print home

エピソード

283_01

経済の高度成長(岩戸景気、いざなぎ景気)
 ここでは、1959年〜1973年を扱いますから、経済の高度成長が対象となります。
 戦後、日本では、戦争による特需が2度ありました。1つは朝鮮戦争の時です。もう1つはベトナム戦争の時です。
 下記の表を見ると、アメリカの対日援助に代わって、朝鮮戦争による戦争特需が出てきて、増加していることが分かります。朝鮮戦争後も、3〜4億ドルの復興特需がありありました。その後、ベトナム戦争により5億ドルに膨張しています。
1946年〜1967年までのアメリカの対日援助(A)とアメリカの対日特需(B):単位は億ドル
  46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67
A 2.0 4.0 4.5 5.0 3.5 2.0                                
B         2.5 6.5 7.5 7.0 5.0 4.8 5.0 4.0 3.5 3.5 4.0 3.5 3.5 3.1 3.0 3.5 4.5 5.0
朝鮮戦争 ベトナム戦争
 1959年〜1973年の実質成長率の10%以上を調べてみました。15年間の間に8年間が超えています。ベトナム戦争による特需も影響していますが、高度成長経済政策の影響の方が大きいといえます。
実質経済成長率
47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66
8.6 12.7 2.1 11.0 13.0 10.9 7.4 3.7 11.0 7.4 6.4 7.2 9.2 13.3 11.8 8.6 8.7 11.1 5.7 10.3
67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86
11.1 11.9 12.0 10.3 4.5 8.6 8.1 -1.4 3.2 4.0 4.4 5.4 5.6 2.7 2.8 3.2 2.3 3.8 4.6 2.9
87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02
4.4 6.5 5.2 5.2 3.3 1.0 0.3 1.0 1.9 3.4 1.8 -0.7 -1.1 0.1 2.8 0.3
 1959年〜1973年の貿易収支を調べてみました。1957年までは輸入超過でしたが、1958年より輸出超過になっています。そして、1965年から黒字が一気に大幅になっています。これは、ベトナム戦争による特需と、高度経済成長のドッキングの結果だといえます。。
1945年〜1988年貿易収支(単位百万ドル)
45 46 47 48 49 50 51 52 53 54
-18 -236 -266 -232 -192 38 -287 -408 -790 -427
55 56 57 58 59 60 61 62 63 64
-54 -131 -402 369 361 185 -550 422 -357 872
65 66 67 68 69 70 71 72 73 74
2,084 2,057 1,126 2,971 3,718 4,439 8,420 8,333 789 3,940
75 76 77 78 79 80 81 82 83 84
5,843 11,148 20,335 20,531 2,438 6,766 20,358 20,141 34,546 45,601
85 86 87 88            
61,601 101,648 94,034 95,302            
戦後インフレ期 【1】戦後の民主化
(1)財閥解体・農地解体
(2)労働組合の育成
【2】インフレの激化
1945年、財閥解体
1946年、農地改革・金融緊急措置令
1947年、傾斜生産方式・独占禁止法
1947年、復興金融金庫・労働基準法
復興期 【1】日本経済自立化促進
(1)インフレ収束
(2)不況(安定恐慌)
1948年、経済安定九原則
1949年、ドッジ=ライン・シャウプ税制
成長期 【1】朝鮮特需
(1)景気回復
(2)資本蓄積・技術革新
(3)重化学工業化
【2】米の経済圏に編入
1950年、朝鮮戦争
1951年、対日講和・日米安保
1952年、IMF・世界銀行に加盟
1953年、国際収支悪化→金融引締
特需
景気
1954年、MSA協定 不況
高度成長期 【1】第一次高度成長期
(民間設備投資主導型)
(1)技術革新
(2)需要の拡大ー消費革命
1955年、GATTに加盟
1956年、設備投資・造船世界一
1957年、国際収支悪化→金融引締
神武
景気
31カ月
1958年、戦後初の公定歩合引下 鍋底不況
【2】豊富な資金と政策
(1)高い貯蓄力
(2)政府の財政投融資
(3)安価で質のよい労働力
【3】開放経済体制へ移行
(1)貿易の自由化
1959年、最低賃金法・三井三池争議
1960年、新安保・国民所得倍増計画
1960年、高度成長経済政策
1961年、農業基本法・国際収支悪化
岩戸
景気
42カ月
1962年、新産都市法・自由化率88% 不況
1964年、IMF・OECD加盟
1964年、貿易自由化率93%
オリンピック
景気
24カ月
【4】第二次高度成長期
(1)輸出主導型→貿易黒字
(2)財政支出に依存→
  財政赤字
1966年、第一回赤字国債発行 不況
1967年、資本取引自由化
1968年、GNP世界第二位
いざなぎ
景気
57カ月
1970年、減反政策 不況
安定成長期 【1】スタグフレーション 1971年、ドル=ショック、株価大暴落
1971年、1ドル=308年
 1959年から1973年までを概観します。
 第一次高度成長政策により、技術革新と需要の拡大が進んで結果、輸入が増大しましたが、石炭から石油へとエネルギーの供給構造を変化させることで、なべ底不況を脱出しました。これをエネルギー革命いいます。この結果、三井三池闘争で見られたような石炭の斜陽化が始まりました。この頃を岩戸景気といいます。
 池田勇人内閣の国民所得倍増計画によって、財政投融資が続けられ、投資が投資をよぶ状況となりました。民間設備投資は、1960年40.9%、1961年36.8%の伸びを示しました。鉄鋼・造船・電力・機械などの重化学工業分野では、積極的に技術を導入して、技術や生産設備の近代化を推進しました。
 その結果、労働力不足は深刻となり、労働力節約型の産業構造に変化していきました。これを日本経済の二重構造といいます。
 日本の経済発展は、日米安保により、軍事費を抑制し、その資金を産業に投資したと指摘されています。双子の赤字に悩むアメリカは、そのツケを日本に求めてきています。日本の政治家や学者・評論家も、応分の見返りをすべきだと主張し、最近では、お金でなく、痛みの伴う分担を発言しています。
 この項は、『近代日本総合年表』・『日本史総覧』(とうほう)などを参考にしました。
岩戸景気といざなぎ景気
 1959年・1960年というと、私が17歳・18歳の頃です。学校に行くのも、遊びに外出するのも学生服です。当然、ズボンは擦り切れて、ツギあてをしてない生徒はいません。女子のストッキングは黒で、これも多くの女性とはツギのあるストッキングをしていました。鉛筆も、ナイフで削り、手にもてなくなると、鉛筆サックなるものを付けて使用しました。消しゴムも爪で引っかくぐらいになるまで使いました。
 食事は、季節の旬といえば、いまは「グルメ」になりますが、ナスの時は来る日も来る日もナス、ジャガイモの時は気分が悪くなるほどジャガイモを食べさせられたものです。おやつも、自分の家の庭や持山で育つ果物や、餅からつくったオカキなど自給自足でした。病気になって、「バナナ」を買ってきてもらって食べるのが夢でした。元気だった私の夢は叶いませんでした。
 父は、田舎では珍しい正社員のサラリーマンだったので、給料日や盆・正月は、100グラムの牛肉ですき焼きをしました。電灯を点けていると肉が直ぐなくなるので、真っ暗にして食べたものです。
 皆が貧しく、苦しい時代だったので、羨んだり、惨めに思ったことはありませんでした。
 今(2006年)は、物が有り余っていて、満腹感のため、逆に、凄まじい不満の声が満ちています。
 特需景気の後にやってきたのが、神武景気で、その次に岩戸景気です。資本主義社会では、自由主義経済を建前としていますから、当然、景気は良かったり、悪かったりします。これを景気の循環といいます。専門的な景気についての説明は、別項で扱うことにして、今回は、景気の循環の山の部分を好況とし、谷の部分を不況とします。
 好況が何カ月も続く場合を○○景気と表現します。
特需景気 1951年10月 1954年01月 27カ月
神武景気 1954年11月 1957年06月 31カ月
岩戸景気 1958年06月 1961年12月 42カ月
オリンピック景気 1962年10月 1964年10月 24カ月
いざなぎ景気 1965年10月 1970年07月 57カ月
バブル景気 1986年11月 1991年02月 51カ月
 私たちの先輩は、糸ヘン景気に支えられて繊維関係の会社に就職しました。
 私たちの同級生は、富士製鉄広畑工場(今の新日鐵)や播磨造船所(今の石川島播磨重工業)など重化学工業の会社に就職しました。
 私が高校生(1960年)のとき、近所の人が家を新築しました。そのお祝いに私が行きました。以前から色々と教えてもらっていたこともあり、主人も気さくに応接室に通してくれました。私が「この家はどれ位で建ったのですか」とずばり聞くと、「100万円かな。建坪が50坪だから、坪当たり2万円というところかな」とあっさり教えてくれました。
 私が30歳の時(1972年)に家を新築しました。坪14万しました。50坪ですから、700万円でした。同じ業者に1971年に頼んだ人は坪7万円でした。同じ業者に1973年に頼んだ人は坪21万円でした。
 1973年といえば、オイルショックの年です。
値段表表(単位:円、『値段の風物史』)A(公務員初任給)B(大工日当)C(牛肉100g)
1960 1962 1964 1966 1967 1968 1969 1970 1971 1972 1973 1974
A 10800 15700 19100 23300 25200 27600 31000 36100 41400 47200 55600 72800
B 800 1000 1500 1800 2000 3500 3800 4200 4925 6016
C 59 67 80 101 126 142 135 137 147 151 198 245
 給料倍々のゲーム感覚で上昇し、大量生産により、あらゆる品物が手に入る時代になりました。
 同時に、使い捨て感覚になれ、物を大切にしなくなりました。
 また、日本の発展の裏に様々な悲劇もありました。これは次の項で取り扱います。

index