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エピソード

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二大陣営の対立T(縮図、ドイツの東西分裂)
 以前、ベルリンの壁が崩壊する場面を見ました。絶対壊れないという先入観を持っていただけにとても衝撃でした。
 そして、人間が作ったものは、作り直せるということも学びました。
 では、ベルリンの壁は、どうして出来たのでしょうか。
 1945(昭和20)年1月17日、ソ連軍は、ワルシャワを解放しました。
 3月6日、ルーマニアに民族民主戦線政府が樹立し、首班にペトル=グローザが就任しました。
 3月7日、ユーゴに人民政府が樹立し、首班にチトーが就任しました。
 4月4日、ソ連軍は、ハンガリー全土を解放しました。
 4月12日、アメリカ大統領のルーズベルトが亡くなり、副大統領のトルーマンが昇格しました。
 4月13日、ソ連軍は、ウィーンを占領しました。
 4月22日、ソ連戦車隊は、ベルリン市街に突入しました。
 4月25日、米ソ両軍は、エルベ河畔のツルゴウで邂逅し、ドイツは東西に分割占領されました。
 5月2日、ソ連軍は、ベルリンを占領しました。
 5月5日、ソ連軍は、チェコのプラハを解放しました。
 7月27日、イギリス総選挙で勝利した労働党のアトリー内閣が誕生しました。
 8月13日、世界シオニスト会議は、ユダヤ人100万人のパレスチナ入国を要求しました。
 8月15日、日本は、無条件降伏・ポツダム宣言受諾を発表し、第2次世界大戦が終了しました。
 8月31日、トルーマン大統領は、イギリスのアトリー首相にユダヤ10万人の即時入国を要求しました。
 10月20日、エジプトほかアラブ3国はイスラエル国家の創設を戦争を招くとアメリカに警告しました。
 10月24日、国連憲章が20カ国の批准完了で発効しました。国際連合が正式に成立しました。
 11月29日、ユーゴ制憲議会は、王制を廃止し、ユーゴ連邦人民共和国を宣言しました。
 12月12日、イランのタブリーズでソ連軍の援助によりアゼルバイジャン自治共和国が樹立しました。
 1946(昭和21)年1月6日、ポーランドは、全産業の国有化を宣言しました。
 1月10日、国連第1回総会がロンドンで開催され、51カ国が参加しました。
 1月11日、アルバニアは、人民共和国を宣言しました。
 2月1日、ハンガリーは、共和国を宣言しました。
 2月9日、スターリンは、第4次5カ年計画を発表しました。
 3月5日、元英首相のチャーチルは、アメリカミズーリ州のフルトンで「鉄のカーテン」と演説しました。
 3月13日、スターリンは、プラウダ紙上で「チャーチルは戦争挑発者」と語りました。
 5月26日、チェコ制憲議会選挙で、共産党が第1党となり、大統領にベネシュが再選されました。
 6月2日、イタリアは、国民投票で王制廃止を決定し、共和国を宣言しました。
 7月1日、アメリカは、ビキニ環礁で原爆の実験を行いました。
 9月1日、ギリシアは、人民投票で王制を支持しました。国民解放戦線は、王制・英軍駐屯に反対して蜂起し、内戦が再開されました。
 9月8日、ブルガリアは、国民投票で王制を廃止し、人民共和国を宣言しました。
 10月1日、ニュルンベルク裁判で、最終判決があり、12人に絞首刑を宣告しました。
 11月10日、フランス総選挙が行われ、共産党186人、人民共和派166人、社会党103人が当選しました。その結果、共産党が第1党になりました。。
 12月16日、フランスでは、ブルム社会党内閣が誕生しました。
 1947(昭和22)年1月16日、フランス大統領にオリオールを選出し、第4共和国が発足しました。
 2月10日、イタリア・ハンガリー・ブルガリア・ルーマニア・フィンランドと連合国の間で、パリ平和条約が調印されました。
 3月12日、トルーマン大統領は、トルコ・ギリシアへの軍事援助を発表しました。こrをトルーマン=ドクトリンといいます。
 4月27日、ユーゴは、経済5カ年計画を発表しました。
 5月4日フランスのラマディエ連立内閣は、内閣から共産党閣僚を排除し、戦後の左翼3党政治が終わりました。
 5月13日、イタリアのガスペリ連立内閣は、共産党閣僚をを排除して再組閣しました。
 6月5日、アメリカのマーシャル国務長官は、ヨーロッパ復興計画を発表しました。これをマーシャル=プランといいます。
 7月12日、ソ連・東欧を除くヨーロッパ16か国は欧州経済復興会議を開催し、ヨーロッパ復興計画(マーシャル=プラン)に参加を決定しました。
 7月、アメリカの外交官であるケナンは、Xの署名で『フォーリン=アフェアーズ』誌7月号に「ソ連の行動の源泉」を発表しました。これが対ソ封じ込め政策の理論となりました。
 9月2日、米州19カ国は、米州相互援助条約に調印しました。これをリオ条約といいます。
 10月5日、欧州の9カ国の党が参加して、欧州共産党情報局の設置を発表しました。これをコミンフォルムCommunist Information Bureau)といいます。
 10月30日、国際貿易会議がジュネーブで開かれ、関税と貿易に関する一般協定(General
Agreement on Tariffs and Trade)に調印しました。これをGATTガット)といいます。
 12月24日、ギリシア北部に国民解放戦線の自由ギリシア政府が誕生し、首班にマルコスが就任しました。
 12月30日、ルーマニアは、王制廃止と人民共和国を宣言しました。
 1948(昭和23)年2月25日、チェコに新民族戦線内閣が誕生し、首班に共産党のゴットワルトが就任しました。
 3月10日、チェコのマサリク外相が亡くなりました。自殺と発表されました。
 3月17日、イギリス・フランス・ベネルクス(ベルギー・オランダ・ルクセンブルグ)の5カ国は、西欧連合条約に調印しました。これをブリュッセル条約といいます。ベネルクス(Benelux)とは、各国の頭文字のBelgië・Nederland・Luxemburgからとった言葉です。
 4月1日、ソ連は、ベルリンの陸上輸送規制を強化しました。ベルリン封鎖が始まりました。
 4月3日、トルーマン大統領は、1948年対外援助法に署名しました。その内容は、マーシャル=プラン援助やトルコ・ギリシア援助として53億ドルを投入するというものです。
 4月16日、西欧16カ国とドイツ西側占領地区は、マーシャル=プラン受入れのため欧州経済協力機構(OEEC)を設立しました。
 4月2日、米州21カ国は、ボゴタ憲章に調印し、米州機構(OAS)を設立しました。
 6月1日、アメリカ・イギリス・フランス・ベネルクス(ベルギー・オランダ・ルクセンブルグ)の6カ国は、ロンドンで会議を開き、ドイツの西側3地区統合・西独憲法作成を決定しました。これをロンドン協定といいます。
 6月14日、チェコの大統領ベネシュが辞任し、後任に共産党のゴットワルトが就任しました。
 6月24日、ソ連は、ベルリン・西側管理地区間の陸上交通を全面封鎖しました。
 6月28日、コミンフォルムは、「ユーゴ共産党の現状に関する決議」を採択し、ユーゴ共産党を除名しました。
 8月25日、ポーランドのウロクラウで平和擁護世界知識人会議を開き、米ソなど45カ国・450人が参加し、「平和と進歩に果たすべき知識人の役割」を確認しました。
 11月2日、トルーマンは、大統領に再選されました。
 11月30日、東ベルリンに新市庁が樹立されました。その後、西ベルリン市庁が発足しました。
 12月10日、国連総会は、世界人権宣言を採択しました。
 1949(昭和24)年1月1日、チェコ・ブルガリアは、経済5カ年計画を開始しました。
 1月20日、トルーマン大統領は、大統領就任演説で、低開発地域開発計画を提唱しました。これをポイント=フォアといいます。
 1月25、ソ連・東欧5カ国は、社会主義国間の経済協力体制である経済相互援助会議を設置すると発表しました。これをセフ、またはコメコンといいます。
 2月22日、フランス共産党のトレーズ書記長は、「仏ソ戦争勃発の場合、フランス共産党はソ連側に立ちソ連軍を歓迎する」と声明しました。
 2月26日、イタリア共産党のトリアッチ書記長も、同様の声明をしました。
 4月4日、西側12カ国は、北大西洋条約機構に調印しました。これをNATONorth Atlantic
Treaty Organization)といいます。
 4月18日、エールは、イギリス連邦より離脱し、完全独立のアイルランド共和国を宣言しました。
 5月6日、西ドイツに、ドイツ連邦共和国臨時政府が成立しました。これを西独といいます。
 5月12日、米英仏ソは、ベルリン封鎖解除を共同声明し、ソ連は、西ベルリン地上封鎖を解除しました。
 8月15日、ハンガリーは、人民共和国を宣言し、後に産業の国有化・5カ年計画を発表しました。
 9月8日、アメリカは、ユーゴに2000万ドルの借款を供与しました。ソ連は、ユーゴとの友好相互援助条約を破棄しました。
 9月23日、トルーマン大統領は、ソ連の原爆実験の事実を公表しました。
 9月25日、ソ連のタス通信は、ソ連の原爆保有を報道しました。
 9月20日、西ドイツで、アデナウアー連立内閣が誕生しました。
 10月7日、ドイツ民主共和国が成立しました。これを東独といいます。首相にグロテヴォールが就任しました。
 11月7日、コスタリカは、常備軍保持を禁止する憲法を公布しました。
 1950(昭和25)年1月31日、トルーマン大統領は、アメリカ原子力委員会に水素爆弾の製造を命令しました。
 2月9日、共和党のマッカーシー上院議員は、国務省に57人の共産党員がいると演説しました。これをマッカーシー旋風、または赤狩りの始まりといいます。
 3月15日、世界平和擁護大会常任委第3回総会は、原子兵器の絶対禁止要求の「ストックホルム=アピール」を発表し、11月までに5億人が署名しました。
 5月9日、フランスのシューマン外相は、西ドイツ・フランス・ザール間の石炭・鉄鋼共同管理案を提唱しました。これをシューマン=プランといいます。
 この項は、『近代日本総合年表』などを参考にしました。
鉄のカーテン、トルーマン=ドクトリン、マーシャル=プラン、コミンフォルム
 個人レベルでも気の合わない人もいます。意気投合する人もいます。
 これが集団を率いると、集団力学といって、相手の集団を意識して、つまらぬトラブルが生じます。
 資本主義と社会主義は水と油です。当然、様々な要素が絡み合って、複雑な人間模様を奏でます。
 これは避けれない人間の性なのでしょうか。
 1946年3月、イギリスの前首相であるチャーチルは、アメリカのミズーリ州フルトンで、「北はバルト海のシュテッティンから南はアドリア海のトリエステに至るまで、ヨーロッパを横断して鉄のカーテンが下ろされている。」と演説しました。これは、共産主義の脅威に対抗して英米が協力することを強調したものです。「冷たい戦争」を指摘した第1号といえます。
 トルーマン=ドクトリン(Truman Doctrine)を紹介します。Doctrineには信条・主義・政策・基本外交政策などの意味があります。トルーマンは当然アメリカの大統領です。
 トルーマン大統領は、1947年3月の議会への一般教書演説で次のように主張しました。
 「ギリシアは今日、国家の存在そのものを、諸地域特に北方の境界地方で、共産主義者に指導され、政府の権威を無視する、幾千人が武装した暴力主義者の活動によって脅かされております。ギリシアの隣国トルコもまた、われわれの注目に値するものであります。全体主義体制を強制しようとする侵略的な運動に対抗して、自由な制度と国家の保全を維持しようとする自由国民を進んで援助しなければ、われわれの目的は実現しないでありましょう」
 そして、「もしギリシャとトルコが必要とする援助を受けなければヨーロッパの各地で共産主義のドミノ現象が起こるだろう」と訴え、4億ドルを援助するよう議会に要請しました。その意図は、ソ連の「封じ込め政策」であり、冷戦の宣戦布告といえます。
 アメリカのジャーナリストであるリップマンは、「冷たい戦争」と表現しました。
 この要請が議会で許可された結果、アメリカは、東地中海を支配してきたイギリスに代わって、ヨーロッパの覇者への道を歩むことになりました。
 次にマーシャルプラン(Marshall Plan)を紹介します。マーシャルは、アメリカの国務長官、つまり外相です。
 マーシャル国務長官は、1947年6月のハーバード大学の卒業式で、「少なくともここ2、3年間、欧洲では需要のほうが支払い能力をはるかに越えるであろう。世界に正常で健全な経済を取り戻させるのを援助するために、合衆国がなしうることをつくすのは当然である。健全な経済なくしては政治的安定も、恒久平和もありえない」と演説しました。
 ここでいう「正常で健全な経済」とは、資本主義経済のことであり、欧州の共産主義化を防ぐためには、アメリカは様々な援助を行い、アメリカ陣営に留めるという意図です。その結果、1951末までに、総額125億ドルが投入されました。その結果、西欧16カ国は、工業生産・生活水準は戦前を上回るほど経済が回復しました。
 同時に、東西の冷戦を激化させました。
 1947年10月、ソ連は、マーシャル=プランを「アメリカ帝国主義政策」と規定して、「帝国主義への闘争」とし、コミンフォルムを結成して、ソ連・ポーランド・チェコスロヴァキア・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・ユーゴスラヴィア及びフランス・イタリアの欧州9カ国の共産党を結集しました。
 1948年2月、西寄りの路線をとってきたチェコスロバキアでは、マーシャル=プランをめぐって容認派と否定派が対立し、否定派がクーデタを起こして、共産党政権を誕生させました。これをチェコスロヴァキア=クーデターといいます。
 1948年3月、バルカンの盟主を自負するユーゴスラヴィアは、ソ連が自国の利益の為にユーゴスラヴィアへの武器供与や経済支援を意図的に遅らせていることを非難し、自力での国防力強化・経済発展を行う方針を打ち出しました。そこで、ソ連は、軍事顧問団・民間専門家の引き上げました。6月、コミンフォルム大会は、ユーゴスラヴィアをコミンフォルムから除名しました。
 1948年3月、チェコスロヴァキアに共産党政権が成立したことで、イギリス・フランス・オランダ・ベルギー・ルクセンブルクの西欧5カ国は、危機感から、ブリュッセル条約を結びました。これは後のNATO(北大西洋条約機構)に発展します。

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