典範改正
 秋篠宮妃の紀子さまが第3子を懐妊されたということで、皇室典範改正問題は、先送りされました。
 第2の郵政民営化問題になるかというほど、小泉首相の熱の入れようだっただけに、多くの人はほっとしていると思います。私も、戦後60年のツケをわずかの期間の審議で決めようということには、無理があると考えていました。
 しかし、問題は、先送りされただけで、根本的な解決に至っていません。有識者会議が提案している女性・女系天皇を容認するのか、皇族制度を見直すのか、十分な論議が必要です。
 ここで、歴史をおさらいしましょう。過去、女性天皇は8人10代(2人は重祚)でした。
推古(第33代)、皇極(第35代)・斉明(第37代)、持統(第41代)、元明(第43代)、
元正(第44代)、孝謙(第46代)・称徳(第48代)、明正(第109代)、後桜町(第117代)
 しかし、父も祖父も男子天皇でした。もし、愛子内親王が即位して女性天皇となり、皇族以外の男性と結婚した場合、その子が即位した時、男系皇族の血を引き継がない女系天皇となります。これは過去の伝統にはなかったことです。
 次に、女性天皇が男系皇族と結婚した場合、問題ないというものの、現実的でないという人もいます。皇籍離脱して臣籍に降下した11宮家のうち、養子の制度が採用できず、東伏見家・山階家・閑院家の3宮家は断絶し、伏見家・梨本家・北白川家の3宮家は、現当主が高齢の上、継嗣がなく断絶の可能性があります。久邇家・賀陽家・朝香家・東久邇家・竹田家の5宮家が皇族復帰の対象とされています。
 小泉信三氏が頑強に主張して、今上天皇や皇太子妃を民間から迎えた理由は、血族結婚の弊害を除去する意味がありました。
 伝統と現実の間でゆれる問題です。戦後の皇室典範での不備のツケが今来ています。時間があります。ゆっくりと知恵を出し合って、決めるべき問題だと思います。

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