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エピソード

298_02

現代の世界U(1992年〜2000年、アメリカ大統領選)
 ここでは1992年から2000年の現代の世界を扱います。
 イスラエルのラビン首相とパレスチナのアラファト議長は、パレスチナ暫定自治に調印しました。
 1992(平成4)年
 1月9日、明石康国連事務次長は、国連カンぼジヤ暫定行政機構の特別代表に就任しました。
 2月1日、ブッシュ大統領は、エリツィン大統領と米ロ首脳会談を行い、敵対から友好へ転換を宣言しました。
 2月19日、南北南朝鮮の首相会談で、「非核化共同宣言」を発表しました。
 4月5日、ぺルーのフジモリ大統領は、議会を解散し、憲法を停止しました。
 4月9日、北朝鮮は、核査察協定を批准しました。
 4月27日、ユーゴスラビアは、クロアチア等4共和国と新ユーゴ連邦に解体されました。
 4月29日、ロサンゼルスで、白人警官の暴行事件から黒人大暴動に発展しました。
 6月2日、デンマークで、国民投票が行われ、欧州連合条約加盟に反対が多数を占めました。
 6月19日、アイルランドは、欧州連合条約を批准しました。
 7月13日、イスラエルで、ラビン労働党内閣が発足しました。
 8月24日、中・韓両国が国交を樹立しました。
 9月30日、米軍は、スービック基地をフィリピンに返却しました。
 10月16日、中米先住民の女性人権擁護運動家であるリゴベルク・メンテュは、ノーベル平和賞を受賞しました。
 11月3日、クリントンは、米大統領に当選しました。
 12月19日、金泳三は、韓国大統領に当選しました。
 1993(平成5)年1月1日、EC12か国は、単一市場を発足させました。
 1月1日、チェコとスロバキアが独立しました。
 1月13日、米・英・仏軍は、イラクのミサイル基地を空爆しました。
 2月18日、ノーベル平和賞受賞者8人は、スー=チ一女史の釈放を求める公開書簡を発表しました。
 3月12日、北朝鮮は、核不拡散条約から脱退しました。
 3月21日、仏で総選挙があり、与党の社会党が大敗しました。
 3月30日、保守連合のバラデュール元蔵相が組閣しました。
 5月1日、スリランカのプレマダサ大統領は、爆弾テロで暗殺されました。
 5月11日、デンマークは、再国民投票で、欧州連合条約批准を承認しました。
 6月1日、カンボポジヤで総選挙があり、フンシンぺック党が第1党になりました。
 6月27日、米軍は、イラクの情報機関本部を攻撃しました。
 9月13日、イスラエルのラビン首相とパレスチナのアラファト議長は、パレスチナ暫定自治に調印しました。
 10月3日、エリツィン大統領の議会解散措置に反対した市民は、国営テレビ等を襲撃して、市街戦となりました。
 10月3日、インドで大地震があり、死者3万人となりました。
 10月4日、ソ連は、議会解散措置反対の市民を戦車で鎮圧しました。
 10月5日、中国は、地下核実験を再開しました。
 11月5日、米議会は、銃規制法案を可決しました。
 12月30日、イスラエルとバチカンは、相互承認等の文書に調印しました。
 1994(平成6)年1月10日、NATOは、旧東側諸国と軍事的協力関係締結を承認しました。
 2月9日、イスラエルとPLOは、ガザ・エリコ地区撤退の国境管理等に基本合意しました。
 4月10日、NATOは、ボスニア紛争でセルビア人勢力を空爆しました。
 5月6日、英仏間のユーロ・トンネル全長50キロが開通しました。
 5月18日、イスラエル軍は、国境管理等に基本合意により、ガザを撤退しました。
 6月24日、ロシアは、EUと友好協力協定に調印しました。
 7月6日、米・ロ・英・仏・独5カ国は、ボスニア分割和平案を提案しました。
 7月8日、北朝鮮の金日成国家首席が急死しました。
 7月25日、ヨルダンとイスラエルは、戦争状態終結を宣言しました。
 8月27日、セルビアは、住民投票で、5カ国提案のボスニア分割和平案を拒否しました。
 8月29日、ロシア軍、旧東独とバルトから撤退しました。
 9月8日、ベルリン駐留の米・英・仏軍は、ドイツからの撤退式典を行いました。
 9月23日、国連安保理は、ボスニア紛争に関して、セルビア制裁強化を決議しました。
 11月10日、イラクは、クウェートを承認しました。
 11月14日、国連安保理は、対イラク制裁の延長を決定しました。
 11月16日、国連海洋法条約が発効しました。
 12月2日、ロシアは、国連安保理の対セルビア人勢力禁輸強化決議案に対し、拒否権を行使しました。
 12月15日、国連総会は、日本提出の核軍縮決議案を採択しました。この時、中・ロは賛成し、米・英・仏は棄権しました。
 1995(平成7)年1月19日、ロシア軍は北カフカズのチェチェン紛争で、大統領官邸を占拠しました。
 1月28日、米・ベトナムは、相互に連絡事務所を設置しました。
 1月30日、米のスミソニアン博物館で、「原爆展」の中止をが決定しました。
 3月23日、米・ロ外相は、大量破壊兵器の拡散防止で合意しました。
 3月26日、欧州7カ国は、人の移動自由化を決定しました。
 4月3日、駐ブルンジの米大使は、フツ族400人の虐殺を公表しました。
 4月9日、ペルーのフジモリ大統領が再選しました。
 5月1日、旧ユーゴの停戦は、4カ月で切れ、内戦が拡大しました。
 5月7日、仏の大統領選で、シラクが当選しました。
 5月15日、中国は、「1994年10月以来地下核実験を実施した」と発表しました。日本政府は、これに正式に抗議しました。
 6月13日、フランスは、「1995年9月〜1996年5月の間に、南太平洋での核実験を8回行う」と公表しました。
 7月10日、ミャンマーのスー=チーが6年ぶりに解放されました。
 9月28日、イスラエルとPLOは、パレスチナの自治拡大で合意しました。
 10月11日、ボスニア紛争の停戦が発効しました。
 10月15日、イラクのフセイン大統領の信任投票で、99.96%を獲得しました。
 11月4日、イスラエルのラビン首相は、極右学生に撃たれて死亡しました。
 11月16日、韓国最高検は、盧泰愚前大統領を在任中の収賄容疑で逮捕しました。
 12月3日、韓国最高検は、全斗煥元大統領を粛軍クーデクー首謀容疑で逮捕しました。
 12月11日、国連総会は、「国連憲章」から「旧敵国条項」を削除しました。
 1996(平成8)年1月16日、PLOのアラファト議長は、パレスチナ自治政府初議長に就任しました。
 1月29日、仏のシラク大統領は、「1月27日で核実験は終了した」と宣言しました。
 2月18日、ボスニア・クロアチア・セルビア3カ国の和平会議が終了しました。
 3月23日、李登輝が台湾の総統に就任しました。
 5月13日、北京〜イスタンブール間ののシルクロード鉄道が開通しました。
 5月20日、国連は、イラク制裁限定を解除しました。
 5月29日、イスラエルの総選挙で、治安重視のネタニヤフが首相に選出されました。
 6月2日、南アのツツ大主教がノーベル平和賞を受賞しました。
 7月12日、英のチャールズ皇太子は、ダイアナ妃との離婚に合意しました。
 8月9日、エリツィンは、ロシアの大統領選決選投票で再選されました。
 8月22日、米は、化学兵器廃棄を本格化しました。
 8月26日、韓国裁判所は、全斗煥元大統領に死刑、盧泰愚前大統領に懲役22年6か月の判決を下しました。
 8月31日、ロシアとチェチェンは、独立問題5年間棚上げ合意しました。
 10月3日、新ユーゴとボスニアが国交関係の樹立に合意しました。
 11月5日、米のクリントンが大統領に再選されました。
 11月18日、ルーマニアで大統領選があり、非旧共産党系候補が当選しました。
 12月16日、控訴審で、全斗煥元大統領は無期、盧泰愚前大統領は懲役17年に減刑されました。
 12月17日、ぺルーのゲリラであるトウバク=アマルは、日本大使公邸の天皇誕生日祝賀パーティー襲撃し、数百人を監禁しました。
 12月20日、ぺルーのゲリラは、断続的に人質を解放しましたが、81人が越年することになりました。
 1997(平成9)年1月1日、第7代国連事務総長にガーナ出身のコフィ・アナン氏が就任しました。
 1月15日、イスラエルのネタニヤフ首相とパレスチナ解放機構(PLO)アラファト議長は、ヘブロンからのイスラエル軍部分撤兵で最終合意しました。
 1月17日、イスラエル軍はヘブロンから撤退を完了し、パレスチナ自治政府に権限を移譲しました。
 2月12日、北朝鮮朝鮮労働党の黄長華書記は、北京の韓国大使舘に亡命を申請しました。
 2月19日、中国の改革・開放路線を推進した最高実力者であるケ小平(92歳)が死亡しました。
 4月20日、北朝鮮朝鮮労働党の黄長華書記は、北京より韓国に入りました。
 4月22日、 ペルー日本大使館公邸に、軍と警察の特殊部隊が突入して、人質71人全員を解放しました。人質のペルー人判事1人と兵士2人犠牲になりましたが、占拠グループ14人全員を殺害しました。
 4月25日、ケ小平に関して、北京で1万人追悼大会が開かれ、江沢民国家主席が弔辞を読み上げました。
 5月2日、イギリス総選挙で、労働党が過半数を大きく上回る419議席を獲得し、18年ぶりに政権を奪回しました。ブレア党首(43歳)は、今世紀最年少で首相に就任しました。
 5月16日、 ザイールのモブツ大統領が政権を放棄して、首都を脱出しました。
 5月17日、ザイールの反政府勢力指導者であるカビラは、元首就任を宣言し、国名をコンゴ民主共和国に変更して、反政府勢力部隊が首都に無血入城しました。
 5月24日、イラン大統領選で、穏健派と急進派相乗りのハタミ元イスラム指導相は、本命視された国家議長ら破り当選しました。
 6月4日、仏の総選挙で、社会党中心の左派が過半数制し、左派連立内閣が発足しました。
 6月20日、第23回主要国首脳会議は、今回から正式参加のロシア含む8カ国で開幕しました。これをデンバー・サミットといいます。
 6月22日、デンバー・サミットは、ロシアのWTO加盟支持・香港の民主的選挙に期待など表明した共同宣言を発表しました。
 7月1日、 香港がアヘン戦争以来1世紀半ぶり英統治から中国に返還され、1国2制度をとる特別行政区が発足しました。
 7月2日、米は、ネバダ地下核実験場で初の臨界前核実験を強行し、核爆発なく包括的核実験禁止条約の規制外と強調しました。
 7月2日、 タイ政府によるタイバーツの変動相場制導入により、アジア通貨危機が始まりました。
 7月7日、カンボジアのフン=セン第二首相派は、ラナリット第一首相派と交戦し、フン=セン派が首都を完全に制圧しました。
 7月17日、インドの大統領選挙で、ナラヤナン前副大統領が圧倒的多数で当選し、初の最下層出身大統領となりました。
 7月23日、東南アジア諸国連合(ASEAN)は、ミャンマー・ラオスの加盟を承認し、9カ国体制が発足しました。
 8月31日、ダイアナ元英皇太子妃(36歳)が乗った車がパリ中心部のトンネル内でカメラマンの追跡を逃れようとして柱に激突しました。ダイアナ元妃は、出血多量で病院で死亡し、交際相手のエジプト人富家も死亡しました。
 9月6日、 ロンドンのウエストミンスクー寺院で、ダイアナ妃の国民葬が行われました。
 9月13日、ノーベル平和賞を受賞したカトリック修道女マザー・テレサ(87歳)が死亡し、インドのカルカッタで国葬が行われました。
 10月2日、欧州連合(EU)の新憲法となる欧州連合条約(マーストリヒト条約)改訂版のアムステルダム条約に加盟15カ国外相が調印しました。
 10月8日、 金正日は、朝鮮労働党総書記に就任しました。
 11月17日、エジプト南部の観光地であるルクソール神殿で、イスラム過激派組織「イスラム団」によるテロ事件が発生しました。日本人10人を含む観光客68人が死亡しました。
 12月4日、対人地雷の全面禁止を目指す地雷禁止条約の調印式がカナダのオタワであり、日本など121カ国が調印しました。しかし、主要生産国の中国・インド、軍事大国の米・ロシアは不参加でした。
 12月18日、 韓国の大統領選挙が行われ、新政治国民会議の金大中氏は、大接戦の末、李会昌氏らを下して、初の与野党政権交代を実現しました。
 1998(平成10)年2月2日、クリントン大統領は、単年度財政収支を30年ぶり黒字転換柱とした1999会計年度予算教書を議会提出し、赤字体質からの脱却を宣言しました。
 2月25日、金大中は、第15代韓国大統領に就任し、民主主義と経済発展の両立を訴えました。
 3月16日、中国の第9期全国人民代表大会で、国家主席に江沢民を選出しました。
 3月17日、中国全国人民代表大会は、李鵬首相の後任に朱鎔基を首相に選出しました。
 3月19日、インドでヒンドゥー至上主義の人民党による連立政権が成立しました。
 4月10日、英国・北アイルランド紛争の和平交渉が合意し、北アイルランド議会の設置などを骨子とする協定案が成立しました。その結果、流血の30年に歴史的幕を閉じました。
 5月2日、欧州連合(EU)の特別首脳会議は、1999年1月から単一通貨ユーロ導入柱に欧州通貨同盟発足を正式に決定しました。参加国は独・仏・伊など11カ国です。
 5月11日、インドで、24年ぶりに3種類の地下核実験を実施しました。
 5月15日、インドのバジパイ首相は、世界6番目の核保有国を宣言しました。
 5月21日、インドネシアで暴動本格化し、スハルト大統領が辞任し、後任にハビビ副大統領が就任しました。スハルト大統領の32年間の独裁体制が終了しました。
 5月28日、パキスタンは、インドに対抗して、地下核実験を強行しました。
 6月3日、ドイツで、超高速列車ICEが脱線し、100人以上が死亡しました。
 6月27日、クリントン大統領は、天安門事件後、大統領として初めて北京を訪問しました。
 6月29日、中国を訪問中のクリントン大統領は、台湾の独立と国連加盟を認めないなどの「3つの不支持」を公式の場で初めて明言しました。
 8月7日、ケニアの首都ナイロビとタンザニアの首都グルエスサラームで、米大使館を狙った同時爆破テロがあり、180人以上が死亡し、5000人以上が負傷しました。
 8月17日、クリントン大統領は、不倫もみ消し疑惑で連邦大陪審に対して証言しました。その後、テレビ演説で、元ホワイトハウス実習生と「不適切な関係」を認めて、謝罪しました。
 8月20日、米国は、アフガニスタンとスーダンのテロ関連施設をミサイル攻撃しました。
 8月15日、米国でiMac発売が発売されました。
 8月31日、北朝鮮は、新型の弾道ミサイルであるテポドンを発射し、一部は日本列島を飛び越えて、三陸沖の公海上に着弾しました。北朝鮮は、人工衛星と主張しました。
 9月27日、ドイツ総選挙で、社民党が勝利し、コール首相が退陣し、次代首相にシュレーダーが就任し、連立内閣が発足しました。
 10月8日、韓国の金大中大統領は、日本を訪問しました。
 10月13日、ユーゴスラビア・コソボ紛争で、ミロシェビツチ大統領は、治安部隊の即時撤退など国連安保理決議の履行に同意しましたが、NATO軍は、直前で空爆を回避しました。
 11月25日、中国の江沢民国家主席は、日本を訪問しました。
 12月1日、石油メジャー2位のエクソンは、4位のモービルを買収しました。その結果、買収総額は772億ドルで史上最大の買収規模となりました。
 12月17日、国際連合の大量破壊兵器査察を拒否したという理由で、米・英両軍は、イラクの首都バクダッドなどの軍事・治安施設を空爆しました。
 12月19日、米下院本会議は、クリントン大統領の「偽証」と「司法妨害」などによる弾劾訴追を賛成多数で可決しました。
 1999(平成11)年1月1日、EUは、単一通貨ユーロを導入しました。
 1月7日、米上院は、クリントン大統領に対する弾劾裁判を開始しました。
 1月27日、インドネシア政府は、東ティモールの独立の可否を8月末に招集する国権最高機関である国民協議会に提案する可能性を示しました。
 2月7日、ヨルダンのフセイン国王が死亡しました。
 2月12日、クリントン大統領の不倫もみ消し疑惑をめぐる米上院の弾劾裁判で、議員の評決の結果、有罪に必要な3分の2に達せず、無罪が確定しました。
 2月23日、仏ランブイエで行われたユーゴスラビア連邦のコソボ自治州問題の和平交渉は、暫定自治案で原則合意しました。北大西洋条約機構(NATO)の平和推持軍展開など最終合意へ向け交渉を再開することも決定しました。
 3月23日、日本海で不審船を発見し、威嚇射撃をすると、北朝鮮の清津港に逃走しました。
 3月24日、ユーゴスラピア連邦コソボ自治州問題で、NATO軍は、ユーゴスラピア連邦の軍事施設などを空爆しました。ユーゴスラピアのミロシェビツチ大統領は徹底抗戦を主張しました。
 4月6日、中国の朱鎔基首相は、訪米しました。
 4月20日、アメリカのコロラド州の高校で、生徒2人が銃を乱射し、後に自殺しました。これをコロンバイン高校銃乱射事件といいます。
 4月30日、カンボジアは、東南アジア諸国連合に加盟しました。
 5月17日、イスラエル首相選挙で、労働党のバラクは、中東和平に消極的だった現職でリクード党首のネタニヤフを破って、首相に就任しました。
 5月26日、インド軍は、パキスタンと敵対するカシミール地方で空爆を開始しました。パキスタンが反撃し、インドの戦闘機2機を撃墜しました。
 6月10日、NATOとユーゴスラビアの合意に基づき、ユーゴスラビア軍はコソボ自治州から撤退を開始しました。NATO軍は、空爆を停止し、進駐を開始しました。
 8月17日、トルコ西部で地震が発生しました。
 8月30日、独立の是否を問う東ティモールの住民投票が実施された。インドネシアとの併合派の襲撃など治安が悪化する中で開票が行われ、国連派遣団は独立支持が78.5%の圧倒的多数で勝利したと発表しました。
 9月12日、ベルリンで行われた米国と北朝鮮の高官協議の結果、弾道ミサイル「テポドン」の発射実験は当面回避される見通しとなりました。
 9月21日、台湾で大地震が発生しました。
 10月1日、武装学生グループは、バンコクのミャンマー大使館を占拠し、大使館員らを人質に民主化を要求しました。人質が解放されたので、退去しました。
 10月5日、ロシア・チェチェン共和国への進攻作戦を続けるロシア軍は、チェチェン領土の3分の1を占拠しました。プーチン首相は、チエチエン武技勢力制圧への決意を表明しました。
 10月12日、パキスタン軍部は、シヤリフ首相官邸など占拠し、ムシャラフ陸軍参謀長は、最高行政官に就任して、軍政を実施しました。
 10月20日、インドネシアで、新大統領にワヒド議長が就任しました。
 12月6日、チェチェンの首都グロズヌイの包囲作戦を進めるロシア軍は、住民に退去を勧告し、ロシアと即時停戦を求める欧米各国との対立が深まりました。
 12月20日、ニューデリー行きインディアン航空814便189人がハイジャックされました。アフガニスタン南部のカンダハル空港で、過激派マスード・アズハル師ら3人との交換人質で解放されました。
 12月20日、ポルトガル領マカオが中国に返還され442年に及ぶ植民地支配に終止符が打れました。
 12月31日、ロシアのエリツィン大統領が辞任し、代行にプーチン首相を指名しました。
 12月31日、アメリカからパナマ運河が、1世紀ぶりに、パナマに返還されました。
10  2000(平成12)年1月1日、コンピューター2000年問題で、米の大統領委員会は、「米国・世界とも大問題は起きていない」と発表しました。
 1月10日、米のアメリカ・オンラインは、米のタイム・ワーナー買収を発表しました。
 1月18日、ドイツのコール前首相は不正献金疑惑で、キリスト教民主同盟の名誉党首を辞任しました。
 3月27日、ロシア大統領選で、プーチン大統領代行兼首相は、第1回投票で、過半数獲得し、当選しました。
 4月10日、韓国の金大中大統領は、6月に平壌を訪問し、北朝鮮の金正日総書記と史上初の南北首脳会談を行うことで合意しました。
 5月7日、プーチンがロシア大統領に就任し、ミハイル・カシヤノフを新首相に指名しました。
 6月13日、韓国の金大中大統領は、北朝鮮を訪問し、南北分断から55年年にして、金正日総書記と歴史的な首脳会談を行いました。
 6月27日、北朝鮮で開催された韓国・北朝鮮赤十字会談で、離散家族100人ずつの相互訪問などを正式に合意しました。
 7月25日、コンコルド墜落事故。パリ郊外のホテルに激突して114人死亡。
 7月25日、アメリカ主導で続いていた中東和平交渉が決裂しました。
 8月14日、ロシア原子力潜水艦事故発生。乗組員118人は全員死亡した。
 9月15日、シドニーオリンピックが開幕しました。史上最多の200カ国・地域が参加し、韓国と北朝鮮が史上初の合同入場行進をしました。
 10月6日、ユーゴスラビア憲法裁判所は、新大統領にコシュトニツア候補が当選と認定し、ミロシエビツチは敗北を宣言しました。
 10月13日、韓国の金大中大統領は、南北朝鮮の融和政策や韓国の民主化などが評価され、ノーベル平和賞を受賞しました。
 10月23日、米のオルブライト国務長官は、現職閣僚として北朝鮮を初めて訪問し、金正日総書記と会談しました。
 11月7日、米大統領選で、ブッシュとゴアが大接戦で、開票日に大統領が決まらぬ異例の事態となりました。
 11月20日、日本に滞在のフジモリ大統領は、辞表を提出しました。しかし、ペルー国会は、辞表を受理せず、フジモリ大統領を罷免しました。
 12月13日、ブッシュは、勝利宣言しました。
 12月月30日、フィリピンのマニラ首都圏で、連続爆弾テロがあり、22人が死亡、100人以上が負傷しました。
 この項は、『近代日本総合年表』・『昭和・平成現代史年表』などを参考にしました。
アメリカ大統領のタフさは大統領選挙制度にあり?
 最近の小泉首相は、歴代の中でもタフで、叩かれ強いです。5年もの間、政治のトップを走り続けるということは、建康が一番です。次いで、人気です。変わりやすい大衆の心をつかむ人身掌握術です。次に、スキャンダルとか様々な事件です。それをどう国民の目線で裁き、どう乗り切るかです。
 それでも、アメリカの大統領と比べて、ひ弱い感じがします。
 1998年1月、ポーラ=ジョーンズさん(31歳)は、アーカンソー州知事時代のクリントンさんにセクシュアルハラスメント(性的いやがらせ)を受けたとして、クリントン大統領(52歳)を訴えました。最高裁は、この訴えを却下しました。しかし、この裁判を通じて、クリントンさんの新たな不倫疑惑が表面化しました。
 1995年11月、クリントン大統領(49歳)は、ホワイトハウスのパーティーに研修生として出席したモ二カ=ルインスキー(22歳)が気に入り、不適切な関係を持ちました。しかし2人の関係はセクハラでなく、両者合意の不倫です。不倫は、アメリカでは犯罪ではないのです。ヒラリー夫人が「夫を信じていますから」という援護で、窮地を救われました。その後の世論調査では、辞職30%、続投67%でした。
 最近のブッシュ大統領にしても、なかなかしたたかで、しぶとく生き延びています。
 では、どうして打たれ強くタフな大統領が誕生するのでしょうか。
2000年1月〜6月 各州予備選挙・党員集会 全国党大会代議員選出
7月31日〜8月3日 共和党大会(フィラデルフィア) 正・副大統領候補選出
8月14日〜8月17日 民主党大会(ロサンゼルス)
9月〜10月 テレビ公開討論会(大統領候補)
11月7日 本選挙 大統領選挙人選出
12月18日 大統領選挙人による投票
2001年1月6日 連邦上・下院合同会議で開票 正・副大統領の決定
1月20日 大統領就任式
 2000年1月、アイオワ州の党員集会からアメリカの大統領選挙が始まります。
 2001年1月20日、アメリカ大統領就任式で大統領選挙が終わります。
 各州予備選挙から大統領就任式まで、約1年間かかっています。この長丁場を戦うためには、健康でなければなりません。密室で決まる日本の首相では勤まりません。
 1年間の長丁場を戦うには、桁違いのお金がいります。自分が牧場主であったり、大スポンサーがいなくてはととも出来ません。
 1年の長丁場には様々なハプニングや政敵からのスキャンダル暴露があります。これを打破するための理論・知識・弁論・パフォーマンスが必要です。1年も人気を保つ能力がいります。
 TV討論もあります。相手を論破するディベート術や、TV写りも重要な要素になってきます。
 では、具体的に大統領選挙制度を見ていきましょう。
 アメリカ民主主義に長所と短所を出ている2000年を例にしています。
 民主党のゴアは、クリントン大統領の副大統領だったので、予備選挙前の下馬評では、不利とみられていました。しかし、対抗馬であるニュージャージー州選出の前上院議員で、ニューヨーク・ニックスの人気バスケットボール選手だったビル・ブラッドレー氏に圧勝しました。3月7日(水)のスーパー=チューズデーで勝利して、大統領候補者指名を獲得しました。
 全国党大会開催前の世論調査では、ブッシュは、ゴアを支持率でリードしていました。
 民主党大会終了後の世論調査では、ゴアは、ブッシュとは支持率で互角になりました。しかし、共和党のブッシュは、タバコ・石油・ソフトウェア会社など企業との関係で、民主党に優位を保っていました。
大統領選挙人各州別選出数
Alabama Alaska Arizona Arkansas California 54
Colorado Connecticut Delaware D.C. Florida 25
Georgia 13 Hawaii Idaho Illinois 22 Indiana 12
Iowa Kansas Kentucky Louisiana Maine
Maryland 10 Massachusetts 12 Michigan 18 Minnesota 10 Mississippi 11
Missouri 11 Montana Nebraska Nevada New Hampshire
New Jersey 15 New Mexico New York 33 North Carolina 14 North Dakota
Ohio 21 Oklahoma Oregon Pennsylvania 23 Rhode Island
South Carolina South Dakota Tennessee 11 Texas 32 Utah
Vermont Virginia 13 Washington 11 West Virginia Wisconsin 11
Wyoming *D.C.とはDistrict of Columbiaの略称で、首都ワシントンです      
 11月から、各州で大統領選挙人が選出されます。例えば、アラバマ州でブッシュが50.5%、ゴアが49.5%得たとしても、9人全ては、ブッシュ側の選挙人が選出されます。これをウイナー=テイクス=オール(勝った者の総取り)といいます。
 選挙人の定数は、変化するようですが、2000年は、選挙人総数は538人ですから、その過半の270人を取った方が勝ちになります。
 11月7日早朝、開票後直ぐに、ブッシュに当確が着きました。しかし、直ぐ取り消されました。それは、ブッシュとゴアが大接戦を演じていたからでした。
 11月8日、フロリダ州以外の集計では、ゴア267人、ブッシュ246人でしたが、過半数に両者とも達していません。最後のフロリダ州の25人を獲得したものが、大統領になります。
 そのフロリダ州では、600万票のうち、ブッシュがゴアに1700票(0.5%以内)の差で勝っていました。しかし、州規定により再集計が行われた結果、その差は200票に縮まりました。その過程で、行方不明の投票箱が発見されたり、投票用紙が複雑で、ゴアとを混同してブキャナンに投票したという人が3704票もありました。集計されていない不在者投票を入れると、ゴアが有利な状況でした。
 ゴア陣営では、手作業による再点検を要求しました。ブッシュ陣営は、逆転負けの可能性がある手作業による再点検の差し止めを要求しました。
 11月13日、フロリダ州のハリス州務長官は、「11月14日を過ぎた再集計報告は無視する」と発表しました。これはブッシュ陣営に有利の決定でした。それもそのはずです。フロリダ州の知事はブッシュ候補の弟だったからです。
 11月26日、ハリス州務長官は、選挙結果を報告し、ブッシュの勝利を宣言しました。
 11月27日、ゴア陣営は、この勝利宣言の無効を提訴しました。
 12月8日、フロリダ州最高裁は、全ての集計を加えるよう、民主党に有利な判決を下しました。
 12月12日、合衆国連邦最高裁は、「12月8日の州最高裁の判決を差し戻す」という共和党に有利な判決を5対4で下しました。
 12月14日、ゴア副大統領は、「合衆国連邦最高裁の判決には同意できないが、受け入れる」と敗北を正式に認めました。ブッシュは、「政治的争いを過去のものとして、これからはアメリカの抱える課題を両党力を合わせて取り組んでいこう」と演説しました。
 12月18日、ブッシュは、正式に、選挙人を271人獲得しました。

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