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産業構造の高度化 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1 | 「衣食たって礼節を知る」という諺があります。ある程度、衣食住の不満がなくなると、こころに余裕が出て、礼儀も弁えるという意味です。 1973年にオイルショックが日本を襲いました。トイレットペーパーが不足して、それを買うために行列ができたりしました。私が仕事を終えて家に帰っていると、主婦が猛烈な勢いで、駆け出して行きました。しばらくすると、重い足取りで帰ってきる主婦に出会いました。「どうしたんですか」と聞くと、「スーパーでトイレットペーパーが売り出したと聞いたんで、飛んで行ったんですが、売り切れていました」と言うのです。これは、昔のトイレは、新聞紙を落とし紙に使っていたのが、この時には、新しい家では、水洗便所化して、新聞紙では使えなくなっていることを意味します。 確かに生活は豊かに、文化的に、快適になりました。しかし、その裏で、失ったことも多くあります。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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3 | 上の(1)表を見ると、次のことが分かります。 1950年には、軽工業>重工業でした。 1960年には、重工業>軽工業となりました。生産額では、やっと先進工業国の仲間入りを果たしたことになります。重厚産業の発達により、人的資源、つまり労働力構成や、自然、つまり故郷に変化が起こりました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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5 | 上の(2)表を見ると、次のことが分かります。 工業の近代化と共に、エネルギー供給源の近代化も進みました。 1970年に、エネルギー供給源は、初めて石油>石炭・亜炭となりました。石油が生活の隅々にまで浸透すると同時に、公害などの問題も発生しました。公害については、別項で取り扱います。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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7 | 上の(3)表を見ると、次のことが分かります。 1950年には、第一次産業>第二次・第三次産業でした。 1960年には、第二次・第三次産業>第一次産業となり、工業国となりました。 1980年には、第一次産業が10%となり、先進工業国に仲間入りしました。 つまり、産業構造が近代化したことで、第二次・第三次産業人口が増加し、その人口を農村が供給したことになります。その結果、農村では、「三ちゃん農業」とか兼業農家が増加し、深刻な食糧自給問題が発生しました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
* | この項は、『近代日本総合年表』・『図説日本史』(東京書籍)などを参考にしました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日本は、本当に、誇りうる、豊かな国でしょうか | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1 | 誰しも、自分の国を愛する心を持っています。その国とは、自分を生み・育ててくれた「ふるさと」です。戦前のような、美しい言葉で形容された意味のない空虚な愛国心ではありません。しかし、「ふるさと」がどんどん姿を消しています。 衝撃的なTVを見ました。韓国に最も近い対馬では、韓国人が別荘をどんどん買い占めています。韓国の馬山市では、竹島ならぬ対馬を韓国領土だと宣言しています。 地元に人に言わせると、日本人で別荘を買ってくれる人がいないので、商売で韓国人に売っているということです。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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3 | 上の(4)表を見ると、次のことが分かります。 1995年の統計ですが、欲しい物が何でも手に入る時代になりました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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5 | 上の(5)表を見ると、次のことが分かります。 欧米先進国と比較して、GNP・家計消費・TV・電話などはよく検討しているといえます。 しかし、日常生活や老後などの人間としての尊厳を保つ社会資本を見ると、恥ずかしい限りです。朝日新聞はこれを「豊かさのなかの貧しさ」と表現しています。 戦前は、貧困を押し隠して、「世界に誇る神の国」と宣伝しました。今は、インターネットがあります。通用しない理論です。真に誇りうる社会資本を充実すべきだと思います。自ずと、愛国心が湧いてきます。 |