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エピソード

302_06

成果主義教育の結末は?
 上の写真は、エピソード高校日本史で扱った最初の写真です。
 2004(平成16)年10月20日、台風第23号は、兵庫県豊岡市などを集中的に襲いました。その結果、市内中心部を流れる丸山川が決壊しました。豊岡市の宅地と田畑の総面積の50%が冠水しました。床上・床下浸水も49.9%に達しました。この時、水没した観光バスの屋根の上で、男女37人が歌を唄って、9時間も不安な夜を過ごし、無事救助されたという話が残っています。
 泥水に浸かった豊岡市を1枚の写真が救ってくれました。それが上の写真です。TVは子どもたちの元気な声を流していました。私は、涙を流す程感激しました。
 神戸新聞は、「円山川の決壊により、床上浸水の被害に遭った豊岡市立新田小学校で27日、7日ぶりに学校が再開した。児童らは”久しぶりに友達に会えてうれしい”と、元気な笑顔を見せていた」と伝えています。
 子どもというのは、社会に夢を与える存在なのです。 
 私の体験をお話します。
 3年生を連続で2回送り出した後、私は進路指導部に配属になりました。就職希望者全員が希望する会社に就職出来ました。公務員試験合格者も1ケタから2ケタに増やしました。これって成果主義?。私は、上司に褒めてもらおうと思ってやったのではなく、本人の希望を叶えただけのことです。
 来年度は、「マグレ」(dumb luck)と言われないように、年間計画を熟考していました。
 しかし、3月24日に、人事異動で、強制配転を受けました。人間国宝である桂米朝師匠の落語もつまらないし、ビールも水のように不味く、料理も何を食べても最悪でした。このような体験をしたのは、人生で初めてのことでした。
 4月1日、辞令を受け取るために、新しい学校に向かいました。学校に着くまで、出会った多くの生徒から、「おはようございます」という元気な挨拶を受けました。その瞬間、最悪な自分の状態が解放されているのを感じました。
 「ありがとう、君たちのために頑張るぞ!」と体の奥底からエネルギー湧き出ていました。
 後に、校長同士の話し合いで、相手校長から望まれてトレードされたことを知りましたが、「不要だから、強制配転だ」というサラリーマンの悲哀を一瞬ではありますが、身にしみて体感しました。
 私たち夫婦には、息子1人と娘1人がいます。
 幸い、息子と娘も、少しくらい熱があっても、友だちと会うのが楽しいと、学校嫌いになったことがありません。
 その息子も娘も結婚し、それぞれ2人の子どもがいます。つまり、私たち夫婦には、4人の孫がいるのです。
 時々、近所に住んでいる孫たちが我が家にやって来ます。多くの人々に愛されているのか、安心して、屈託のない、天真爛漫な言動を見ていると、ほっとします。
 「爺ちゃんや婆ちゃんの所へ行くからね」と約束していても、「友だちと遊ぶ約束をしたから今度ね」という電話が入ります。私たちは、孫を飽きさせないように、色々計画をしていますが、その言葉でおじゃんです。少し寂しい気持ちもしますが、子どもは子ども連れといいます。正常に育っている姿を見て、別な満足をしています。
 友だちより「ジジババ」の方がいい孫だと、将来が不安です。
 しかし、最近の報道を見ると、豊岡の小学生や孫たちの将来を手放しで喜べない状況です。
(1)不登校生とは、年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いた生徒をいいます。現在約13万人です。友達と会える、楽しいはずの学校を、嫌いな生徒がこれだけいる、予備軍を含めるともっといる。それはとてつもなく、日本の将来にとって不幸なことです。
 NPO法人教育研究所の牟田武生氏は、「不登校の原因の70%がいじめである」としています。80%という説もあります。こういう指摘にもかかわらず、不登校の原因については、学校の価値低下・小中学校の画一的な教育体制などを説いています。余りにお粗末です。
 最近の社会保険庁の政府の対応と同じです。5000万件の年金データがどうして宙に浮いたのかの原因を究明せずに、自民党の大村秀章議員のように、他人の意見を聞かず、自説をまくし立てる姿は、「臭い物に蓋」以外の何ものでもありません。
(2)朝日新聞は、未成年者による親の殺害や未遂事件が増加したことを報道しています。「警察庁のまとめでは、刑事処分対象になる14歳以上の子どもによる実父母の殺害(未遂など含む)は97〜04年までは年3〜9件で1けただったが、05年に17件に急増。06年分は集計中だが、2年連続で2けたに上りそうだ。親への単純な憎しみをもとにしたものより、自分の居場所を取り戻そうと家族や家庭を消し去ろうとする衝動が目立つとの指摘もある」。
@)医者である父親から「いい大学の医学部に進学するよう期待され」た高校1年生の男子生徒は、自宅に放火して義母と実父の義母との間に生まれた弟妹を焼死させました。
A母親から何度も「勉強しろ」と言われた中学1年生の男子生徒は、母親の首を刃物で刺し、殺人未遂の非行事実で補導されました。
B)田舎の小規模中学校から約40キロ離れた都会の進学高校に進学していた不登校の高校3年生の男子生徒は、母親を殺害し、その頭部をもって警察に自首してきました。田舎の1クラス20人の中学校で「文武両道。あらゆる分野で活躍していた」とされた少年は、高校ではクラブ活動にも参加せず、「クラスに溶け込めず、居場所がつくれなかったようだ」(担任の話)。彼と同級生の母親は「競争が激しいあの学校に溶け込むには、地方出身の子にはきつかったかも知れませんね」とはなしています。
C大阪大学4年生の男子生徒は、「母に2人の兄と常に比較され、腹が立って」母親を殺害しました。
 新聞は「家族消去したい衝動か」と書いています。
 私たちの体験です。生後6ヶ月で母親の免疫が切れ、高熱を出したので、9時前に、病院へ行きました。しかし、受付には既に数十人の人が並んでいました。検診は9時からですが、受付は午前7時から始まっていたというのです。順番が来るまで、高熱の泣く子をあやしながら、じっと耐えていたものです。
 なかなか熱が下がらない時は、「このまま死んでしまうのではないか」と不安で、夫婦で、寝ずに、看病したものです。このようにして育てた子どもから、どうしてこのような仕打ちを受けるようになったのでしょうか。こうした報道には耐えられません。
 「女は弱し、されど母は強し」と言われるように子どものために、親とくに母親は犠牲的精神を発揮します。身近な世話をするため、誰よりも密度の高い接し方をします。子どもの良かれと思い、色々なアドバイスをします。親なら当然のことです。私の場合も、悩んだり苦しんだりした時、同じ目線で、耐えて我慢をして、抱いたり、支えてくれたものです。子どもの悩みを、母親が無言で飲み込んで、癒してくれたのです。
 しかし、最近のアドバイスの内容は、上のように、競争主義社会を勝ち抜くための「叱咤激励」で、子どもを追い込んでいます。なぜ、このように子どものために強かった母親が、子どもを追い込んで、子どもから「消去したい」対象となったのでしょうか。
 答えは簡単です。教育に競争主義原理が導入されたことです。
(1)小中学校と高等学校が1学区制の場合、「どの中学校に入った」「どの高校に入った」という会話は意味がありません。勉強したいものはするし、クラブをしたいものはするし、家事を手伝うものは手伝ったものです。社会の価値観が多様で、クラブもせず、家事も手伝わす、勉強だけしている者を見ると、「クラブもせんと、家の仕事もせんと、それでその成績か?」と言って、皆でバカ・アホ扱いしたものです。
(2)列車(今は電車)で20分行った所に私立中学・高校がありました。私たちの頃は、医者の子どもとか資産家の子どもが通っていました。優秀だが貧しい子どもは地元の公立高校に通っていました。例外はありますが、ここからは、競争主義原理は生まれません。
10  経済的に豊かになると、一部の中産階級の「いい高校に入って、いい大学に進学し、一流会社に入り、庭付き一戸建ての幸せな家庭を作る」という小さな幸せ像(資料1)が、一般化していきました。
 この小さな幸せは、幻想であることが直ぐ分ります。誰でもがいい高校に入って、いい大学に進学して、一流会社に入れるとは限らないからです。しかし、小さな、すぐ手に届きそうな幻想ですから、母親は、子どもの幸せを錯覚して、
競争社会に追い込んでいったのです。本来は、子どもの多様性を信じて、子どもを抱きしめてやるべき母親が、最近とくに、暴走してしまったのです。
11  母親が全て悪いのかというと、そういう仕組みに社会がなってしまっています。
 以前の会社は、終身雇用・年功序列という日本型経営を採用していました(資料2)。
 終身雇用・年功序列の長所(advantage)に対して、短所(disadvantage)もあります。頑張っても、頑張らなくても、失業はしないし、馴れ合い主義や事なかれ主義が横行します。
 そこで、アメリカ型の成果主義が日本に導入されました(資料3)。ところが、日本文化となじみが薄いため、色々と誤解が生じています。その結果、富士通など先駆的に成果主義を導入した企業では、見直しが進んでいます。
 しかし、現実には、成果主義は、経営戦略として出なく、リストラ策として導入され、一定の成果を挙げています。しかし、日本文化の忠誠心・帰属性・組織性などがずたずたにされ、大きな社会問題化しています。 
12  「美しい国へ」と言いながら、日本文化の伝統を破壊し、アメリカ的成果主義の評価も定まらない段階で、日本の教育の現状を正しく分析することなく、教育に成果主義を導入しようとしています。
 今の教育の現状を正しく把握すれば、その打開策は明瞭です。
(1)文科省の調査によると、小中学校の1日の平均勤務時間は10時間45分で、残業時間は40年前の5倍前後に増加しています。OECDの国別の年間勤務時間によると、各国平均が1695時間、スコットランドが1365時間に対して、日本は1960時間となっています。日本の先生は忙しすぎるのである(資料4)。
(2)次に教育に対する予算が少ないことです。以前、小泉首相が「米百俵」を取り上げて話題になりましたが、教育は100年の計です。資源のない日本は、人的資源を大切にして、教育に投資しなければなりません。35人学級を実現するのに3000億円です(資料5)。
13  私は、よく、色々な職業の人と飲む機会を増やすように心がけています。何人か寄ると、最後には必ず学校批判が出てきます。その時、私は「分った。自分の子どもの言動に親として責任を取ってくれるのであれば、あなた方のいうことを理解しましょう」と反論することにしています。
 ほとんどの親は、小生意気で反抗的な高校生の息子・娘に手を焼いています。「そういえば、自分とこのような高校生を40人も一度に面倒をみとんやなー、先生は…」となります。そこから、学校や先生に対する批判・要望が、どこに向けられるべきか、分ってもらえるのです。親と先生が手を携え、教育予算を獲得するのです。
14  今、安倍首相の音頭とりで、教育再生会議が成果主義の導入を図っています(資料6)。企業の成果主義と同じで、評価しやすい学力などに力点が置かれ、評価の対象とならない「心のやさしさ」を育成する機運がますます減退しています。どうして、昔、「皆でバカ・アホ扱いした」学力中心の子どもを育てなければいけないのでしょうか。
 子どものいない安倍首相から「保護者は子守歌を歌い、おっぱいをあげ、赤ちゃんの瞳をのぞく」という子育て提言を聞こうとは思いもよりませんでした。
 今後、大きな禍根を残すでしょう。そうなっては、「慙愧に耐えません」というべきか?。
 慙は、「心+音符斬」で、恥じ入って、心に切れめを入れられたような感じのことです。愧も、「心+音符鬼」で、恥じ入って、鬼に会ったように心が縮んでまるく固まってしまうことです。これではとても耐えられません。 
15  39年間の教師生活を通じて、様々な管理職・先生と出会ってきました。
 同僚が管理職になった時、「今までの自分とは違うからな」と通告されたことがあります。つまり、管理職は、上からの命令には逆らえないという意味です。それは理解できます。しかし、今の高校生は、納得すれば、非常に素直で協力的ですが、納得しないと、梃子(テコ)でも動きません。
 ある上からの命令が出ました。私は、生徒を納得させる材料が欲しいので、その旨を質すと、「これは校長命令だ」と問答無用の回答である。「それでは、納得できません」と言うと、「分った。校長にそう報告しておく」と捨てセリフです。
 物の分った校長だったので、後で、納得のいく話を聞かされました。私は、当然、生徒にも分りやすく説明したことを覚えています。
 ゴマをすって管理職になった者は、部下にも「ゴマすり」を要求します。その管理職も、兵庫県では、2年か3年で転勤していきます。上からの指揮系統をはっきりさせる意図の管理職補佐を増やすより、授業を受け持つ教師を増やすべきです。
16  教育再生の処方箋を申し上げます。
(1)多忙な先生に、ゆとりをもって生徒や研修に取り組んでもらいます。
(2)そのためには、1クラスの人数を先進国並みの20人前後にします。
(3)行政のリップサービスでなく、先生の負担増でもなく、先生を増員する教育予算を先進国並みにする。
(4)その結果、ゆとりのできた学校・先生と保護者・生徒が信頼関係を再構築できるのです。先生と保護者・生徒の信頼関係なしに、教育は再生できません。
*解説1(教育再生会議の推進する成果主義・競争原理は、学校・先生と保護者・生徒との信頼関係を破壊し、対立を激化する何ものでもありません)
*解説2(学校内に、副校長・主幹・指導教諭を設置して、先生間の対立を激化させ、新しい悩みの種を増やす)
*解説3(見えない不安を煽って防衛予算の増額を競う前に、目の前で苦しんでいる児童・生徒のために教育予算の増額を競ってもらいたいと思います。何十億円もする武器も所詮は道具です。その道具を使うのは、人間です。人間こそ全ての源泉です)
先生にゆとりを、そのためには、教育予算を増額を!!
(資料1)『あなた』 作曲・作詞:小坂 明子
(1)もしも私が 家を建てたなら 小さな家を 建てたでしょう
 大きな窓と 小さなドアと 部屋には古い 暖炉があるのよ
(2)真赤なバラと 白いパンジー 子犬の横には あなた あなた あなたがいて欲しい
 それが私の夢だったのよ いとしいあなたは 今どこに
(3)ブルーのじゅうたん 敷きつめて 楽しく笑って 暮らすのよ
 家の外では 坊やが遊び 坊やの横には あなた あなた あなたがいて欲しい
 それが二人の望みだったのよ いとしいあなたは 今どこに
(4)そして私はレースを 編むのよ
 私の横には 私の横には あなた あなた あなたがいて欲しい 
(5)そして私はレースを 編むのよ
 私の横には 私の横には あなた あなた あなたがいて欲しい
(資料2)一度入社すると、定年までその会社に勤務します。そのため、実家に近い会社を選び、両親や子どもの将来の設計も立てることが出来ました。給料は、年々少しずつ、必ず上昇し、定年まで勤めると、その報償として、家を新築できるほどの退職金が支給されます。その結果、家の新築や子どもの教育費などの経済設計も可能でした。
 会社への忠誠心や組織への帰属心・製品への愛着心・誇り、それに安心感・安定感が、勤勉さや高度で繊細な技術を育んできました。
 良いか悪いかは、別にして、日本人の文化(個人より組織・家を重視)と密接にからみあった制度です。
(1)宗教を例にとると、日本では、結婚すると、嫁入り(婿入り)先の宗派に属するようになります。
(2)結婚式でも、●●家と■■家の結婚式となります。
(3)妻の誕生日に、残業を命令されると、上司の命令に従います。
(4)17時以降に、酒を飲みに行っても、上司の奢りであるが、上司の許可がない限り、家には帰れない。
(資料3)成果主義とは、昇進・昇給の基準を年齢でなく、「仕事の成果」に置く人事制度です。
 長所は、組織でなく、個人が目標を設定し、目標をクリアすることで成果を上げ、会社への貢献・昇進・高賃金を得ることができます。会社も無駄な費用をカットできます。
 しかし、短所は、個人プレーに走ったり(*1)、成果が上がる仕事を選んだり、他人に喜んでもらえるが利益の少ない福祉的な仕事を忌避したり、評価されない仕事を他人に押し付けたりするようになります。
 最大の問題は、成果の過程や結果を判断する上司の評価能力です。成果主義の先進国であるアメリカでは、あるプロジェクトをする場合、リーダーはより効率よく仕事をするために優秀な部下を選択します。部下は部下で、そのプロジェクトに相応しいリーダーを選ぶ権限も持っています。日本には、部下を評価できる実力者が少なく、ゴマスリで出世した上司が多いため、悲劇はより残酷です。
 成果主義の先進国アメリカでは、職務給が一般的です。組合も、日本のように企業内組合でなく、職能別組合となっています。契約書ともいえる職務記述書には、職務の義務・責任や職務に必要な経験・技能・資格などが記載されています。この契約書に対する考えが日本と、アメリカとでは根本的に違います。日本では、契約書に対する考え方が非常に曖昧です。
 こうした日本の伝統文化を無視した成果主義を導入した企業は、いずれ破綻するでしょう。その時、日本の経済が破綻したのでは、笑うに笑えません。
(*1)朝日新聞(2007年5月12日付け)は、「フロントランナー」という欄で、 SBSホールディングス社長の鎌田正彦氏(47歳)を取り上げています。鎌田氏は、佐川急便から独立して、「小が大をのむ」企業合併・買収(M&A)を行って、物流業界では売上高で11位、売上高は1400億円を超える企業に育て上げました。
 鎌田氏は、「転機」として次のような話を披露しています。
 「刺客」の一人に選ばれたのは22歳の時だった。
 佐川急便をやめた人が立ち上げた会社が伸びていた。東京都内を対象に、企業の荷物を即日に配達するサービスだ。81年、佐川も対抗することになった。
 運転手の後を追い、営業先を探す。そこに採算割れ覚悟の安い値段を示して仕事を奪う。社命で従うしかなかった。「苦しい仕事。ほとんど休めなかった」。標的の会社はつぶれた。佐川は顧客を受け継ぐ形で子会社を作る。課長として年収は1000万円に。業界全体がとるかとられるかの時代だった。
 やがて親会社から、社長が送り込まれた。社長は一日中テレビを見て、夕方から飲みにいく日々。事業領域の拡大を提案したが、却下された。「こんな人に仕えたくないという気持ちが、日増しに強くなりました」
 28歳で会社を辞め、同様の即日配達を始める。佐川は都内限定だったが1都3県にエリアを拡大。給与を抑え、低料金で提供した。佐川の顧客も奪った。
 今度は自分が佐川の「刺客」に攻められた。会社の前に見張りのような車が止まっている時も。「生きた心地がしなかった。向こうにしてみれば僕が犯罪者にみえたのでしょう」
 「ほかの仕事ができればよかったがそれしか知らなかった。若さとバカさの勢いだった」
 ただ、時代はバブルの余韻が残っていた。荷物の仕分けの夜勤作業員が引っ張りだこで請負事業も始めた。月1000万円の利益が出た。94年には、主婦を使って郵便よりも安くダイレクトメールや冊子を配る事業を始め大成功。基盤は固まった。
 「結局、僕は佐川に育てられた。負けまいという意地をバネに今日までやってきました」
 04年春。京都の料亭で佐川の栗和田社長は、会社を上場させたことを心から喜んでくれた。「3年間働いて金をため、自分で事業を起こせというのが佐川の教え。きみはそれを立派に実行したな」。その言葉を聞いて、気持ちが晴れた。

 鎌田氏は、この武勇伝を恥らうことなく語っています。多分、部下にもそれを強制するでしょう。人を欺くことで心が痛み、欺かれた人も心を痛みます。そうまでして成果を挙げたくありません。退社の道を選びます。
(資料4)主な国別の年間勤務時間(OECD=経済協力開発機構の2006年調査)
授業時間数 生徒指導など 勤務時間数 感  想
日本 591 1369 1960 (1)授業時数は日本が最少
(2)生徒指導などは日本が最多
(3)勤務時間数も日本が最多
(4)日本の課題
 @授業時間数はもっと増やす
 A先生の数を増やして、勤務
  時間数を減らす
ドイツ 772 964 1736
オランダ 840 819 1659
韓国 697 916 1613
スコットランド 922 443 1365
OECD平均 755 940 1695
(資料5-1)各国の国内総生産(GDP)に占める教育機関への公的支出の比率(%)
アイスランド フィンランド 米国 仏国 英国 伊国 韓国 ドイツ ギリシア スペイン 日本 OECD
平均
初等中等教育 5.2 3.9 3.9 4.0 4.0 3.5 3.5 2.9 2.6 2.8 2.7 3.6
高等教育 1.1 1.7 1.2 1.1 0.8 0.7 0.6 1.0 1.2 0.9 0.5 1.1
合計 6.3 5.6 5.1 5.1 4.8 4.3 4.1 3.9 3.8 3.7 3.2 4.7
感想 (1)韓国までは4.1%だが、日本は3.2%と大きく遅れている
(2)OECD平均が4.7%である。せめて「美しい国へ」を標榜するなら、平均にまでして欲しい
(資料5-2)次は、成果主義の先進国であるアメリカからの報告です。
 学区によって異なりますが、幼稚園から1年生までは17〜18人、2年生では20人から多くても23人を目標にしています。
 20人前後であれば、子どものことを理解し、子どもが何を必要としているかを知り、それぞれの子どもにより多くの時間を割き、子どもたちの家族について知ることができます。先生1人当たりの生徒数が少なければ少ないほど効果があります。
 生徒一人ひとりを見ようと思ったら、日本の40人では無理です。
(資料5-3)政府の教育再生会議(野依良治座長)は、2007年6月1日、総会を開き、安倍首相に第2次報告を提出しました。大学など学校間に競争原理を導入することで予算配分の適正化や教員の資質向上をめざすことを提言しています。
 「ゆとり教育の見直し」のための授業時数10%増の具体策として、夏休みや朝の15分授業などの弾力的な授業時間の設定。週5日制を基本としつつ、教育委員会や学校の裁量で、必要に応じて土曜日の授業も可能にする。
 学校への競争原理導入は、第2次報告の柱の一つで、成果に応じて国が予算配分する仕組み作りを要請しています。学校間の競争によって、レベルの底上げを図るとしています。
 小中学校では「地域の実情に留意」したうえで、教育委員会の独自判断で学校選択制を導入できるようにし、児童・生徒が多く集まった学校に予算配分を厚くする仕組みを検討するよう提言しています。
 教員給与は勤務評定を踏まえた給与体系にすることを提言し、08年4月をめどに教員給与特別措置法を改正することを打ち出しています。
*解説1(成果主義の評価が定まらない内に、立法府でもない一諮問機関がこのような大胆な提言をしていいのでしょうか)
*解説2(授業時間10%増を歌いながら、その予算措置はとられていません。学校の裁量でとは、先生のボランティアを期待しています。ただでさえ多忙な先生を酷使して何が再生なのでしょうか)
(資料6)成果主義(選択性)を導入した自治体(2004年)は、小学校8.8%、中学校11.1%で、増加傾向にあります。
2007年度東京都足立区中の募集・応募人数
  第十四 竹の塚 花畑北 第五 第四 千寿桜堤 第十一
募集人数 310 110 110 110 190 150 230
応募人数 500 49 54 35 416 331 341
◆心配は
「序列化する」と慎重な自治体も
 区教委は今年から成績に応じて予算配分に差を付けようとしたが、批判が出て後に撤回した。とはいえ、ある中学教師は「自分の教科の点数を上げなければ、勤務評定にかかわる」と話し、小学校教師は「学芸会も廃止になり、今年から夏休みも1週間短縮。学力対策ばかりに目が向いている」と打ち明ける。
 子どもが減れば、配置される教員も減る。クラブ活動にも影響が出て、28のクラブがある中学校の一方で、八つしかない中学校もある。
 選択制に慎重な自治体もある。大阪市教委は「学校の序列化が起こる可能性がある」ど否定的だ。京都市教委も「地域ぐるみで学校を良くしようという意識がなくなる」と話す。
◆現状は
人気校の陰 住宅街に「過疎校」
 東京都杉並区の主婦(39)は昨年、杉並第八小学校の入学式に出席して、「こんなに少ないなんて」と驚いた。
 新入生は11人。男の子は長男ともう1人だけ。ショックで、記念写真を撮るのも忘れた。
 それは選択肢の多い都会だけの問題ではない。
 大分県豊後高田市にある日野小学校では選択制が導入された05年に新入生がゼロになった。区域内に住む対象者7人は全員、校舎が新しい隣接校などに入った。
 隣接校までは約7`の山道。保護者は6年間毎日、車で送り迎えしなければならないのにもかかわらずだ。
 危機感を抱いた先生たちは、未就学児の家を一軒ずつ訪問、幼児を招いて相撲大会を地域の人たちと開いた。努力が実を結び、06年は2人、07年は4人が入学した。大嶽由美子校長は「歩いて通い、地域の人たちと一緒に過ごすことが目に見えない力になる。選択制は、ふるさとを大事にする気持ちを失わせてしまうのでは」と心配する。
◆成果は
選ばれる努力、学力を底上げ
 選ばれようと各校が努力した結果、テストの成績が上がったという。区教委の期待得点数を超えた児童は03年からの3年間で、国語73・5%→83・7%、算数73・1%→79・2%といった具合だ。
 全体のレベルを上げるため、05年から学力の伸びが鈍い学校や保護者の苦情に苦慮している学校を「重点支援校」に指定し、特別予算をつけている。元校長などを「学校経営指導員」として配置し、ベテランの立場から助言してもらう。成果を上げるための良い取り組みには「いくらでも予算を出す」と区教委。
 区内のある教師は「福祉教育などの特色づくりに力を入れても、親は結局、学力で選ぶ。重点支援校になった学校の校長は、がっくりしてしまう」と嘆く。
(2007年6月10日付け朝日新聞)
*解説3(成果主義という人参をぶら下げられて、必死に子どもたちにムチを振る姿は、滑稽でもあり、悲しくもある。その結果が昔「皆がアホバカとよんだ」人間を量産しています。人間とはかくも浅はかで残酷なものなのでしょうか)
*解説4(杉並区の主婦(39)の声が聞こえないのでしょうか。聞こえないとしたら、よほどお目出度いか、人間失格ではないでしょうか。「ピカピカの一年生」に対して、このような悲しい現状は無用です。いずれ彼らの仕打ちを受けることになるでしょう。その時の責任を取る覚悟があるのでしょうか)
*解説5(競争すれば、必ず1位がでます。最下位もあります。児童・生徒はただでさえ、ナンバーワンの生き方を強いられ、人生にとって意味のない競争に心身疲労しています。大人が、親が、多様な価値観をもち、オンリーワンの生き方を学び、子どもたちを教え育むべきです)→ナンバーワンよりオンリーワン
10  成果主義を導入すれば、こういう結果になるという、私の不幸な予想が的中しました。2例を紹介します。
 「学力テスト集計、障害児を除外 東京・足立区立小」と題して次のような記事が掲載されました。
 都足立区教育委員会が昨年4月にすべての区立小、中学校で実施した区独自の学力テストで、小学校1校が、障害のある3人の児童の答案用紙を保護者の了解を得ないまま集計から除いていたことがわかった。区教委は「学校の学力の実態を知るためには、集計から外した方がいいと判断したようだ」としている。
 同校には同じテストで、前年の問題を繰り返し練習させたり、テスト中に教員が誤答している児童の机をたたいて気付かせたりするなど公正性を失わせかねない疑惑もあり、区教委は調査をさらに進める。
 区教委は、障害があったり外国人で日本語が不自由だったりする児童生徒の答案は校長判断で集計から除くことを認めており、「今回の校長の判断は適切だったと思う。ただし、保護者に説明して、了解を得るべきだった」としている。
 足立区の学力テストでは、各科目とも目標値を定め、平均到達度として全校分が公表される。今回の小学校は05年度は全72校中44位だったが06年度は1位になった。06年度の問題は05年度分と9割程度が同じ内容だった。足立区では学校選択制を02年度から採り入れており、成績上位校には入学希望者が殺到して抽選になる傾向がある(2007年7月8日付け朝日新聞)。
11  「学力テストで足立区の公立小 指さし誤答を指摘 教員ら校長率先と証言」と題して次のような記事が掲載されました。  
 昨年四月に実施された東京都足立区の学力テストの際、区西部にある公立小で、試験中に教員が児童の答案を指さして誤答に気付かせる不正を行っていたことが七日、分かった。共同通信の取材に対し、六人の教員が「校長の指示があった。校長自身も教室に来て、自ら率先して『指さし』をした」などと証言した。
 校長は「日常の指導の一環でノートや小テストを指さすことはあるが、学力テストではやっていない」と否定。区教育委員会は「テストは適正に行われたと考えている」とする一方、事実関係を把握するため、調査を始めた。
 足立区はテストの順位を公表しているほか、学校予算の傾斜配分や学校選択制を取り入れており、教育関係者からは「競争原理の導入が不正の背景にあるのではないか」との指摘も出ている。
 同小は区内七十二小学校中、二〇〇五年は四十位だったが、不正のあった〇六年は一気に一位になっている。
 テストは昨年四月二十五日、小学校では区内の二年生から六年生を対象に国語と算数で実施された。同小の複数の教員は試験中に机の間を歩き、答案に間違いがあると、問題を指さして児童に気付かせた。
 教員らによると、校長も教室の中に入り、自ら指をさした。教室内で教員に「指さし」を促すような態度を取ることもあ
ったとしている。
 教員の一人は「指をさして意味の分かる児童とそうでない児童がおり、不正ぎりぎりだと思った。校長の指示があった
かどうかと害えばイエスだ」と証言。教員らは「校長は学校の平均点を上げるのが目的だったのだろうが、あんなやり方で一位になっても子どもは喜ばない」と話している(2007年7月8日付け神戸新聞)。
12  7月7日、区教育委員会は記者会見を開きました。
 2006年秋、区教委は、学力テストの成績などで各校をランク分けして、各校の追加的予算配分に反映させる方針を表明し、その後撤回した経緯があります。その関連を問われた西野知之教育政策課長は「方針は(問題の学力テストが終わった後の)十月に決めた。時期的に関係ない」と否定しています。
13  1966(昭和41)年、全国学力テストが廃止されました。
 その理由として、以下の2点が考えられます。
(1)近畿などブロックごとの平均点を公表していましたが、実際には、各都道府県別の結果が公表されました。その結果、都道府県ごとの順位争いが激化し、高得点を得るための不正・不公正なテスト準備が進められました。そして、悪名高い香川県と愛媛県のトップ争いが表面化しました。
(2)1966年5月25日、旭川地裁は、「旭川学テ事件」(学テの中止を校長に求めた組合員が公務執行妨害罪に問われた事件)に対して、学テ違法の判決を下しました。
 その後の経過です。
(3)1968年6月26日、札幌高裁も、「旭川学テ事件」に対して、学テ違法の判決を下しました。
(4)1976年5月21日、最高裁は、「旭川学テ事件」に対して、学テ適法との最終判決を下しました。
(5)1981年5月、教育課程実施状況調査を実施しました(全国の小中学校の8%を抽出)。これが全国学力テストの前哨戦となりました。
(6)2004年5月、全国的に教育課程実施状況調査が実施されました。全国学力テストの完全復活です。
 各学校の学力をランキングすることで、競争を激化させ、その結果、学力という数値目標で現場に介入し、各種の統制を行います。やがて、教育の国家統制は容易に可能となります。

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