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エピソード

300_02

現代の日本W(1999年〜2001年、森内閣・小泉内閣)
 ここでは1999年から2001年を扱います。
 森内閣・小泉内閣を検証します。
 1999(平成11)年3月1日、日産自動車は、フランスのルノーと資本提携しました。
 3月3日、日本銀行は、ゼロ金利政策を実施しました。
 3月23日、日本海で不審船を発見し、威嚇射撃をしましたが、北朝鮮の清津港に逃走しました。
 4月11日、石原慎太郎は、東京都知事に当選しました。
 6月28日、新幹線トンネルのコンクリート壁が剥落する事件が相次ぎました。
 8月9日、国旗国歌法が成立しました。
 8月12日、組織犯罪対策三法(通信傍受(盗聴)法、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律、刑事訴訟法改正案)が成立しました。
 9月30日、茨城県東海村の核燃料施設JCOで、日本初の臨界事故が発生し、2人が死亡しました。
 10月26日、桶川ストーカー殺人事件が発生しました。事件前に、埼玉県警上尾署に訴えていましたが、適切な対応もせず、捜査調書の改竄も判明しました。
 10月30日、上信越自動車道が全線開通しました。
 10月、大永紙通商は、日亜と合併し、国際紙パルプ商事と改称しました。
 11月10日、国会で、初の党首討論が行われました。
 12月31日、ミレニアムのカウントダウンが世界各地で催されました。また、2000年問題の動向が注目される中で、年越しを迎えました。
 2000(平成12)年1月1日、2000年問題は、大きな問題なく終結しました。
 3月11日、徳島自動車道が全線開通し、四国4県を結ぶエックスハイウェイが完成しました。
 3月18日、兵庫県津名郡淡路町と東浦町で、淡路花博が開幕しました。これをジャパンフローラ2000といいます。
 3月27日、小渕恵三首相は、第1回教育改革国民会議を開催しました。
 4月1日、地方分権一括法・民事再生法・介護保険制度が施行されました。
 4月2日、小渕恵三内首相は、脳梗塞で緊急入院しました。
 4月4日、小渕内閣が総辞職しました
 4月5日、@85森喜朗内閣が誕生しました。外相に河野洋平、蔵相に宮澤喜一、郵政相に八代英太、内閣官房長官に青木幹雄らが就任しました。
 5月14日、小渕恵三内首相が死亡しました。
 5月15日、森喜朗首相は、「神の国」発言をして、物議をかもしました。
 5月24日、ストーカー規制法が公布されました。
 6月1日、大規模小売店舗立地法が施行されました。
 6月25日、42衆議院議員総選挙が行われ、定数は480人で、自民党233人、民主党127人、公明党31人、自由党22人、共産党20人、社民党19人、保守党7人、無所属の会5人、自連1人、無所属15人が当選しました。
 6月29日、雪印集団食中毒事件が発覚しました。
 7月8日、三宅島雄山が噴火しました。
 7月19日、新紙幣の2000円札を発行しました。デザインは、表が沖縄県首里城の守礼門、裏が紫式部と源氏物語でしたが、使用に難点があり、評判は芳しくありませんでした。
 7月21日、21世紀夢の技術展が東京国際展示場で開催されました。
 7月21日、九州・沖縄で、第26回主要先進国首脳会議が開催されました。これを九州・沖縄サミットといいます。
 7月28日、四国縦貫自動車道が全線開通しました。
 8月1日、新500円硬貨が発行されました。
 9月22日、教育改革国民会議は、中間報告として、「教育を変える17の提案」を発表しました。
 9月24日、巨人、中日に逆転サヨナラ勝ちし、1996年以来のセ・リーグ優勝決める。
 11月4日、前期旧石器時代の文化が日本にも存在していたとして注目された宮城県築館町の上高森遺跡は、捏造であることが発覚しました。
 11月7日、米大統領選で、ブッシュとゴアが大接戦を演じました。
 11月8日、ハーグ事件で国際手配になっていた日本赤軍最高幹部の重信房子容疑者を大阪で逮捕しました。
 11月28日、少年法改正案が成立しました。
 2001(平成13)年1月6日、中央省庁が再編されました。
 1月20日、ブッシュがアメリカ大統領に就任しました。
 2月9日、ハワイ沖で愛媛県宇和島水産高の実習船「えひめ丸」が米海軍の原子力潜水艦グリーンヴィルと衝突して沈没し、9人が行方不明となりました。これをえひめ丸事件といいます。
 4月1日、三井銀行と住友銀行が合併し、三井住友銀行と改称しました。
 4月6日、「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準」「労働時間適正把握基準」が決定されました。
 4月13日、DV防止法が公布されました。
 4月26日、@87小泉純一郎内閣が誕生しました。総務相に片山虎之助、法相に森山眞弓、外相に田中真紀子、財務相に塩川正十郎、文科相に遠山敦子、厚相に坂口力、農相に武部勤、経産相に平沼赳夫、国交相に扇千景、環境相に川口順子、内閣官房長官に福田康夫、経済財政政策担当大臣に竹中平蔵、行政改革規制改革担当大臣に石原伸晃らが就任しました。
 5月23日、小泉首相は、熊本地裁のハンセン病訴訟で控訴断念することを決定しました。
 6月8日、大阪教育大附属池田小児童殺傷事件が発生しました。
 7月21日、兵庫県明石市のJR朝霧駅の歩道橋で、花火大会の見物客が将棋倒しになり、11人が死亡しました。
 7月29日、第19回参議院議員選挙が行われ、定数が121人で、自民党64人、民主党26人、公明党13人、自由党6人、共産党5人、社民党3人、保守党1人、無所属3人が当選しました。
 8月13日、小泉首相は、靖国神社に参拝しました。
 9月10日、日本国内初の狂牛病 (BSE) 感染牛が発見されました。
 9月11日、アメリカで、同時多発テロ事件が発生しました。死者3000人以上となりました。
 9月11日、日経平均株価は、終値で1万円を下回り、1984年来の安値を記録しました。
 10月2日、与党3党による牛肉を大いに食べる会が開かれました。
 この項は、『昭和・平成現代史年表』・石川真澄『戦後政治史』などを参考にしました。
森喜朗内閣・小泉純一郎内閣
 私がしてやられたと思ったことがあります。
 郵政解散を絶叫する森派の小泉首相を説得に、派閥の長である森喜朗前首相があたりました。その後の記者会見で、森さんは、「会談で出されたのが干からびたチーズと缶ビールだけだった」とぼやき、小泉首相のことを「変人以上」と酷評しました。私は、これを正直に受け取っていました。
 しかし、TVのコメンテーターは、真実がわかると、「そうだと思っていた」と事後評論していました。事後評論しか出来ない人物がTVで正義論をブツのですから、笑止もんです。
 森さんは、ミモレットが高級チーズであることを承知の上で、小泉首相の衆議院解散への決意が固いというメッセージを伝えるための演技だったのです。森さんは、「選挙が終わったら、あのチーズを食べられる高級レストランに行こう」と小泉首相と約束したとメッセージしました。
 1937年、森喜朗は、石川県根上町に生まれました。祖父も父も根上町長でした。
 1956年、ラグビー推薦(無試験)で、早稲田大学第二商学部(夜間部)に入学しました。体調でラグビー部を止めた後、早稲田大学雄弁会で活躍します。雄弁会に入る点、世慣れています。
 1960年、23歳の時、産経社長の水野成夫の口利き(無試験)で、産業経済新聞社に入社しました。
 1969年、32歳の時、衆議院議員に初当選しました。
 1983年、46歳の時、第2次中曽根内閣の文部大臣になりました。これが縁で、文教族のドンになります。えらい迷惑です。安倍派の四天王(三塚博・塩川正十郎・加藤六月・森喜朗)といわれました。
 1988年、51歳の時、京都市でのパーティーで、「大阪人は金儲けばかりに走り、公共心も選挙への関心もなくした。言葉は悪いが、たんつぼだ」と発言し、物議をかもしました。
 1995年、58歳の時、自民党幹事長として、「村山首相は、自分で過渡的内閣には限界があると洩らしている」と読売新聞にリークし、村山首相を激怒させました。
 1998年、61歳の時、三塚派から派閥を継承し、森派を結成しました。
 2000年、63歳の時、密室の談合(無試験)で、総理大臣になりました。
 2000年1月13日、森喜朗は、敦賀市の講演で、「選挙運動で行くと農家の皆さんが家の中に入っちゃうんです。なんかエイズが来たように思われて…」と発言しました。これが原因で、国連エイズ総会への派遣を批判されました。
 3月22日、森喜朗は、石川県の講演で、「君が代斉唱の時、沖縄出身の歌手の1人は口を開かなかった。恐らく、知っていると思うが、学校で教わっていないのですね。沖縄の教組は全く共産党が支配し、何でも政府に反対、何でも国に反対する。沖縄の2つの新聞、琉球新報、沖縄タイムスもそうだ。子供もみんなそう教わっている」と「愛国心」から個人攻撃を行いました。
 4月2日、小渕首相が緊急入院しました。
 4月3日、青木幹雄官房長官は、記者会見で、「病名は脳梗塞」と発表しました。その後、首相後継問題が浮上し、森喜朗・河野洋平が取りざたされました。
 4月4日、小渕内閣が総辞職しました。
 4月5日、小渕首相の入院から24時間で、青木幹雄・村上正邦・森喜朗・野中広務・亀井静香の5人組が密室で談合して、「森さんでいいじゃないか」ということで後継総裁を決定したと報道されました。
 4月5日、森喜朗内閣が誕生しました。自民党は、自由党との連立を解消し、公明・保守との連立を発表しました。
 4月10日、参議院の青木幹事長は、小渕元首相から「臨時代理の任に当たるように」との指示を受けていたという説明を訂正して、小渕元首相からは「何かあったら万事よろしく頼む」と漠然とした依頼があっただけと真相を明かしました。
 5月2日、森首相は、イタリアを訪問した時、サッカーの中田英寿選手らを招いて会食しました。その時サッカー通(?)の森首相は「日本代表は、アウェーで韓国に勝ったことがないんだよ」と発言しました。しかし、中田選手は「ありますよ!」と強く訂正を求め、記念撮影を希望されたが、固辞しました。これも愛国心ゆえの愛嬌でしょうか。
 5月15日、小渕元首相が亡くなりました。
 5月15日、森首相は、神道政治連盟国会議員懇談会結成30周年記念祝賀会で、「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知をしていただく」と発言しました。これを神の国発言といいます。
 6月上旬、森首相の「国体」発言が問題化しました。
 6月20日、森首相は、衆議院選挙の応援演説で、「まだ(投票態度を)決めていない人が40%ぐらいいる。最後の2日間にどういう投票行動をするか。そのまま、その人たちが関心がないと言って寝ていてくれればいいが、そうもいかないでしょうね。」
 6月25日、総選挙で、自民党は半数に届きませんでしたが、与党(自・公・保)は、絶対安定多数を確保しました。
 6月30日、中尾栄一元建設相が逮捕されました。
 7月19日、森首相は、クリントン大統領に「Who are you?」(本当はHow are you?)と聞きました。クリントン大統領は、冗談と思いつつ、「I am the husband of Hillary.」(本当はFine Thank you. and you?)と答えました。すると、森首相は「Me too.」と言ったそうです。私は作り話だと主張しますが、「いや、本当だった」という人もいます。自分の文化(言葉)を卑下するものに、日本の愛国心を説く資格はない。
 10月24日、森首相の「第三国」発言が問題化しました。
 10月26日、森首相は、ラグビーの強豪であるオーストラリアチームの歓迎宴で、「日本代表は未来永劫ワールドカップを抱くことはできない」と発言しました。これがラグビーでスポーツ推薦された人の言う言葉でしょうか。その後日豪試合を観戦中のフアンから、森首相は一斉にブーイングを贈与されました。
 10月27日、中川秀直官房長官は、愛人問題や右翼幹部との交際・警察情報漏洩などの疑惑で更迭されました。後任に、森派の小泉純一郎会長が推薦した福田康夫が就任しました。森首相への批判をヒョウヒョウとして受け答える福田の記者会見が評判になりました。
 11月21日、森内閣不信任決議案が提出されました。宏池会会長で自民党の次期総裁候補の一人と目されていた加藤紘一は、森不信任は国民の多数が支持すると考え、YKKの盟友である山崎派の山崎拓会長とともに、自民党の方針に反して本会議を欠席することにしました。しかし、加藤派出身の閣僚は同調しませんでした。
 11月21日、森内閣不信任案が否決されました。この時、欠席したのは、加藤とその一部で、宏池会の殆どは、不信任案に反対票を投じました。その結果、政権交代は失敗しました。これを加藤の乱といいます。
 12月1日、新三役が決定しました。野中幹事長が辞任し、後任に古賀誠国会対策委員長が就任しました。亀井静香政調会長は留任し、村岡兼造元官房長官が総務会長に就任しました。
 12月5日、第2次森改造内閣が発足しました。宮沢喜一・橋本龍太郎ら元首相を入閣させたので、重量級内閣と自讃しました。
 2001年1月6日、中央省庁が再編され、1府22省庁→1府12省庁となりました。
 1月16日、参議院の村上正邦議員会長が辞任しました。
 1月16日、小山孝雄議員が逮捕されました。
 1月17日、首相阪神大震災追悼式に欠席しました。
 1月23日、額賀福志郎経済企画庁長官が辞任しました。
 2月10日、ハワイで、日本の高校生の練習船が沈没して9人が死亡するえひめ丸沈没事故がありました。
 2月10日10時50分、ゴルフをしていた森首相に、えひめ丸沈没事故の第一報が入りましたが、プレーはそのまま続行しました。
 2月10日12時20分、えひめ丸の第三報が入り、森首相はやっと、事の重大さを理解しました。しかし森首相は、批判に対して「プライベートだ」と答えたり、「その場を離れないように言われたのでゴルフ場で待機していた」と答え、世間のヒンシュクを買いました。このことから、戸塚カントリー倶楽部の会員権問題が発覚しました。会員権は知人から無償で借り受けて自分名義としていたのです。こんな人が、他人に愛国心を強制し、神の国発言をするんですよ。
 2月26日、村上正邦元労相が辞職しました。
 3月2日、村上正邦が逮捕されました。
 3月上旬、森首相は、ヘリコプターで三宅島を視察しました。
 3月5日、森内閣不信任決議案が賛成192・反対274・欠席11・棄権2で否決されました。
 3月6日、森首相は、新年度予算案と関連法案成立を待って退陣する意向を表明しました。
 3月9日、森首相は、日米首脳会談などの外交日程をこなしたうえで新年度予算成立後退陣する意向を表明しました。
 3月10日、松尾克俊外務省元要人外国訪問支援室長が詐欺の疑いで逮捕されました。
 3月12日、森首相は、「退陣表明した覚えはない」と表明しました。
 3月13日、森首相は、自民党大会で、KSD問題などの不祥事について「党総裁の責任」と言及し、「秋に予定されている総裁選を繰り上げ実施する」と退陣を表明しました。
 4月6日、森首相は、辞任を正式に表明しました。
森内閣の支持率・不支持率の推移(%) の箇所が
支持>不支持
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
支持 39.9 35.4 32.4 33.3 30.4 18.2 21.4 20.2 21.3 23.1 18.0 16.8
不支持 34.4 39.2 42.4 20.1 31.4 54.4 56.9 58.2 52.8 51.1 63.0 64.0
 4月12日、自民党総裁選立候補として、麻生太郎・橋本龍太郎・亀井静香・小泉純一郎が届け出ました。
 4月18日、小泉純一郎は、自民党総裁選の討論会で、「首相に就任したら8月15日の戦没慰霊祭の日に必ず参拝する」と公約しました。靖国問題が政治問題した第一声です。保守派といわれる評論家や学者は、靖国問題を政治問題化してはいけないと発言していますが、首相の靖国参拝という政治行動を奨励しているのは、矛盾しています。
 4月23日、自民党総裁選予備選が行われ、麻生太郎5%(0)・橋本龍太郎30%(15)・亀井静香3%(3)・小泉純一郎麻58%(123)という結果になりました。( )内は本選獲得票です。   
 4月24日、自民党本選で、亀井が辞退し、麻生太郎(31)・橋本龍太郎(155)・小泉純一郎(298)という結果となり、小泉が当選しました。

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