print home

エピソード

276_04

第一回紅白歌合戦
 私は、2011年の春に69歳を迎えました。1942年に生まれました。
 高校生の時、芥川龍之介の本の中の一節「人間は死ぬのが怖いから生きているのだ」が強く印象に残っていました。あるいは、鴨長明の「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」の無常感にも共鳴しました。
 そこで得た教訓は、「人間は、日々、死に至る存在だ」「だから日々を大切にせよ」でした。
 物心ついてから現在まで、どれほどの日本の歌(勿論洋盤も)と接したことでしょうか。嬉しい時や悲しい時、寂しい時や、騒いだ時に聞いたり、唄ったりしたことだろう。
 ここで、紅白歌合戦を通じて、私の人生を振り返ってみたいと思います。主観的人生観です。
紅組 白組
歌 手     曲 名 歌 手     曲 名
菅原都々子   憧れの住む町 鶴田六郎   港の恋唄
暁テル子   リオのポポ売り 林伊佐緒   銀座夜曲
菊池章子   母紅梅の唄 近江俊郎 湯の町エレジー
赤坂小梅 三池炭坑節 鈴木正夫 常磐炭坑節
松島詩子 上海の花売娘 楠木繁夫   紅燃ゆる地平線
二葉あき子   星のためいき 東海林太郎 国境の町
渡辺はま子   桑港のチャイナタウン 藤山一郎 長崎の鐘
◎は私が唄える曲名です。
 NHKの第1回紅白歌合戦(私9歳)は、今と違って、1月3日、ラジオ番組(当然ですが‥‥)として、放送されました。時間は20時から21時までの1時間の生放送でした。当時は殆どが生放送でしたから、珍しくも何もありません。
 出演者は以上の通りです。敗戦の年(1945年)にレコードを出した歌手は、霧島昇・近江俊郎・伊藤武雄・安西愛子などです。
 審査委員はNHK芸能局長と音楽評論家の吉本明光、聴取者代表の男女各2名で構成されていました。
 以上のことからも分かるように、「第1回NHK紅白音楽合戦」ではじまりました。
 出演した歌手も何の説明もないまま、男女が交互に唄わされたと証言しています。それが、日本で最も噂になる音楽祭になるとは夢にも思わなかったといいます。
この項はWikipediaなどを参照しました。感謝いたします。
第一回紅白歌合戦の思い出
 物心ついた時、私の家には、古ぼけたラジオがありました。外で遊ぶことが多く、室内の楽しみは読書とラジオを聴くことでした。
 「いいなー」と思って聞き入ったのが、「たびのつばくろ さみしかないか」で始まる歌でした。これが私の歌謡曲との出会いの初めです。
 のちに、調べてみると、1933(昭和8)年発売の『サーカスの唄』で、作詞:西條八十・作曲:古賀政男・歌手:松平晃でした。歌詞全文を紹介すると、以下のとおりです。

旅の燕 寂しかないか
おれもさみしい サーカスぐらし
とんぼがえりで 今年もくれて
知らぬ他国の 花を見た

あの娘住む町 恋しい町を
遠くはなれて テントで暮らしゃ
月も冴えます こころも冴える
馬の寝息で ねむられぬ

朝は朝霧 夕べは夜霧
泣いちゃいけない クラリオネット
ながれながれる 浮藻の花は
明日も咲きましょ あの町で

*燕(つばくろ)
 この歌と非常によく似ているのが、1951(昭和26)年発売の『越後獅子の唄』で、作詞:西條八十、作曲:万城目正、歌手:美空ひばりでした。歌詞全文を紹介すると、以下のとおりです。

笛にうかれて 逆立ちすれば
山が見えます ふるさとの
わたしゃ孤児(みなしご) 街道ぐらし
ながれながれの 越後獅子

今日も今日とて 親方さんに
芸がまずいと 叱られて
撥(バチ)でぶたれて 空見上げれば
泣いているよな 昼の月

うつや太鼓の 音さえ悲し
雁が啼く啼く 城下町
暮れて恋しい 宿屋の灯
遠く眺めて ひと踊り

ところ変われど 変わらぬものは
人の情の 袖時雨
ぬれて涙で おさらばさらば
花に消えゆく 旅の獅子

*孤児(みなしご)
 『サーカスの唄』や『越後獅子の唄』の作詞は、プロの作詞家:西條八十です。一つ一つに心を動かす言霊を感じます。情景を想像して、今もジワーツと涙がこみ上げます。

index print home