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エピソード

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保守長期政権と対米協調V(佐藤栄作内閣、黒い霧事件)
 ここでは、1966(昭和41)年〜1967(昭和42)年までを扱います。
 1964(昭和39)年11月9日、@61佐藤栄作内閣が誕生しました。
 1966(昭和41)年1月15日、椎名悦三郎は、外相として初のソ連訪問を果たしました。
 1月19日、昭和40年度財政処理特別措置法が公布されました。これは赤字国債を発行するための法律です。
 1月21日、モスクワで、日ソ航空協定・日ソ貿易協定が調印されました。
 1月29日、戦後初の赤字国債2590億円が発行されました。
 2月4日、全日空ボーイング727型機が東京湾に墜落し、133人全員が死亡しました。
 2月14日、佐藤首相は「安全が確認されればアメリカの原子力空母の寄港を認める」と答弁しました。
 2月19日、佐藤内閣は、衆議院予算委員会で、「核のカサ」についての統一見解を発表しました。
 3月5日、羽田発のBOAC機が富士山上空で空中分解して墜落し、124人全員が死亡しました。
 3月7日、佐藤内閣は、紀元節を復活させるための祝日法改正案を衆議院に提出しました。
 3月10日、佐藤首相は、参議院予算委員会で、「沖縄防衛に日本も参加」と答弁しました。
 3月11日、社会党は、「沖縄防衛参加は自衛隊の海外派兵につながる」と発言取消し要求し、審議が中断しました。
 3月16日、佐藤首相は、「法律・条約上、沖縄に自衛隊は出動できない」と答弁しました。
 3月25日、佐藤内閣は、明治100年記念事業を国家規模で行うと決定しました。
 3月31日、日本の人口が1億人を突破しました。
 4月14日、中国の郭沫若は、文化革命支持と自己批判を表明しました。
 4月26日、アメリカ国防総省は、「ベトナム戦争に聖域なし」と発表しました。
 5月9日、日米協議で、沖縄の旅券国籍欄を「琉球人」から「日本人」とすることで合意しました。
 5月11日、明治100記念準備会議が発足し、議長に佐藤栄作が就任しました。そして、「1968年10月23日を式典日にする」ということを決定しました。
 5月27日、社会・民社・公明・共産の4党は、小選挙区制反対で共闘することを表明しました。
 5月28日、椎名外相は、インドネシア副首相に対して、3000万ドルの緊急援助供与を発表しました。
 5月28日、国連は、世界の人口が32億人に達したと発表しました。
 5月29日、 中国の精華大学付属中学校に、「紅衛兵」組織が結成されました。
 5月30日、米原子力潜水艦スターク号が横須賀に初入港しました。
 6月14日、ソウルで、アジア太平洋閣僚会議が開催され、ASPACが設立されました。
 6月25日、国民の祝日に関する法律改正が公布されました。その結果、「9月15を敬老の日、10月10日を体育の日、建国記念の日は6か月以内に政令で定める」ことが決定しました。
 6月29日、米軍機がハノイ・ハイフォンを爆撃しました。
 6月30日、ザ・ビートルズが日本武道館で公演しました。
 7月4日、佐藤内閣は、閣議で、新東京国際空港建設予定地を成田市三里塚に決定しました。
 7月8日、佐藤内閣は、建国記念日審議会を設置しました。
 7月10日、成田空港の建設決定に対して、三里塚・芝山連合空港反対同盟が結成されました。
 7月17日、北ベトナムのホー・チ・ミン大統領は、ラジオ放送を通じて、アメリカの侵略に対して、徹底抗戦を呼びかけました。
 7月22日、経済企画庁は、経済白書「持続的成長への道」を発表しました。
 7月24日、ソ連のグロムイコ外相が来日しました。
 8月1日、佐藤首相は、第2次内閣改造を行いました。文相に有田喜一、農相に松野頼三、運輸相に荒船清十郎、建設相に橋本登美三郎、官房長官に愛知揆一、北海道開発庁長官に前尾繁三郎、防衛庁長官に上林山栄吉らがしゅうにんしました。人気浮揚策として官房長官にニューライトの宮沢喜一を起用しようとしましたが、拒否されたので、佐藤首相の腹心である愛知揆一を抜擢しました。
 8月5日、東京地検は、虎ノ門国有地払下げをめぐり、国際興業社主小佐野賢治から2億4000万円を脅し取ったとして、自民党の田中彰治衆議院決算委員長を逮捕しました。これを@田中彰治事件といいます。
 8月6日、ワシントン・ニューヨークなどで、大規模なベトナム反戦デモが行われました。
 8月19日、アメリカの下院非米活動委員会は、ベトナム反戦運動聴聞会を、混乱のうちに打ち切りました。
 8月26日、紅衛兵運動が中国全土に拡大しました。北京市内のカトリック系聖心学院を閉鎖し、外人宣教師らを吊るし上げる事件が発生しました。
 8月31日、北京で紅衛兵50万人の集会が開かれ、周恩来首相らが演説しました。林彪国防相は「武闘」より「文闘」で権力派を打倒と演説しました。各地区紅衛兵代表は「毛沢東万歳」を繰り返しました。
 9月2日、防衛庁長官の上林山栄吉は、大臣就任後に鹿児島へお国入りしました。その時、統幕議長や陸海空の3幕僚長を従え、航空自衛隊のYS11型機で帰郷しました。さらに、同級生や後援者を秘書名目で同機に同乗させたことも発覚しました。これをA公私混合お国入り問題といいます)。
 9月3日、新聞各紙は、「運輸大臣の荒船清十郎は、自選挙区の埼玉県深谷駅に急行列車が停まるよう国鉄にダイヤ改定を圧力」と報道しました。これをB急行停車問題といいます。
 9月7日、石川島播磨重工業は、タンカー出光丸20万9000トンの進水式を行いました。巨大タンカー時代といわれます。
 9月17日、紀元節復活反対国民集会が開かれました。
 9月27日、共和製糖は、重政誠之が農林大臣の時に、払下を受けた国有林を担保に、農林中央金庫から不正融資を受けていた事が発覚しました。
 9月27日、社会党は、参議院決算委員会で、共和製糖への農林中金などからの不正融資問題を追及しました。これをC共和製糖事件といいます。
 10月10日、空港公団は、機動隊2000人を動員して、空港建設予定地に杭打ちを強行しました。
 10月11日、運輸相の荒船清十郎は、国鉄ダイヤ改正の際、選挙区の埼玉県・深谷駅に急行を停車させた問題で辞職しました。
 10月19日、農相の臣松野頼三は、新婚の娘夫婦とナッソー・ラスベガスなど外国観光地巡りを官費旅行として申請していた事が発覚しました。これをD公私混合官費旅行といいます。
 10月20日、佐藤首相は、衆議院予算委員会で、綱紀粛正の所信表明を行いました。
 10月23日、中国共産党中央委工作会議で、劉少奇とケ小平が自己批判しました。
 11月16日、自民党の綱紀粛正調査会は、「黒い霧」疑惑の調査結果をまとめました。
 11月17日、松野農相は参議院決算委員会で、共和精糖に対する融資の調査結果を報告しました。
 11月18日、自治相の塩見俊二は共和精糖グループから献金を受けた政治家11人を公表しました。
 11月19日、社会党は、共和精糖の菅貞人社長を告発しました。
 11月22日、文部省は、全国一斉学力テストを中止しました。
 11月29日、国防会議は、第3次防衛力整備計画大綱を決定しました。
 11月30日、共和精糖の菅貞人社長は、株主総会で正式に辞任しました。
 12月1日、自民党総裁選で、佐藤栄作は、藤山愛一郎を破って3選果たしましたが、批判票は3分の1を越えました。
 12月2日、衆議院の山口喜久一郎議長は、東京大証社長の結婚式で、仲人を務めていたことが発覚しました。東京大証社長は、インチキ手形問題で、三億円を詐欺していたので、山口喜久一郎は衆議院議長を辞任しました。これをE東京大証社長仲人問題といいます。
 12月3日、佐藤首相は、第3次内閣改造を行いました。法相に田中伊三次、外相に三木武夫、蔵相に水田三喜男、文相に劒木亨弘、厚相に坊秀男、農相に倉石忠雄、運輸相に大橋武夫、建設相に西村英一、官房長官に福永健司、経済企画庁長官に宮沢喜一、北海道開発庁長官に二階堂進、防衛庁長官に増田甲子七らが就任しました。旧池田派の福永健司・宮沢喜一を取り込み、幹事長の田中角栄を更迭して、後任に福田赳夫が就任しました。その結果、佐藤栄作・岸信介・福田赳夫の主流派が中心となったので、右翼片肺内閣と呼ばれました。
 12月3日、社共両党欠席のまま、第53回臨時国会が開会されました。
 12月5日、野党4党は、国会解散に追い込むと共同声明を出しました。
 12月7日、衆議院が解散されました。これを黒い霧解散といいます。@Eまでが黒い霧です。しかし、政府・与党から結局ひとりの有罪者も出さず、自民党への国民の信頼は失墜しました。
 12月8日、東京地検特捜部は、共和精糖グループの全国40カ所で家宅捜索を行いました
 12月8日、建国記念日審議会は、「建国記念の日を旧紀元節の2月11日」と答申しました。
 12月9日、2月11日を建国記念の日とするという政令を公布しました。国民文化会議・紀元節問題懇談会などは、これに対して、抗議声明を出しました。
 この年 国債発行による好景気。自動車生産高世界3位になる。
 1967(昭和42)年1月9日、アメリカ国防省は、ベトナム参戦の米軍47万3000人と発表しました。
 1月10日、アメリカのジョンソン大統領は、予算教書でベトナム戦争の継続と増税を提案しました。
 1月24日、日本共産党は、『赤旗』で、中国共産党からの批判に対して、初めて公然と反批判を行いました。文化大革命をめぐって日中共産党の対立深まったことを意味します。
 1月25日、琉球立法院の文教社会委員会は、勤務評定実施と教員の政治活動禁止を目的とする教法2法を採択しました。
 1月26日、劉少奇国家主席は、大衆の面前で、毛沢東語録の暗唱を強制させられました。
 1月29日、@31衆議院議員総選挙が行われ、自民党277人、社会党140人、民社党30人、公明党25人、共産党5人、無所属9人が当選しました。自民党は、得票率で、初めて50%を割って48.8%に落ち込みましたが、議席獲得は56.9%で277人を当選させました。黒い霧解散にもかかわらず、自民党は善戦し、「大山鳴動して鼠一匹も出ず」といわれました。また、公明党が衆議院で初進出を果たしました。
 2月6日、ベトナムで、アメリカ空軍が「枯葉作戦」を開始しました。
 2月8日、東京地検特捜部は、共和精糖事件に関して、前社長の菅貞人ら同社役員と、重政誠之議員の秘書を業務上横領などの容疑で逮捕しました。
 2月11日、初めての「建国記念の日」で記念式典が行われ、紀元節復活をめぐり祝賀と反対の声がおこりました。
 2月13日、公明党大会は、委員長に竹入義勝、書記長に矢野絢也を選出しました。
 2月17日、@62第二次佐藤栄作内閣が誕生し、全閣僚が留任しました。
 2月24日、琉球で、教法2法に反対する2万人のデモで、琉球立法院本会議が流会となりました。その結果、教法2法案は廃案となりました。
 3月18日、共和製糖事件で、東京地検は、社会党の相沢重明参議院議員を取り調べました。容疑は、共和製糖に対する不正追及をめぐり、共和精糖及び同社と対立する業界団体「日本ぶどう糖工業会」双方から現金を受取ったというものです。
 3月20日、社会党は、相沢重明議員を除名処分としました。
 3月23日、東京地検特捜部は、共和製糖事件で、相沢重明を在宅起訴しました。
 3月29日、住民が自衛隊の通信線を切った恵庭事件で、最高裁が無罪判決を下しました。しかし、自衛隊の違憲の判断はしませんでした。
10  4月5日、岡山大の小林純教授は、「イタイイタイ病の原因は三井金属神岡鉱業所の排水である」と発表しました。
 4月15日、第6回統一地方選挙が行われ、東京都知事に社・共推薦の美漉部亮吉は、自民・民社推薦の松下正寿を破って当選し、初の革新都政が誕生しました。自民党は、府県議選でも都市部で後退し、都市間題対策の検討を開始しました。
 4月21日、佐藤首相は、衆議院予算委員会で、武器輸出3原則を言明しました。それは、共産圏・国連決議で禁止している国・紛争当事国への武器輸出を禁止するというものでした。
 4月28日、世界ヘビー級チャンピオンのカシアス・クレイは、徴兵宣誓を拒否して、世界ボクシング協会からタイトルを剥奪されました。
 5月3日、韓国で、朴正煕が大統領に再選されました。
 5月10日、バートランド・ラッセル主唱の「ベトナム戦犯裁判」がストックホルムで開かれ、アメリカに有罪判決を下しました。
 5月24日、最高裁は、朝日訴訟の判決で、「健康で文化的な最低限度の生活の判断は厚生大臣に裁量権がある」との判断を示しました。
11  6月6日、佐藤内閣は、閣議で、資本取引自由化を決定しました。
 6月16日、佐藤内閣は、選挙区内での寄付を禁止するなどの内容を盛りこんだ政治資金規制法改正等を国会に提出しましたが、自民党の審議引延しにより廃案となりました。
 6月21日、民社党大会は、委員長に西村栄一、書記長に春日一幸を選出しました。
 6月23日、東京教育大学の家永三郎教授は、国を相手に教科書不合処分取消の行政訴訟を起こしました。これを第2次教科書裁判といいます。
 6月30日、佐藤首相は、朴正熙大統領就任式に参加のため、韓国を訪問しました。これは首相として初の訪韓です。
 8月3日、公害対策基本法が公布されました。企業の無過失責任は立法過程で削除され、「経済の健全な発展との調和」を内容とする公害対策法は骨抜きとされました。
 8月3日、アメリカのジョンソン大統領は、増税10%とベトナム増派4万5000人を提案しました。
 8月5日、天安門前広場で、紅衛兵による反実権派100万人集会が開催されました。
 8月20日、社会党大会は、委員長に勝間田清一、書記長に山本幸一を選出しました。
12  9月1日、四日市のぜんそく患者9人は、石油コンビナート6社に対して、慰謝料請求の訴訟を起こしました。
 9月3日、南ベトナムで、グエン・バン・チューが大統領に選出されました。
 9月7日、アメリカ代理大使は、外務省に対して、原子力空母エンタープライズの寄港を申入れました。
 9月7日、佐藤首相は、台湾を訪問しました。
 9月20日、佐藤首相は、ビルマなど東南アジア5カ国を訪問しました。
 10月8日、佐藤首相は、東南アジア・オセアニアを訪問しました。この時、南ベトナム訪問に反対した反代々木系全学連の抗議デは、羽田空港に通じる3つの橋の付近で。警官隊と衝突し、京大生1人が死亡しました。これを第1次羽田事件といいます。
 10月16日、アメリカ30都市で、ベトナム戦争の終結を訴えるデモが起こりました。
 10月20日、元首相の吉田茂が亡くなりました。
 10月21日、ベトナム人民支援国際統一行動が行われ、国内44都道府県370カ所で150万人が参加しました。
 10月29日、ベトナム反戦をテーマにしたミュージカル「ヘアー」がブロードウェーで初演されました。
 10月31日、元首相の吉田茂の葬儀は、戦後初の国葬として執り行われました。
13  11月1日、八郎潟干拓地への入植が始まりました。
 11月2日、那覇市で沖縄即時無条件返還要求県民大会が開催され、10万人が参加しました。
 11月2日、佐藤内閣は、原子力空母エンタープライズの寄港承認を米に通告しました。
 11月12日、佐藤首相が訪米しました。この時、抗議デモは、警官隊と衝突しました。これを第2次羽田事件といいます。
 11月13日、ベ平連は、横須賀に入港していた米空母イントレピットから4人の兵士が脱走したことを発表しました。4兵士は、ソ連経由でスウェーデンに亡命しました。
 11月15日、日米共同声明が発表され、小笠原諸島の1年以内の返還が確認されました。沖縄返還の時期は明記せず、中国封じ込め・ベトナム戦争支援での日本の積極的役割が約束されました。
 11月16日、野党各党は、共同声明に抗議し、沖縄では7万人の抗議県民大会が開かれました。
 11月25日、佐藤首相は、内閣を改造しました。文相に灘尾弘吉、厚相に園田直、農相に西村直巳、通産相に椎名悦三郎、運輸相に中曽根康弘、建設相に保利茂、行政管理庁長官に木村武雄らが就任しました。幹事長には福田赳夫が留任し、田中角栄は要職に就けませんでした。
 11月27日、アメリカのロバート・マクナマラ国防長官が辞任しました。
 12月11日、佐藤首相は、衆議院予算委員会で、小笠原返還に伴い米の核持込みを危惧する社会党成田知巳の質問に答え、「核を製造せず、持たない、持ち込みを許さない」の非核3原則を言明しました。
 12月20日、タクシー汚職で、自民党の関谷勝利議員に対する逮捕許諾請求が出されました。
 12月22日、衆議院本会議は、関谷勝利議員に出された逮捕許諾請求に許諾の議決を行いました。
 この項は、『近代日本総合年表』などを参考にしました。
共和精糖事件と国会を利用した脅迫事件
 デジタル時代またはインターネット時代は、本当に素晴らしい。
 共和精糖事件について、相澤議員が国会で、特定の企業・人物を槍玉に挙げて、その裏で、「国会で追及されたくなかったら、お金を出せ」と言ったということになっています。
 どのように国会で追及したかが分からなければ、迫力ある追体験は出来ません。しかし、1966年2月23日の参議院決算委員会の会議録が公開されていました。
 決算委員会の藤原道子委員長、農林省の後藤義隆政務次官、大蔵省の竹中恒夫政務次官、通商産業省の堀本宜実政務次官、農林漁業金融公庫の清井正総裁、中小企業金融公庫の舟山正吉総裁、食糧庁の武田誠三長官、国税庁の中嶋晴雄次長、農林中央金庫の大山田晋理事らが出席し、答弁させられています。
 最初は、精糖とブドウ糖の国家的見地からの質問ですが、不正融資があったのではないかという形にしていますが、骨子は、共和精糖の社長の菅貞人への個人攻撃です。最後は、中小企業や融資した会社の雇用状況を聞いて、お茶を濁しています。
 少し長文ですが、アップします。本文は、この4倍もありました。
○委員長(藤原道子君) それでは、質疑のある方は順次御発言を願います。
○相澤重明君 日産七十トンの工場、いわゆるそういう規模のものが、七十七億もの建設資金を必要としますか。
○政府委員(武田誠三君) 共和製糖及び東洋果糖におきまして、細島におきまして、一般の輸入糖によります精製糖、それとあわせましてブドウ糖の製造をするということで、それら全体の資金としては大きな金が必要であるということでございます。
○相澤重明君 共和精糖、いわゆる共和糖化、あるいは東洋果糖等がいわゆる一緒になって仕事をすればそういう大きな計画になる、こういうことですね。
○政府委員(武田誠三君) 当初の細島のコンビナート関係といたしまして、第一期工事の事業費としては、精製糖工場の関係で十五億、それからブドウ糖果糖工場関係で二十九億、合計いたしまして四十四億というように承知をいたしております。
○相澤重明君 一社でやるのか、数社でやるのかということです。
○政府委員(武田誠三君) ただいま私が申し上げました四十四億は、二社でございます。
○相澤重明君 その二社というのは、どことどこですか。
○政府委員(武田誠三君) 共和製糖と東洋果糖でございます。
○相澤重明君 このいわゆる九州のコンビナートをつくる、その第一期計画を終わった後に、昨年の――四十年の十一月二十五日に関係の会社は合併をしたのじゃないですか。・・・一社になっている、こういうふうに私は承知をしている。・・・その一社のためにいま幾らの金を貸しているのですか。清井総裁、共和精糖に何億金を貸しておりますか。
○参考人(清井正君) 私どもに出てまいりましたブドウ糖の計画といたしましては、十三億四千八百万余のいわゆる全体の事業計画でございました。その中で、私どものほうで貸し付けをいたしておりますのは五億でございます。
○相澤重明君 その申し込みは幾らなんですか。
○参考人(清井正君) 八億程度の融資申請があったものと記憶いたしております。しかし、私のほうには資金ワクの関係がございますので、この融資申請に対しまして、五億と一応査定いたしまして、五億のうち四億をお貸ししたということでございます。
○相澤重明君 食糧庁にお伺いしますが、そのほかにこの四十四億の中にどことどこが幾ら貸し付けをきめられておるんですか。
○政府委員(武田誠三君) 日本開発銀行から精糖工場建設資金といたしまして八億円、それから農林漁業金融公庫からは、ただいま清井総裁からお話がございましたとおりでございます。・・・第一期の事業をいたしますに際しまして、市中銀行からどれだけを期待したい、自己資本をどの程度充当したいということにつきましては、計画は承知いたしております。その数字を申し上げますと、精糖工場の関係では、開銀から八億、市中銀行から四億、それから自己資金として三億を充てたい、それからブドウ糖及び果糖関係につきましては、農林漁業金融公庫から八億の融資を受けたい、それから農林中央金庫から十億、自己資金から十一億というものの資金の供給を受けあるいは自己資本を充当したいという計画であるということは、承知をいたしております。
○相澤重明君 参考人の農林中金にお尋ねいたしますが、いま食糧庁長官の言うように、第一期計画四十四億の中に農林中金としては幾ら貸しておるんですか。
○参考人(大山田晋君) 現在のところ、十億の融資をいたしております。
○相澤重明君 そこで国税庁長官にお尋ねをするわけでありますが、現在こういう大きな事業を営んでおる会社等の税金というものは、納められておるのだろうか、納められていないのだろうか。
○説明員(中嶋晴雄君) 三十八年九月期決算では、相当程度の欠損申告をいたしております。
○相澤重明君 この共和精糖がそもそも誕生をいたしたのは、昭和二十八年ころだと記憶をしておるわけです。当町は資本金が九百万・・・当時砂糖業界等は、こういう関係の業界は百二十三社あった。しかし、そのうち番付からいけば、びりから一番目か二番目で、決していいところではなかった。ところが、その共和精糖は年間二千万円前後の小さい会社であったのが、今日九州の宮崎県細島甘味総合コンビナートができると、世界で四大工場の一つになるのです。
 この共和精糖の代表者は、これは菅貞人さんという社長なんですよ。この人は三十四年には共和精糖の社長、三十六年が共和糖化工業の社長、三十八年同じく東洋果糖の社長、三十九年が社団法人日本ブドウ糖工業会会長・・・京浜糖業、これは三十三年にたしかできたと思うのです。で、そのときは、代表者は必ずしも菅さんではなかったと思うのですが、三十四年に菅さんが社長になっていると思う。・・・その後、この京浜精糖は三十四年に社名を広島商事と変更して、もと、私どもの同僚の参議院副議長をやっておりました重政君、この前ピストル事件で秘書がだいぶやかましく言われましたが、あの御兄弟の重政さん、その秘書の田中さん、その人のところに置いたのじゃないですか、これは。そこへ行ったんじゃないかと思うのですがね。
 このことを見ますと、この菅さんという人は、実に腕のいいりっぱな人で、日本の糖業界に非常に貢献をした人であるが、借金もじょうずだったということが言えるわけです。しかし、それだけに、本社を、こういう会社がそれぞれ転々としておったときに、金を借りることがじょうずだったが、一体、税金を納めておっただろうか。国税庁長官は、少なくとも先ほどの御答弁では、会社はつくったけれども、赤字であって、繰り越し赤字がある、こういうことで、おそらく税金の対象にはならぬ。ところが、見てみると、これはこまかい資料ですから―私もずっと調べてみたが、あとを追ってみると、実にじょうずに金を借りておる。しかも、先ほどの清井総裁のお話ではないけれども、農林漁業金融公庫というのは国の出資である。国民の税金である。もし、一銭も税金を納めておらないような会社に、国の金が貸されておったら、一体、どういうことになるか。まあ、おそらく、そんなことはないと私は思うのです。ないと思うけれども、もし、いま国税庁長官が―これは共和精糖の話だけを、一つしたが、もし、そういうことになったら、私は、国民のたてまえとしてたいへんなことじゃないか。この 関係の会社が、それぞれが本社を転々として移り、金融機関からは金を借りて仕事をしておるけれども、国には税金を納めていなかったというようなことになったらどうなるか。こういうところに法律の盲点、あるいはこういう金融界の盲点、これを巧みに利用したということになって、その人が頭がいいということになってしまえば、それは私はもう話は終わりだと思うのです、そうですね。
 そこで、現在の共和糖化工業あるいは共和精糖は、先ほどの国税庁長官の話も含んで、清井総裁にお尋ねしておきたいのは、債権は全部確保してあるわけですね。あるいは、その返済というものはきちっと行なわれておる、あるいは計画はどうなっておるか、こういうことを少し御答弁いただきたい。
○参考人(清井正君) ただいまお話のうちの東洋果糖の分につきましては、ただいま工場ができました暁におきましては、工場財団を設定いたしまして、全部これを担保に入れるということは、私どもの担保をとる通例でございますのでいたしますけれども、その間は、私どもは、できた施設と土地と全部そのつど担保に入れております。したがいまして、今後施設ができ次第、私どものほうで担保に入れまして、債権管理に万全を期したいと思っております。その他、千葉でやっております共和糖化にも私どもは融資をいたしておりますが、その分につきましても、他の私どもが融資をいたしまするものと同様に、保証人は全部関係者を保証人にとり、担保も融資対象その他関係会社等の全部財団を設定いたしまして、抵当権を設定いたしておる現状でございます。
 なお、この返済の問題でございますが、東洋果糖につきましては、だいぶ前でございますが、当初七億一千万貸し付けをいたしたのでございますが、現在の残高は六億四千万円に減っております。しかし、ごく最近非常に糖価が低迷いたしておりまして、経営が若干苦しくなってまいりましたと見えまして、ここ一、二回ばかり延滞をいたしておる状況でございます。
○説明員(中嶋晴雄君) ただいま京浜糖業等、多数の分社のお名前をお出しになりましたが、私ども、これはおそらく税務署で所管しておる法人であろうと思います。ただいまどういう課税状況になっておったか、資料を持っておりませんので、調べまして御返事申し上げたいと思います。
○相澤重明君 農林中金は、これは担保をとってありますか、内容を説明してください。
○参考人(大山田晋君) ただいまの設備資金につきましては、対象工場の土地その他の完成部分につきまして、抵当権を設定いたしますとともに、それ以外の土地その他の不動産につきまして、十分担保をとってございます。
○相澤重明君 少なくとも農林中金は農民の金ですから、大切にして、それで欠損のないように、それから政府関係機関の漁業公庫のほうのいまの清井総裁の答弁で、ここ一、二回の延滞がある。しかし、これは取れないことはないわけですね、延滞ということだから。そういうことで欠損のないように、これは決算委員会ですから、国損を与えるということは一番いけないことなんで、国損のないように処置してもらいたい。
 それから通産省には、農林省と一緒になってひとつ相談をしてもらいたい。・・・いかにしてこの中小企業の人たちを含んだこれらの業者の諸君をつぶさないようにしていくかということを検討してください。どういうふうにやったらいいかということを次に御検討になったものを資料として御提出ください。
 そこで、従業員はどの程度の人数で、どれくらいの賃金で九州の労働者を雇用するのかということをひとつ資料で御提出ください。
 きょうは他の質問者が多いので、資料要求だけをして、あとでまた再質問いたしますから、以上のそれぞれの各機関に資料を要求をしておきますので、委員長からお取り計らいを願いたいと思う。
 以上であります。
○委員長(藤原道子君) ただいまの相澤委員からの資料要求に対しましては、すみやかに御提出願いたいと思いますが、よろしゅうございますか。
○説明員(中嶋晴雄君) 守秘義務等の関係もございますので、どの程度かということを御報告申し上げますが、この点は御了承願いたいと思います。
○委員長(藤原道子君) 農林省その他、資料よろしゅうございますか。
○政府委員(武田誠三君) できるだけ至急に提出いたしたいと思います。
○政府委員(堀本宜実君) 輸入糖果、粗糖等の関係もございますので、私のほうと農林省とで協議をいたしまして、農林省のほうから御提出いただくことになるかとも存じまする。

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