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エピソード

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国内問題Y(1987年〜1989年、リクルート事件)
 ここでは1987年から1989年を扱います。
 竹下登内閣とリクルート事件を検証します。
 1987(昭和62)年1月13日、中国共産党のケ小平中央顧問委主任は、日本の防衛費のGNP1%枠突破に強い懸念を表明しました。
 1月16日、社・公・民・社民連4党は、「売上税等粉砕闘争協議会」を発足させました。
 1月19日、4野党党首と労働5団体首脳は、売上税等税制改革案反対で一致しました。
 1月26日、中曽根首相は、施政方針演説で、「売上税」導入の説明を入れませんでした。
 1月27日、関西新空港は、「1993年3月の開港」を目指して着工を開始しました。
 1月28日、4野党は、補充説明を要求し、代表質問を拒否しました。
 2月2日、中曽根首相は、補充説明を行い、国会が正常化しました。
 2月9日、初上場のNTT株に買いが殺到しました。
 2月21日、パリの主要先進国蔵相・中央銀行総裁会議(G5、G7)は、ドル安走、日本の内需拡大等に合意しました。
 3月1日、売上税反対の国民集会が各地で開かれ、23万人が参加しました。
 3月8日、岩手県の参議院補欠選挙で、「反売上税」の社会党候補が自民党候補に圧勝しました。
 4月1日、国鉄が114年の歴史を閉じ、分割民営化され、JR6社等が発足しました。
 4月1日、国土庁は地価を公示しました。その結果、東京の住宅地・商業地の前年比上昇率は、76%で過去最高となりました。
 4月12日、第11回統一地方選で、知事選では、北海道の横路孝弘・福岡の奥田八二が再選し、東京都の鈴木俊一が3選を果たしました。道府県議選では、自民党が敗北しました。
 4月23日、衆議院の原健三郎議長は、「売上税は与野党の合意なければ廃案とする」という斡旋案を出し、予算案が衆議院を通過しました。
 4月26日、市区町村議選が行われ、自民党が退潮しました。
 5月7東京地検、共産党幹部宅盗聴事件につき、現職警官を取調べ。 8月4起訴猶予。
 5月 12月自民党と4野党の国会対策委貝長会談で売上税の廃案を確認。
 5月20日、予算案が参議院を通過しました。防衛費は5.2%増でGNP1%枠を突破しました。
 6月9日、総合保養地域整備法(リゾート法)が公布され、民間活力によるリゾート開発の端緒となりました。
 6月26日、日本は、4月末の外貨準備高696億2000万ドルで世界一の保有国となりました。
 7月4日、自民党の竹下派113人は、経世会を結成しました。
 7月4日、政府買上げ生産者米価は、5.95%引下げで決着しました。
 7月29日、ロッキード裁判丸紅ルートの控訴審で、田中元首相の控訴が棄却されました。
 9月14日、社会党の土井たか子委員長は、初めて渡米し、シュルツ国務長官と朝鮮半島情勢その他につき意見を交換しました。
 9月19日、所得税の税率簡素化・マル優の1988年4月からの原則廃止などの税制改革法案は、参議院で可決されました。
 9月22日、昭和天皇は、腸通過障害で手術し、初めての沖縄訪問計画が中止となりました。
 10月20日、東京株式市場は、前日のニューヨーク市場での史上最大の暴落(魔の月曜日)を受け、前日比3836円安・下落率14.9%と過去最大を記録しました。
 10月20日、中曽根首相は、後任の自民党総裁に竹下登を指名しました。
 10月28日、消費者米価は3.4%引下げの答申が出されました。
 11月6日、@74竹下登内閣が誕生しました。副総理兼蔵相に宮沢喜一、外相に宇野宗佑、運輸相に石原慎太郎、国家公安委員長に梶山静六、官房長官に小渕恵三、経済企画庁長官に中尾栄一、国土庁長官奥野誠亮らが就任しました。
 12月31日、東京外為市場で1ドル=122円の最高値を記録しました。
 1988(昭和63)年1月13日、竹下首相は、初めて訪米して、レーガン大統領と会談し、「世界に貢献する日本」を共同声明しました。
 2月4日、衆議議院予算委員会で、浜田幸一委員長は、共産党の官本顕治議長を「殺人者」と発言しました。
 2月12日、浜田幸一委員長が辞任しました。
 4月1日、「マル優」制度が廃止され、預貯金利子に20%が課税されるようになりました。
 4月1日、国土庁は、1月1日の現在の地価を公示し、東京の地価は前年比68.6%上昇して、史上最高となりました。
 5月9日、奥野誠亮国土庁長官は、「日中戦争に侵略意図なし、盧溝橋事件は偶発事件」と発言しました。これに対して、中国・韓国の新聞が批判し、野党も追及しました。
 5月10日、公明党の大橋敏雄は士、創価学会の池田名誉会長に対する批判論文を『文嚢春秋』に発表しました。
 5月13日、奥野誠亮国土庁長官は、日中戦争の発言に関して、辞任しました。後任に内海英男が就任しました。
 6月13日、埼玉県知事選挙で、大型間接税導入反対を全面に掲げた現職の畑和知事が圧勝しました。
 6月18日、川崎市の小松秀煕助役は、リクルート社未公開株取得忙よる不当利得が発覚しました。これをリクルート事件の発端といいます。
 7月5日、中曽根前首相・宮沢蔵相・安倍幹事長らの秘書のリクルート社の未公開株取得が判明しました。
 7月6日、リクルートの江副浩正会長は、引責辞任しました。
 8月24日、防衛庁長官の瓦力が辞任し、後任に田沢吉郎が就任しました。
 8月25日、竹下首相は、初めて訪中し、李鵬首相と会談して、8100億円の第3次円借款に合意しました。
 9月8日、社会民主連合の楢崎弥之助は、リクルート=コスモスの松原弘社長室長らの贈賄工作を告発しました。日本テレビは、かくし撮りビデオを放映しました。
 9月19日、昭和天皇は、吐血して容体が急変しました。
 9月22日、竹下内閣は、閣議で、全ての国事行為の皇太子への委任を決定しました。首相や閣僚の公式日程変更が相次ぎました。
 10月30日、池子の米軍住宅問題で揺れる逗子市長選挙で、反対派の現職富野暉一郎が再選しました。
 11月10日、自民党は、衆議院税制問題等調査特別委員会で、消費税等税制改革関連6法案を単独で強行採決しました。国会審議がストップしました。
 11月11日、米大統領選後にドルが急落しました。
 11月16日、消費税等税制改革関連6法案は、半年間の「弾力的運営」など一部修正して衆議院を通過しました。
 11月17日、東京外為市場で、1ドル=121円52銭となり、戦後最高値を記録しました。
 11月21日、衆議院リクルート問題調査特別委員会は、リクルートの江副前会長・文部省の高石邦男前事務次官・労働省の加藤孝前事務次官を証人喚問しました。議院証言法の改正により、証言のテレビ撮影が禁止されました。
 11月29日、竹下首相は、「ふるさと創生」政策のため、全市町村に一律1億円の交付金配付方針を決定しました。
 12月6日、参議院税制問題等特別委員会は、リクルートの江副前会長等を証人喚問しました。江副証言と宮沢蔵相の答弁に食い違いが判明しました。
 12月9日、江副証言と宮沢蔵相の答弁に食い違いにより、宮沢蔵相が辞任しました。後任の蔵相に竹下首相が兼務しました。
 12月24日、税制改革6法案は、野党は、牛歩戦術で26時間の抵抗を試みましたが、参議院本会議で成立しました。
 12月24日、蔵相に村山達雄が就任しました。
 12月27日、竹下首相は、リクルート疑惑一掃のために、内閣を改造しました。法相に長谷川俊、文相に西岡武夫、厚相に小泉純一郎、農相に羽田孜、通産相に三塚博、運輸相に佐藤信二らが就任しました。
 12月30日、長谷川法相は、リクルート疑惑で辞任しました。これを4日大臣といいます。後任に高辻 正巳が就任しました。
 1989(昭和64)年1月7日、今上天皇は、十二指腸部腺病で、亡くなりました。時に87歳でした。皇太子の明仁親王が即位して、平成天皇となりました。
 1月8日、年号が平成と改元されました。
 1月9日、即位後の朝見の儀が行われました。
 1月31日、昭和天皇と追号を受けました。
 2月7日、リクルート疑惑の民社党の塚本三郎委員長が退陣を表明しました。
 2月12日、リクルート事件後初の参議院福岡選挙区補欠選挙で、社会党候補が大勝しました。
 2月24日、昭和天皇大喪の礼が新宿御苑で実施されました。163カ国の元首級55人や28国際機関の代表・使節ら9800人が参列しました。大赦・復権令が出され、1017万人が恩恵を受けました。
 2月22日、民社党大会は、委員長に永末英一を選出しました。
 4月1日、消費税がスタートしました。ほとんどの商品・サービスに3%が課税され、年収は6兆円が見込まれるということです。
 4月12日、中国の李鵬首相が来日し、友好関係の発展を約束しました。
 4月18日、東京地検は、リクルート事件で、文部省の高石前事務次官を収賄容疑で起訴しました。国会が空転状態となりました。
 4月25日、竹下首相は、政治不信の責任をとり辞意を表明しました。後継首相候補に伊東正義総務会長を擁立しましたが、拒否され、失敗しました。
 4月26日、朝日新聞の世論調査によると、竹下内閣の支持率は7%に急落しました。
 5月17日、公明党の矢野絢也委員長は、「明電工疑惑」等の不祥事で辞職を表明しました。
 5月18日、公明党の緊急中央執行委員会は、委員長に石田幸四郎を選出しました。
 5月22日、東京地検は、リクルート事件で、自民党の藤波孝生元官房長官・公明党の池田克也を収賄容疑で起訴しました。
 5月25日、衆議院予算委員会は、リクルート事件の証人に中曽根前首相を喚問しました。中曽根前首相は、疑惑を全面的に否定しました。
 5月29日、東京地検は、リクルート事件に関して、捜査終結を発表しました。
 5月31日、次期自民党総裁に宇野宗佑外相を擁立することに決定しました。
 6月2日、@75宇野宗佑内閣が誕生しました。外相に三塚博、蔵相に村山達雄、文相に西岡武夫、厚相に小泉純一郎、通産相に梶山静六、官房長官に塩川正十郎、防衛庁長官に山崎拓、科学技術庁長官に中村喜四郎らが就任しました。
 7月2日、東京都議選で、自民党が大敗し、社会党が大躍進しました。
 7月23日、参議院議員選挙で、社会党46人、自民党36人、公明党10人、共産党5人、民社党3人、初登場の連合11人が当選し、与野党が逆転しました。
 7月24日、宇野首相は、参議院選挙の惨敗と女性問題で退陣を表明しました。
10  8月5日、自民党総裁選で、海部俊樹・林義郎・石原慎太郎が立候補しました。
 8月8日、衆参両院議員総会は、総裁に海部俊樹を選出しました。宇野宗佑内閣は68日間の内閣でした。
 8月9日、@76海部俊樹内閣が誕生しました。外相に中山太郎、蔵相に橋本龍太郎、厚相に戸井田三郎、官房長官に山下徳夫、経済企画庁長官に高原須美子、防衛庁長官に松本十郎らが就任しました。
 8月24日、山下官房長官は、女性問題で辞任しました。後任に森山真弓が就任しました。
 9月27日、ソニーは、米映画社のコロンビアの買収を発表しました。
 10月9日、週刊誌は、パチンコ業界の与野党議員の多額献金の実態を暴露しました。自社両党の泥仕合に発展しました。
 12月11日、社会党ら野党4会派提出の消費税廃止関連9法案は、参院で可決されました。
 12月16日、消費税廃止関連9法案は、衆議院で審議未了となり、廃案となりました。
 12月11日、リクルート事件で、高石前文部次官らの初公判がありました。
 12月13日、NTTの兵藤恒前会長の初公判がありました。
 12月14日、「公共の福祉優先」を前面にした土地基本法が成立しました。
 12月15日、「政界ルート」の藤波・池田・江副浩正の初公判がありました。
 この項は、『近代日本総合年表』・石川真澄『戦後政治史』などを参考にしました。
リクルート事件と高石邦男の「妻が妻が・・・」
 私の教師生活で色々な事がありました。日頃私たちは、学校長から色々な指導を受けています。学校長を指示するのが兵庫県の教育委員会です。都道府県の教育委員会を指揮・監督するのが文部省です。その文部省の頂点立つ人がプロの文部事務次官です。文部大臣という行政のトップがいますが、プロから見ると素人です。
 1988年のの事務次官は高石邦男氏でした。日頃愛国心を唱え、強引に国旗の掲揚と君が代の斉唱を主導して、日教組とケンカをして、出世したという噂の人でした。
 リクルートから株をもらったことが発覚すると、高石氏は愛国心をかなぐり捨てて、「妻が株を売買している」と発言しました。その後、高校生も、失敗する度に、「僕にも妻がいたらなー」というのが流行語になりました。保護者と話しても、「あんな無責任な人が先生のトップとは、やりにくでんなー」とひやかされたものでした。
 あれから、18年です。日頃、勇ましく愛国心を唱える人が、よく、恥ずかしいことをします。「美しい花にはトゲがある」といいますが、「勇ましい言葉の裏には金儲けがある」という熟語を付け加えたいです。
 これは1988年12月16日のリクルート問題に関する調査特別委員会における議事録です。
○日笠勝之委員(公明党) 文部大臣、高石さんに五十項目の質問をみずからワープロでつくって送られた、こういうふうな報道がありましたが、その中で目新しい何か新事実というのでしょうか、ございましたですか。
○中島源太郎国務大臣(文部大臣) 十一月三日に高石氏のリクルート問題、奧様が株を売買したということが報道されまして・・・十四日に手渡しをするように命じたわけであります。・・・十八日にみずから会見されまして前言を撤回されて、そして真実は二十一日の証人喚問の日に述べたい、こういうことを言われたものでありますから、事実上その数十項目への回答は私の方に来てないわけであります。これは大変残念なことでありまして・・・。
○山花貞夫委員(社会党) 退職金は六千七百八十七万二千九百四十八円である。肩たたきで退職金をもらっている。一体どのくらい多いかといいますと、本来五千百四十一万八千九百円のところ、勧奨退職ということでありますから、一千六百四十五万四千四十八円多い。高石前次官につきましては、次官在職の当時から、選挙に出るということで次官の仕事をほったらかして地元で選挙運動ばかりやっているじゃないか、こういう批判がありました。
○中島国務大臣 言うなればその財源は税金と申しますか、多くの方々からの御意思によって集められたものということからすればプライバシーには当たるまい、こういう答弁を申し上げたわけであります。・・・現在正しく承知をしておらずにここに参っておりますことをお許しいただきたいと思います。
○山花委員 九産大学の皆さんが文部者の官僚の皆さんを接待をするために、毎月上京して料亭で酒食を提供しておったという問題が議論となりました。年間この財源といたしましては六千万円もの交際費を使っておったということの中で、当時も高石さんの名前が出ておりました。料亭での、私学の助成をもらうための、そのための接待ということであります。一緒に出た官僚の方は、申しわけありません、そのとおりであると認めたのであります。高石さんはどうしたか。全く私は知らぬ存ぜぬで突っ張りました。事実があったんだけれども、彼は否定した。その後かなり正確な資料というものがたくさん出ました。三十万円の料亭の領収書が出ることから初めとして、高石さんがそうした接待にあずかっておったことについては間違いないということになった。
 今度の高石さんの弁解につきましても、当初の、妻が妻がというところから証言が撤回されたということを含めて、いろいろな問題について前回の証言については疑問がなおたくさん残ります。
 さっき申し上げました接待問題の九州産業大学、補助金がカットされました。本年三月三十一日まで五年間であります。ところが、ことしの三月十八日にこれがもとに戻る。基準を緩和して二五%復活し、一億九千九百七十四万七千円の助成が出たということについても、高石さんがこれは動いたのだということについての問題がございます。
○中島国務大臣 文教行政をつかさどる文部省に対する信用、信頼が甚だしく損なわれたということが返す返すも残念でございます。きょうの閣議決定を見ましてさらに厳正な対処を考え、検討してみたい、このように気を改めて取り組むつもりでおる次第でございます。
 リクルート事件が発覚していなければ、文部省の高石邦男事務次官は、退職勧奨制度によって大量の退職金を得て、国会議員に華麗な転職を図ることになっていました。
 彼に挫折を強いた、戦後最大の疑獄事件といわれるリクルート事件を検証しました。
 1983年12月、藤波孝生は、第2次中曽根内閣の官房長官となりました。
 12月、リクルート社の江副浩正会長は、リクルート社の政治的・財界的地位を高めようと、政治・官僚・通信の3分野39人に未公開株を譲渡しました。
 1985年2月、リクルート社の江副浩正会長は、金融機関26社に未公開株を譲渡しました。
 4月、リクルート社の江副浩正会長は、金融機関37社に未公開株を譲渡しました。
 1986年9月、リクルートは、藤波孝生にリクルート=コスモス株を譲渡
 10月、リクルートは、リクルート=コスモス株を公開しました。
 1988年6月18日、朝日新聞は、「リクルート社の江副浩正会長は、川崎市テクノピア地区にリクルート社を進出させようと、川崎市の小松秀煕助役に対して、子会社のファースト=ファイナンス社の未公開株であるコスモス株を譲渡した。小松秀煕助役は、この株を売却して、一億円の利益を得た」とスクープ報道しました。これがリクルート事件の発端です。
 6月30日、自民党の渡辺美智雄政調会長・加藤六月農水相・加藤紘一防衛庁長官、民社党の塚本三郎委員長について、本人や家族、秘書名義によるコスモス株譲渡が発覚しました。
 7月6日、マスコミ各社の後追い報道により、中曽根康弘前首相・竹下登首相・宮沢喜一蔵相・安倍晋太郎自民党幹事長らに、コスモス株が譲渡されていたことが発覚しました。
 7月6日、日本経済新聞社の森田康社長は、1984年12月に譲渡された未公開株で8000万円の売却益を得た事が発覚し、辞任しました。
 7月6日、リクルート社の江副浩正会長が辞任しました。
 7月7日、竹下首相の元秘書名義の株売買が発覚しました。
 9月3日、リクルートコスモス社の松原弘リクルートコスモス社長室長は、国会で未公開株譲渡問題を追及していた社民連の楢崎弥之助を訪問し、手心を加えるよう500万円の贈賄を申込みました。
 9月5日、楢崎弥之助は、このやりとりをビデオカメラで隠し撮りしており、その模様をTVで全国放送しました。私もこの場面を見ましたが、息飲む感じでした。
 10月11日、加藤孝労働事務次官へのコスモス株譲渡が発覚しました。
 10月19日、東京地検は、リクルート本社・コスモス社・松原弘自宅を家宅捜索しました。
 10月20日、東京地検は、コスモス株譲渡が発覚しました。贈賄容疑で逮捕しました。
 10月26日、東京地検は、東洋信託銀行証券代行部を家宅捜索し、コスモス社の株主名簿等を押収しました。
 10月28日、藤波孝生房長官へのコスモス株譲渡が発覚しました。
 11月1日、真藤恒NTT会長の秘書へのコスモス株譲渡が発覚しました。
 11月3日、高石邦男文部事務次官へのコスモス株譲渡が発覚しました。
 11月10日、東京地検は、松原弘社長室長を贈賄申込罪で起訴しました。
 11月15日、江副会長は、衆議院リクルート問題調査特別委員会で、コスモス株譲渡者の全リストを提出しました。
 11月21日、衆議院リクルート問題調査特別委員会は、江副会長・高石文部次官・加藤労働次官を証人喚問しました。
 12月9日、宮澤喜一蔵相は、リクルート事件に関連して、辞任しました。
 12月12日、NTTの真藤恒会長が辞任しました。
 12月26日、竹下首相が内閣を改造しました。
 12月30日、長谷川峻法相は、リクルートからの献金が発覚し、辞任しました。
 1989年1月24日、経済企画庁の原田憲長官は、リクルートがパーティー券を購入した事実が発覚して、辞任しました。
 2月7日、民社党の塚本三郎委員長が辞意を表明しました。
 2月13日、東京地検は、リクルート社の江副会長、ファースト=ファイナンス社の小林宏副社長、NTTの式場英取締役・長谷川寿彦取締役をNTT法違反(贈収賄)容疑で逮捕しました。
 2月17日、労働省の加藤労働次官の側近である鹿野茂課長を収賄容疑で逮捕しました。
 3月4日、東京地検は、江副会長ら4人を起訴しました。
 3月6日、東京地検は、NTTの真藤恒前会長をNTT法違反(贈収賄)容疑で逮捕しました。
 3月8日、東京地検は、加藤孝次官を収賄容疑、リクルート社の辰已雅朗社長室長を贈賄容疑で逮捕しました。
 3月27日、東京地検は、NTTの真藤恒前会長を起訴しました。
 3月28日、東京地検は、高石邦男文部事務次官を収賄容疑で逮捕しました。
 3月28日、東京地検は、加藤労働次官を起訴しました。
 4月11日、竹下首相は、衆議院予算委で、「リクルート社から1億5000万円の資金提供があった」と表明しました。
 4月18日、東京地検は、高石文部事務次官を起訴しました。
 4月22日、竹下首相は、「青木伊平秘書名義で、江副から5000万円の借金をした」と認めました。
 4月25日、竹下首相は、リクルート事件による政治不信の責任を取って、退陣を表明しました。
 4月26日、竹下登の元秘書である青木伊平が自殺しました。
 5月6日、東京地検は、公明党の池田克也を参考人として事情聴取しました。
 5月6日、東京地検は、自民党の藤波孝生官房長官を参考人として事情聴取しました。
 5月16日、池田克也は、公明党に離党届・議員辞職願を提出しました。
 5月18日、東京地検は、藤波孝生・池田克也の事務所・自宅などを家宅捜索しました。
 5月22日、東京地検は、藤波孝生・池田克也を就職協定をめぐる受託収賄罪で在宅起訴しました。
 5月25日、衆議院リクルート問題調査特別委員会は、中曽根康弘前首相を証人喚問し。、リクルートからの4575万円の献金が明らかとなりました。
 5月28日、中曽根前首相は、自民党の離党を表明しました。
 5月29日、東京地検は、宮澤喜一蔵相・安倍自民党幹事長・加藤六月農水相の秘書や会計担当者ら4人を政治資金規正法違反で略式起訴しました。
 6月2日、自民党は、両院議員総会で、宇野宗佑を新総裁に選出しました。
 6月9日、宇野首相は、本会議で、女性問題につき質問を受けました。
 7月23日、第15回参議院議員選挙で、社会党が46人で、自民36人を上回り、第一党になりました。
 8月9日、衆議院は海部俊樹を指名し、参議院は土井たか子を指名し、その結果、衆議院優先という原則で、自民党の海部俊樹総裁が首相に就任しました。
 12月、東京地裁の政界ルート初公判で、藤波・江副両被告は無罪を主張しました。
 1994年9月、東京地裁は、藤波被告に無罪判決を下しましたが、検察側が控訴しました。
 12月、東京地裁は、池田克也に懲役3年・執行猶予4年を申し渡し、控訴せず有罪が確定しました。
 1997年3月、東京高裁は、藤波被告に懲役3年・執行猶予4年という逆転有罪を申し渡しましたが、藤波被告は上告しました。
 1999年10月、最高裁は、藤波被告の上告を棄却し、有罪が確定しました。
 2002年3月、東京地裁での公判で、検察側は、「わいろ提供を通して国政や公共的事業を私物化しようとした。刑事責任は極めて重い」として江副被告に懲役4年を求刑しました
 2003年3月、東京地裁は、江副被告に懲役3年・執行猶予5年を申し渡しましたが、控訴せず有罪が確定しました。
  地裁 高裁 最高裁 追徴金
藤波孝生 無罪 懲役3年・執行猶予4年 上告棄却・有罪 4270万円
池田克哉 懲役3年・執行猶予4年     1835万円
高石邦男 懲役2年・執行猶予3年 懲役2年6月・執行猶予4年 上告棄却・有罪 2270万円
加藤孝 懲役2年・執行猶予3年     681万円
鹿野茂 懲役1年・執行猶予3年     134万円
真藤恒 懲役2年・執行猶予3年     2270万円
長谷川寿彦 懲役2年・執行猶予3年     2270万円
式場英 懲役1年6月・執行猶予3年     1135万円
小林宏 懲役1年・執行猶予2年     贈賄側
江副浩正 懲役3年・執行猶予5年     贈賄側
小野敏広 懲役2年・執行猶予3年     贈賄側
10  では、リクルートは、大金や大金になる未公開株をばら撒いて何を守ろうとしたのでしょうか。
 私の体験では、当時、受験情報誌は「リクルート」しかありませんでした。私が進路担当になった時、リクルートの兵庫県担当者から、3年生の氏名・住所・電話番号・志望大学・学部学科の情報の提供を当然の如く求められました。私は当然の如く、「プライバシーの問題もありそれは出来ません」と返事しました。しばらくして、担当者は、大阪支社のトップを連れたやって来ました。「今まで拒否されたことはありません。生徒さんが不利になってもいいですね」と高圧的にいいます。私は「今の言葉をそのままマスコミに言ってもいいですね」と反論しました。その結果、受験情報誌が欲しい生徒のみが自分で個人情報を提供するようになりました。
 このやりとりから判断できるように、1986年9月、(1)リクルート社は、進学情報誌を作るため高校教師らから、不正に生徒名簿を集めていた問題が表面化していました。そこでリクルート社は大金をばら撒いて、不利益となる行政指導をしないようにはたらきかけました。
 これは、現場の者には分らない世界です。(2)文部省所管の審議会委員などに、リクルート社の役員らを選任したとして、その謝礼にリクルートコスモス社の未公開株1万株を譲渡した。
 これがリクルート事件の文部省ルートです。裁かれたのは、「日の丸・君が代」次官とか愛国心次官といわれた高石邦男(72歳)でした。 
 最高裁の判決では、リクルート社が進学情報誌の宅配のために教職員から生徒の名簿を集めていた問題で高石被告が行政指導などを怠った「不作為」と、リクルート社関係者を文部省所管の審議会委員などに選任したことの謝礼として値上がり確実な未公開株を受領したと認定、その上で行政指導をしなかった「不作為」について、「積極的な便宜供与行為をしなくても単純収賄罪の成否を左右せず、何らかの行政措置を採る義務がある場合に限定もされない」との判断を示しました。そして、被告を懲役2年6月・執行猶予4年・追徴金2.270万円とした東京高裁判決を支持して、高石被告側の上告を棄却しました。その結果、高石被告の有罪が確定しました。
11  次は、2002(平成14)年10月22日の 最高裁第2小法廷におけるリクルート事件高石元文部次官の判決文の全文です。
「 件名 収賄被告事件
 原審 東京高等裁判所
主    文
本件上告を棄却する。
理    由
 弁護人伊藤卓藏、同八代宏の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、事案を異にする判例を引用するものであって、本件に適切でなく、その余は、単なる法令違反、事実誤認の主張であり、被告人本人の上告趣意は、単なる法令違反、事実誤認の主張であって、いずれも適法な上告理由に当たらない。
 なお、原判決の認定及び記録によれば、被告人は、昭和58年7月5日から昭和61年6月16日までの間、文部省初等中等教育局の局長として、教育課程、学習指導法等初等中等教育のあらゆる面について、教育職員その他の関係者に対し、専門的、技術的な指導と助言を与えること、初等中等教育における進路指導に関し、援助と助言を与えること、文部大臣の諮問機関である教育課程審議会に関することなどの同局の事務全般を統括する職務に従事し、その後、同月17日から昭和63年6月10日までの間、文部事務次官として、文部大臣を助け、省務を整理し、同省各部局等の事務を監督するなどの職務に従事していた者であるが、昭和61年9月上、中旬ころ、高校生向けの進学・就職情報誌を発行して、これを高校生に配布するなどの事業を営む株式会社リクルート(以下「リ社」という。)の代表取締役社長をしていたA及びリ社の関連会社であるファーストファイナンス株式会社の代表取締役社長をしていたBから、@リ社の進学情報誌に係る事業に関し、高等学校の教育職員が高校生の名簿を収集提供するという便宜を与えていることなどについての批判が顕在化していたのに、文部省が 同事業の遂行に不利益となるような行政措置を採らずにいたことに対する謝礼と今後も同様の取り計らいを受けたいという趣旨、及びAリ社の事業の遂行に利益となる同社役職員の教育課程審議会等文部省所管の各種審議会、会議等の委員への選任に対する謝礼と今後も同様の取り計らいを受けたいという趣旨の下に、同年10月30日に社団法人日本証券業協会に店頭売買有価証券として店頭登録されることが予定されており、登録後確実に値上がりすることが見込まれ、前記Aらと特別の関係にある者以外の一般人が入手することが極めて困難である株式会社リクルートコスモスの株式を、店頭登録後に見込まれる価格より明らかに低い1株当たり3000円で1万株供与する旨の申入れを受け、申入れの趣旨が前記@Aのとおり自己の職務に関するものであることを認識しながら、その申入れを了承し、同年9月30日、同株式1万株を取得したものと認められる。被告人の上記行為が平成7年法律第91号による改正前の刑法197条1項前段の収賄罪に該当することは明らかである。前記@の関係につき、被告人において積極的な便宜供与行為をしていないことは、同罪の成否を左右するものではない。 所論は、不作為につき職務関連性を認めるためには、何らかの行政措置を採るべき作為義務が存在する場合でなければならない旨主張するが、そのように解すべき根拠はない。したがって、被告人につき、前記@の関係も含めて収賄罪の成立を認めた原判断は、結論において正当である」
12  次は2003年3月4日に東京地裁がリクル−ト元会長の江副浩正被告に言い渡した判決の要旨です。
「I、総論
 被告人は、コスモス株の譲渡価格を1株3000円と定めた1986年8月以降9月中旬までは、コスモス株の店頭登録当日の初値として通常に推移すれば1株3500円以上を確保できる状況にあることを認識していた。
 当時コスモス株を1株3000円で取得することは、被告人やその側近の者と特別の関係にない一般人にとって極めて困難であったことが明らかで、店頭登録後に見込まれる価格を下回る1株3000円で取得する利益は贈収賄罪の客体となる。
VII 判示第五の事実(文部省ルート)
 被告人は、高石邦男の初等中等教育局長および文部事務次官としての職務に関し、高石から、リクルートの行う進学情報誌の配本につき、高校教諭が高校生徒の名簿等を収集提供するなどして便宜を供与する問題に対し実態調査をしたり是正を求めるなどの措置を取られなかったことや、事業遂行上有利になる各種審議会の委員にリクルートの役職員を就任させてもらうことにより、好意的な取り計らいを受けたことに対する謝礼などの趣旨で、コスモス株1万株を譲渡した。
【量刑の理由】
 最も株数の多い1万株を受け取った者の取得可能な利益は、店頭登録日の時点で2270万円に及ぶのであって、大掛かりな疑獄事件である」
13  つまり、国を愛する情熱家である高石邦男先生は、1株3000円のコスモス株を1万株買い、2270万円を儲けられ、せっせと、自分の懐に貯められたのです。いえいえ、これは、立派なお国のためです。
 よってたかって、お国のためにリクルート株を頂いた諸先生をご紹介します。
氏名 役職 未公開株 氏名 役職 未公開株
藤波孝生 官房長官 12、000 池田克也 代議士 5、000
中曽根康弘 元首相 12、000 竹下登 首相 12、000
安倍晋太郎 幹事長 17、000 宮沢喜一 蔵相 10、000
加藤六月 農水相 12、000 渡辺美智雄 政調会長 5、000
加藤紘一 防衛庁長官 5、000 渡辺秀央 官房副長官 10、000
塚本三郎 民社党委員長 5、000 上田卓三 代議士 5、000
田中慶秋 代議士 5、000 森喜朗 文相 30、000
浜田卓二郎 代議士 30、000 伊吹文明 代議士 30、000
小松秀煕 川崎市助役 30、000 森田康 日本経済新聞社長 20、000
公文俊平 東大教授 10、000 金子俊明 浦和市秘書課長 10、000
丸山巌 読売新聞副社長 10、000 高石邦男 文部省事務次官 10、000
加藤孝 労働省事務次官 3、000 牛尾治朗 経済同友会副代表幹事 30、000
諸井虔 経済同友会副代表幹事 5、000 式場英 NTT取締役 5、000
飯島清 政府税調特別委員 10、000      

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