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エピソード

296_01

国民生活と文化U(教育、エセ陰山メソッドの検証)
 最近、信じられない事件が起きています。
 私の小学校時代は、学校の先生は神様でした。それが、学級崩壊という事件ではないですが、信じられない事です。
 親から説教された時、憎たらしく思ったことがありますが、手を出したこともなければ、危害を加えようと思ったこともありません。親だからです。しかし、全国でも屈指の進学校の生徒が、義母・義弟妹とはいえ尊属を放火・殺人するとは、信じられません。大阪大学の工学部の生徒が実の母親を殺害しました。阪大工学部といえば、偏差値でも、かなり上位にあります。信じられません。
私立大学 偏差値 国立大学 偏差値
慶應(理工学部) 70 東大(理科一類) 72
早稲田(理工学部) 70 京大(工学部) 69
上智(理工学部) 67 東工大(第二類) 66
東京理大(理工学部) 66 大阪大学(工学部) 65
同志社(工学部) 64 神戸大学(工学部) 62
 人間には、本能(欲望)と理性(知性)があります。
 以前、朝日新聞にはサトウサンペイ氏の名作である四コマ漫画「ふじ三太郎」が掲載されていました。
(1)ふじ三太郎は、会社へ行っています。(2)途中、美人でミニスカートの女性に出会います。(3)そのミニスカの女性の後を追って、会社とは違う方向へ行ってしまう(4)それに気が着き、会社への道に戻ります。サトウサンペイ氏は、1本の連載を書くのに、2〜3作品描くと言っていました。それを新聞社のデスクが選択します。上記の作品は、少なくとも作者と選択者2人の共感を得ていることになります。ここでは、他愛ない本能の姿が描かれています。今でも私の脳裏に残っています。私が紹介すると、多くの人は、同じような体験を語ってくれます。
 しかし、男子なら、手鏡・写真機能付き携帯電話・ビデオカメラを使って、覗いたり、撮影したい本能もあります。しかし、そのことが発覚した場合、職を失い、家族を失い、多くの人の信頼を失います。それを予見したり考える力が理性とか知性といいます。つまり、理性や知性で、必死に抑制しているのです。
 手鏡で大学教授を辞職し、TV出演を棒に振った人がいます。女生徒の更衣室にビデオを設置して懲戒免になって先生がいます。尊属殺人を犯す偏差値の高い生徒います。
 どうして、理性や知性を失う人が多くなったのでしょうか。
 以前は登校拒否という言葉が使われていました。今は、不登校といいます。登校拒否には、登校を拒否するという意志があり、自分で、その気になれば、何時でも、復帰できるということで、不登校と区別されるようになりました。文科省は、不登校児童生徒を「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にあるため年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの」としています。2003年の統計では、その数を12万6226人(1.15%)としています。
 その原因については、いじめ・学業上の不安・家庭内の問題・劣等意識・非行・社会適応能力の欠如などが言われていますが、科学的に定義されていません。
不登校児童・生徒数(50日以上の欠席者。単位:人) (1)1000人
以上増加の
年を小学校
色、中
学校は
塗りました。
(2)毎年の
様に増加し
ています。
(3)夢を持
たせられな
い大人の責
任を感じま
す。
  1971 1972 1973 1974 1975 1976 1977 1978 1979 1980
小学校 3292 2958 3017 2651 2830 2951 2965 3211 3434 3679
中学校 7522 7066 7880 7310 7704 8362 9808 10429 12002 13536
  1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990
小学校 3625 3624 3840 3976 4071 4407 5293 6291 7179 8014
中学校 15912 20165 24059 26215 27926 29673 32748 36110 40087 40223
  1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 2001 2002 2003
小学校 9652 10449 11469 12240 12782 15314 16383 26511 25869 24077
中学校 43796 47526 49212 51365 54092 62228 71127 112211 105383 102149
 私の住んでいる相生に近くに姫路城で有名な姫路市があります。そこで森下神経内科診療所を開設している森下一氏は、不登校を3種類の型が分類しています。(1)学校に行きたいのに行けれない、神経症タイプ(2)学校に行きたくない、怠けタイプ(3)生きる気力そのものがない、うつ病タイプもしくは無気力症タイプです。森下氏は、タイプに分類できず、その症状に合わない処方をしているのが今のカウンセラーだと手厳しく批判しています。
 不登校から引きこもりになる子の特徴は、3つの性格特徴と1つの外的環境があるといいます。
(1)自己評価が著しく低い。自分は取るに足らない人間だと信じている。そして、自分を守るため、変なプライドを持っている。
(2)極端なほどの完璧主義者。白か黒か、100点か0点か、というものの考え方をします。「遅刻するくらいだったら、最初から行かない方がましだ。」「早退するくらいだったら、最初から行かない方がましだ」
(3)他人からの評価に非常に敏感である。常に自分は、他人からどう見られているか気にしています。
(4)自分専用の子ども部屋にテレビ・ステレオ・クーラー・冷蔵庫などがある。
 森下氏はその原因について、「親が、甘えさせるべき時に甘えさせず、甘えさせるべき時でない時に甘えさせた結果が、不登校という子を生み出した」指摘します。「そういうと、親は、開き直るか、落ち込むという両極端に走る。そんな暇なない。子ども自身が悩んでいるのだから」とも言います。
 解決策として、登校刺激を提案しています。「学校に行きなさい」と促すことです。ただ、どういう状況の時に、どれ位の強さでいうかが非常に難しく、専門家と相談することが必要だといいます。素人判断は余計状況を悪くするといいます。
 次に、画一化・均一化されて義務教育に、今の小中学生が合わないのは当然であるのに、無理やり学校に行かそうとしてかえって状況を悪化したことを反省して、社会権(国家が教育を受ける権利を尊重する)・自由権(国民一人一人が勉強をする権利がある)を楯にして、フリースクールを提唱したり、運営している団体がいます。
 私は、子供は、自分の子でなく、社会の子という信念を持っており、フリースクールの理念はその通りですが、運命・目的に不安を持っています。社会復帰を年頭においた指導が不可欠だということです。
(1)精神的にも、肉体的にも、性的にも、幼い小中学生なら、素人でも指導できます。しかし、全ての点で、大人になった高校生を指導できるでしょうか。
(2)人間は、親から生まれ、親戚や近所で世話になり、学校で修行し、やがて社会に入っていきます。このプロセスを欠いた時、その子を、誰がいつまで、面倒を見るのでしょうか。
(3)地元にミニコミ誌によると、「不登校の中学生のうち4分の1は1年以内にクラスに戻る。が、あとの生徒の中にはそのまま引きこもりとニートになる場合も」とあります(2006年6月21日付け朝日新聞あいあい)。
(4)「不登校3300人に追跡調査し、回答があった1400人(20歳)を分析すると、正社員23%、パート・アルバイト31%、専門学校・勤労学生28%、ニート23%となっています。無回答を入れると、中学時点の不登校だった子供はニートに可能性が高い」(中日新聞より)
(5)ニート(NEET)とは、「通学も仕事もしておらず職業訓練も受けていない15歳〜34歳の若者」定義されています。パートやアルバイトをするフリーターではありません。1992年67万人いたニートは、2002年には85万人に増加しています。85万人の内、就業自体を希望しない者が42万人で、引きこもりとされています。残りの43万人も働く意思はあるが希望する仕事がないとして就職活動をしていません。
(6)ニートのうち、親と同居しているものが75%に達します。東京学芸大学の山田昌弘助教授は、「学卒後もなお、親と同居し、基礎的生活条件を親に依存している未婚者」をパラサイトシングル(パラサイト)と定義しました。私は、今の時代は、30歳までは、多様な社会に対応するため、「親の脛をかじって」色々な体験をすべきだという持論です。下表で分かるように、色々な体験をする予備期間でなく、気持ちの悪い寄生虫化していることが分かります。また、これを放置している親の責任も明確です。
高齢化するニート(2004年。単位:%) パラサイトシングルの生活について
(1)男女計満足・やや満足73.8%
(2)男子は満足・やや満足61.5%
(3)女子は満足・やや満足78.1%
15〜19歳 20〜24歳 25〜29歳 31〜34歳
15.6 28.1 29.7 28.1
 下表をみると、私が大学に入学する1960年の進学率は、10人に1人という感じでした。1970年は10人に2人、1975年は10人に3人、20年後の1994年になって10人に4人、1999年にはついに10人に5人、つまり2人に1人が大学・短大生となりました。
10
大学・短期大学への進学率(浪人を含む。単位:%)
  1955 1960 1965 1970 1975 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988
男子 15.0 14.9 22.4 29.2 43.0 41.3 40.5 39.8 37.9 38.3 40.6 35.9 37.1 37.2
女子 5.0 5.5 11.3 17.7 32.4 33.3 33.0 32.7 32.2 32.8 34.5 33.5 35.1 36.2
合計 10.1 10.3 17.0 23.6 37.8 37.4 36.9 36.3 35.1 35.6 37.6 34.7 36.1 36.7
  1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2003 2004
男子 35.8 35.2 36.3 37.0 38.5 40.9 42.9 44.2 45.8 47.1 48.6 49.4 49.6 51.1
女子 36.8 37.4 39.2 40.8 43.4 45.9 47.6 48.3 48.9 49.4 49.6 48.7 48.3 48.7
合計 36.3 36.3 37.3 38.9 40.9 43.3 45.2 46.2 47.3 48.2 49.1 49.1 49.0 49.9
 この項は、『近代日本総合年表』・『数字でみる日本の100年』などを参考にしました。
子供社会復活のために、陰山メソッドなど受験テクニックを撃つ
 私たちの子供の頃は、大人の価値観が多様でした。その影響を受け、子供の考えも様々でした。クラブもせず、家の手伝いもせず、紙試験の優秀な同級生には、「運動もせず、家の仕事もせんと、成績がええのは当たり前や。俺なんぞ、もっとええ成績とったるわ。アホヤ、アホヤ」とはやし立てたものでした。
 他方、運動も苦手で紙試験の結果も芳しくなくても、全校生の前で、3年生の男子は60キロの米が入った米俵を担ぐのです。親の手伝いをよくする生徒が担ぐと、全校生から拍手喝采です。周囲から「一人前やなー」と祝福を受けるのです。
 牛で田を耕して「一人前」、山で売れる薪を1束出来て「一人前」と言われるのです。私は、父から「○○さんとこの□□はもう一人前やな」という話を聞かされるのが嫌でした。でも、内心、「あいつは凄いな」という念もありました。
 つまり、私たちの小さい頃は、様々な分野で、色々な英雄がいたのです。
 私だけではないかも知れませんが、小学校入学以前の記憶が余りありません。入学と同時に、多くの思い出があります。
 一番の記憶は、夏休みになると、6年生の命令で、千種川に繋留してある漁師から借りているボートに小学1年生は、強制的に乗せられるのです。ボートが川の真ん中にくると、故意にひっくり返すのです。1年生は、犬掻きやらモグリやら様々の方法で必死になって、岸に辿り着くのです。6年生は、おぼれそうな1年生からやや離れた位置にひっくり返したボートを浮かべて、いつでも救助できる体制をとっているのです。その体験を下級生が6年生になるまでに会得するのです。こうした子供社会は、大人も口出しできません。ここのリーダーは紙試験だけが優秀な子供は、なれません。こうしたシゴキに耐えられない子供は、「アホ」扱いです。
 正月15日の夜には「トンド」があります。冬休みの間(12月24日〜1月7日)毎日、村の共有林で、小学生の男女全員が参加して、トンド用の薪を作ります。小学生の「一人前」が指導します。日頃リーダー性のない彼も、この時だけは、皆から尊敬され、活き活きしています。私も「かっこいいな」と思って、彼のテキパキする仕事に見ほれたいたものでした。トンドに火をつけるのも6年生のリーダーです。大人の入る余地はありません。紙試験の成績がよくても、こうしたシゴキに耐えられない子供は「アホ」扱いです。
 今、昔「アホ」扱いされた子供は尊敬されています。昔「一人前」扱いされた子供が蔑視されています。
 今必要なのは、自分が食えるという「一人前」、家族を養えるという「一人前」、自分を大人にしてくれたた社会(親も含め)に感謝して奉仕するという「一人前」という、「一人前」という概念の復活ではないでしょうか。
 私たちの同窓会では、「勉強は嫌だったが、学校は楽しかったな」が話題の共通項です。一番は友達とあって、色々な話をするのが楽しいし、自分の知らない情報を聞くのが面白い。目標を立てても、個人は弱い。友人と約束した場合、「あいつもがっばっているんだから、途中で止められない」という叱咤激励にもなりました。
 学校には、家に無い物がありました。戦争を体験した先生から戦争の話が聞けるのが珍しかった。音楽の好きな先生がアコーディオンを弾いてくれるのが嬉しかったです。文化祭で、同級生の親が義太夫するのが不思議でした。フォークダンスで、憧れの女生徒と手を握れるのが「嬉し恥ずかし」でした。
 私の息子も娘も、学校が嫌だといったことを一度もありません。孫たちも「幼稚園、たのしかったで」とか「だれだれちゃんと友達になれた」と報告します。孫の親も「なかなか帰りたいと言わないので、困った」と嬉しい話をしてくれます。いずれ小学校や中学校へ行ったとき、「学校が嫌だ」というようになるのでしょうか。
(1)親が、色々な場所に連れて行って、誰とでも遊べるような人間関係を作るよう提言しています。私が言うまでもなく、自覚して、あちこち連れて行っているようです。子供社会の復権です。今の社会では、私たちが体験した完全な子供社会の復権は不可能ですが、その意義だけは継承したいものです。
(2)社会にでる中継的な役割の学校は、画一的で、均一的で、拘束的な面も否定できません。家の方が快適・贅沢すぎが場合、家に居たくて、学校に行きたがらないことも出てきます。
(3)学校には、友達がいる、家に無い物がある。当然、学校に行きたくなります。
 兵庫県豊岡市で、昨年(2005年)大洪水がありました。バスの上で、歌を唄って、一夜を過ごした人々がいたことを記憶されていることでしょう。学校も休校になりました。学校が再開された時、小学生の元気な「黄色い声」がTVから流れてきました。絵になる場面で、ジーンときました。もともと子供は、社会の重圧が少なく、屈託がなく、明るいものなのです。そんな子供に異変が起きています。
 今、「賢い子」と言えば、東大・京大に多く合格させる高校に進学して生徒と答える人が多いでしょう。私の体験をお話します。
(1)高校1年生の弟の三者面談に来ている母親が他校に進学している高校3年生の兄の相談をするのです。私が「どこの高校ですか」と問うと、母親は待ってましたとばかり「Y高校(下表)です」と答えました。私はシラッとなるのを必死で抑えて、「それZ高校の担任と話してください」と突き放した言ったものです。弟の気持ちを無視し、存在を否定する母親の気持ちに、怒りを覚えたものです。
(2)ちょっと顔見知りの主婦から、いきなり「お子さんどこの高校ですか」と聞かれました。「○○高校ですが」と答え、聞かれたら当然「お宅は?」と聞き返します。「私とこはあんまり勉強しないんですが、Z高校にはいりましたの」とくる。つまり、自分の子供の入学先を言いたくて、先に相手に聞くという戦法である。
逆に、進学校でもないと、そんな聞き方はしない。聞かれても「地元の高校です」としか答えません。
(3)文化祭や体育祭など学校行事には欠席したり、掃除などをサボって帰る生徒がいます。紙試験では優秀な成績をとっています。私は、本当は「アホや」と言いたい所ですが、立場上言えないので、クラブや学校行事も参加しないで「それ位の点数か。大したことないな」と冷やかしてやります。
国公立合格率(国立大9大学とはA+7大学=B) (1)R高校は村上
世顕氏の学校で
全国1位にランク
(2)X高校は放火し
て義母・弟妹を殺害
した高1生の学校
高校名 公私 東大・京大(A) 国立大9大学(B) B/卒業者数
R高校 私立 140人 165人 77.5%
X高校 私立 100人 133人 64.3%
Y高校 公立 30人 90人 25.4%
Z高校 私立 25人 37人 28.5%
 私の知っている生徒で、東大・京大に進学した生徒がいます。
(1)クラブで活躍したり、たくさん本を読んだり、多くの友人と進路に相談や雑談に来ています。塾や予備校に行かず、いい意味で、徹底して、友人や先生を活用しました。家の手伝いも普通のように手伝っていました。余裕を持って、楽しんで、高校生活を送っています。「決められたキャパシティ(容量)しかなので、不要なものは頭に入れないようにしています」と含蓄のある言葉を残して、卒業していきます。大学生活を、心身ともに、ゆとりをもって、送っています。
(2)受験に関係ないものを、神経質なまで切り落として、必死で、進学した生徒もいます。受験の関係のない教科は、内職をする、友人も受験に邪魔になる、学校行事や掃除も必要ない、学校が終われば、予備校へ一直線である。全く余裕がない。卒業後は、「教え子に東大生がいると自慢している先生がいるが、世話になったことはない」と言って、一度も母校を訪問することもない。私は内心では「アホや」と思っているが、周囲や本人は「秀才」と思っている。しかし、大学にはそんな生徒ばかりで、余裕のない生徒は大学では劣等性、田舎では「秀才」という歪んだ事態に身を置くことになります。近所に人に会っても挨拶もしない。近所の人は「挨拶もしない」と噂するが、劣等感から「挨拶も出来ない」心理なのです。紙試験による評価の犠牲者と言えます。
(3)Z高校もY高校と同じ地区にあります。Z高校は中高一貫校なので、小学校でダントツの生徒でなければ、合格しません。しかし、人間の能力には、小学校で芽生える生徒、中学校で成長する生徒、高校で飛躍する生徒、大学や社会人になって伸びる生徒など様々です。しかし6年後、ここの卒業生は、地元では「天童」と噂されていたため、国公立大か難関私立大に進学することが宿命づけられています。もし、それ以外の大学に進学した場合は、「親戚に恥ずかしい」と親にしかられます。地元に周囲もそういう目で見ます。自分は、同窓会にも欠席するといいます。小学時代にダントツの成績で、全国屈指の中高一貫校に進学し、自他共に「天才」と思っていた生徒が、そんな天才ばかりの中で、落ちこぼれて行った高校1年生を想像できます。奈良の義母・弟妹を放火で殺害した少年です。阪大工学部に行った学生も周囲の「天才」と学内の「落ちこぼれ」の間で悩んでいたのでしょう。紙試験による評価の犠牲者と言えます。
 私は、小さい時から、「読み書き算盤」(本を読んだり、字を書いたり、計算問題を解いたりする)の勉強をする習慣をつける必要はあります。しかし、勉強を教える必要は否定します。
 私の体験では、「食事前に、TVやゲームをせずに、机に向った生徒は、食後も机に向かう」という仮説をたて、生徒に聞くと、多くの生徒が「そうだ」といいました。「机に向って、本を読んだり、字を書いたり、計算をしていると、分ってきて、勉強が楽しくなる」といいます。勉強は、楽しいと思わせると、強制せずとも勉強はするものなのです。1人の勉強では、寄り道が多く、塾にも行きたくなるといいます。
 私は、生徒に「塾に行っから、今の成績だと思う者は?」と聞くと、色々な意味で成績の上位の生徒ほど「そうだ」と塾を肯定的に捉えています。次に、「塾に行かなかっても、今の成績だと思う者は?」と聞くと、そこそこの生徒は「そうだ」と答えます。つまり、塾に行きたいから行ったという主体的の生徒は成績が伸びているし、親が進めたからとか友達が行っているからという受動的な生徒はそれほど伸びていないということです。
 私は、塾を否定しません。しかし、主体的に行きたくない生徒を強制しても、塾の中で、小学生の段階で、成績を順位付けされ、高校入学時には心身ともに疲労困憊にしている状況に納得していません。
 最近、新聞の広告欄に、週刊誌や雑誌の見出しが踊っています。それを拾ってみました。
(1)「幼稚園受験の基礎知識」・「小学校受験は子どもがするものではない」
(2)「頭のいい親子の勉強法」。「子育ては住まいから」
(3)「100人の内努力する50人、50人の内正しい努力の方法をつかんだ人が難関大学に合格する」
(4)「受験に勝つ親子の夏休みスケジュール」・「どんな子も伸びる名教師の授業道具」
(5)「日本のトップの進学実績はこうしてつくられる」・「英才教育グッズの売れ筋ランキング」など。
 あの陰山メソッドを提唱していた陰山英男という人が、2006年4月から立命館の教授になりましたね。私は、以前から、「20年後でなければ、奴隷的拘束下における競争的百桝計算は、メソッドとは言えない」「中学・高校生なら、陰山メソッドを強制したら暴動が起こりますよ」と指摘していました。
 陰山英男氏は、1989年4月に兵庫県の山口小学校で百桝を実践し、14年後の2003年4月に広島県の土堂小学校の公募校長として指導し、2006年4月から立命館の新設小学校副校長兼大学教授になりました。17年で、メソッドを検証することもなく、華麗な転進を遂げました。
 山口小学校の実践を通じて、「比較的田舎の学校であったにもかかわらず、その後国公立大学に進学し、その割合は類を見ない高率で、その後、教育実践がメディアで紹介されるようになる」と自らの著書で書いています。それが本当なら、山口小学校や朝来郡や兵庫県で支持者が今もいるはずですが、誰もいないといっても過言ではありません。陰山氏だけが信じている神話だということです。
 土堂小学校では、NHKTVなど色々なマスコミに「前任校長のときに比べて、飛躍的に偏差値が伸びた」と喧伝したにも拘わらず、今(2006年7月19日)の土堂小学校のHPには、百桝のことに関して一片の写真も一言の説明もありません。一体これはどうしたことでしょうか。「一将功成って万骨枯る」の典型でしょうか。
 同じように算数の実践をしている向山型算数教え方教室の主催者である向山洋一氏は、「“百マス計算”はできない子を救えるか」の中で、実は最も恐ろしいのは「考えない頭→考えられない頭」を作る。このことは「デキル子」にも「出来ない子」にも当てはまると指摘しています。また、百マス計算は、「勉強のできない子に害があり」「貴重な授業時間をつぶしてしまう」マイナス面の大きい方法でり、「すぐにあきてしまい」「熱中するのはごく一部の子である」と批判しています。
10  イーウーマンのHPで、佐々木かをり氏から、「公立小学校を支持している人たちからすると、陰山先生も、ついに、公立の限界を感じて私立に?なんて思っているのではないかと想像するのですが」とずばり切り込まれています。それに対して、陰山氏は、「百桝計算の理論が認知されたので、新しい分野に挑戦したかったのです」と答えています(朝日新聞子供向け新聞)。
 陰山氏の方法論の特徴は、前任者や他者と比較して、競争心を煽り、「負けるな、勝った勝った、やれば出来る」という予備校手法の導入です。メソッドでもなんでもありません。
 山口小学校で陰山氏の予備校手法で成果を上げていた先生が、陰山氏が土堂小学校に転進した後は、強力な支持を失いました。ある知人は、教研集会で、その先生が「私に発表の場を与えてくれない」と泣いて訴えていました。その知人は、「たくさんの支持があれば発表の場を奪うことはないのに、陰山メソッドは地元ですでに破綻している」と思ったそうです。
 私は、陰山メソッドなどエセ教育論がはびこる限り、子供たちの笑顔は戻らないと訴えます。
11  私は、不登校を子供のエセ教育論や受験競争を煽る親への復讐と思っています。先に見たように、少数のエリートの裏には、エリート競争に敗れた無数の子供たちがいるのです。
 子供には無限の可能性があると言いながら、人間として生きる上で、意味のない紙試験に価値を見出し、子供の可能性を序列化して、夢を削いでいるのです。紙試験は数字で直ぐ結果が出ます。単純です。子供社会の成果主義です。大人社会の成果主義は破綻し、毎年3万人の自殺者が出ています。
 人間は、簡単に結果も出ないし、複雑なものです。大人は、紙試験の結果以外に、様々な物差しを持つ自信が必要です。

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