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エピソード

304_03

大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判(1)
 昭和16(1941)年12月8日、日本軍は、アメリカの真珠湾を攻撃しました。
 昭和17(1942)年3月18日、私が生まれました。
 戦争の記憶と言うと、戦闘機が低空飛行で飛んできた時、母親が必死で、「隠れ!!」と言ったので、小さい溝にかかった石橋の下にもぐりこみました。
 戦後、小学生だった私は、軍服姿の父の写真を発見しました。母親は「お父ちゃんは、病気で戦地から帰され、命拾いをしたんだよ」と説明してくれました。
 同じ小学生の頃の思い出です。学校から歩いて30分程かかる駅に動員されました。駅から降りて来た軍服姿の人を出迎えました。母親と思える人と、涙の対面をしていました。後に、その人のことを復員兵だということが分りました。
 これも小学生の頃の思い出です。上級生が校庭の畑からサツマ芋を栽培し、ふかして、昼食として教室に持って来てくれました。後で、校庭が食糧難で畑になっていたことを知りました。
 これも小学生の思い出です。小学生の集団に米兵が乗ったジープが近寄って来ては、ガムやチョコレートを道路にばら撒いていました。手が出るほど欲しかったのですが、意地でも、拾うことをありませんでした。
 このような体験から、「戦争の恐ろしさ」を感じました。その結果、「戦争は、どんなことがあってもいけない」というのが身にしみています。これは、東京裁判の結果ではありません。
 2007年3月28日、大阪地裁は、大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判で、次のような判決を下しました。
判決主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。 
判決要旨
1 沖縄ノートは、座間味島及び渡嘉敷島の守備隊長をそれぞれ原告梅澤及び赤松大尉であると明示していないが、引用された文献、新聞報道等でその同定は可能であり、本件各書籍の各記載は、原告梅澤及び赤松大尉が残忍な集団自決を命じた者であるとしているから、原告梅澤及び赤松大尉の社会的評価を低下させる。
2 「太平洋戦争」は、太平洋戦争を評価、研究する歴史研究書であり、沖縄ノートは、日本人とは何かを見つめ、戦後民主主義を問い直した書籍であって、原告梅澤及び赤松大尉に関する本件各記述を掲載した本件各書籍は公共の利害に関する事実に係わり、もっぱら公益を図る目的で出版されたものと認められる。
3 原告らは、梅澤命令及び赤松命令説は集団自決について援護法の適用を受けるためのねつ造であると主張するが、複数の誤記があると認められるものの、戦時下の住民の動き、非戦闘員の動きに重点を置いた戦記として資料価値を有する「鉄の暴風」、米軍の「慶良間列島作戦報告書」が援護法の適用が意識される以前から存在しており、ねつ造に関する主張には疑問があり、原告らの主張に沿う照屋昇雄の発言はその経歴等に照らし、また宮村幸延の「証言」と題する書面も同人が戦時中在村していなかったことや作成経緯に照らして採用できず、「母の遺したもの」によってもねつ造を認めることはできない。
4 座間味島及び渡嘉敷島ではいずれも集団自決に手榴弾が利用されたが、多くの体験者が日本軍の兵士から米軍に捕まりそうになった際の自決用に手榴弾が交付されたと語っていること、沖縄に配備された第三二軍が防諜に意を用いており、渡嘉敷島では防衛隊員が身重の妻等の安否を気遣い数回部隊を離れたために敵に通謀するおそれがあるとして処刑されたほか、米軍に庇護された二少年、投降勧告に来た伊江島の男女6名が同様に処刑されたこと、米軍の「慶良間列島作戦報告書」の記載も日本軍が住民が捕虜になり日本軍の情報が漏れることを懸念したことを窺わせること、第一、三戦隊の装備からして手榴弾は極めて貴重な武器であり、慶良間列島が沖縄本島などと連絡が遮断され、食糧や武器の補給が困難であったこと、沖縄で集団自決が発生したすべての場所に日本軍が駐屯しており、日本軍が駐屯しなかった渡嘉敷村の前島では集団自決が発生しなかったことなどの事実を踏まえると、集団自決については日本軍が深く関わったものと認められ、それぞれの島では原告梅澤及び赤松大尉を頂点とする上意下達の組織であったことからすると、それぞれの島における集団自決に原告梅澤及び赤松 大尉が関与したことは十分に推認できるけれども、自決命令の伝達経路等が判然としないため、本件各書籍に記載されたとおりの自決命令それ自体まで認定することには躊躇を禁じ得ない。
  原告梅澤及び赤松大尉が集団自決に関与したものと推認できることに加え、平成17年度までの教科書検定の対応、集団自決に関する学説の状況、判示した諸文献の存在とそれらに対する信用性についての認定及び判断、家永三郎及び被告大江の取材状況等を踏まえると、原告梅澤及び赤松大尉が本件各書籍記載の内容の自決命令を発したことを直ちに真実であると断定できないとしても、その事実については合理的資料若しくは根拠があると評価できるから、本件各書籍の各発行時において、家永三郎及び被告らが本件各記述が真実であると信じるについても相当の理由があったものと認めるのが相当であり、それは本訴口頭弁論終結時においても径庭はない。
  したがって、被告らによる原告梅澤及び赤松大尉に対する名誉毀損は成立せず、それを前提とする損害賠償はもとより本件各書籍の差し止め請求も理由がない。
5 沖縄ノートには赤松大尉に対するかなり強い表現が用いられているが、沖縄ノートの主題等に照らして、被告大江が赤松大尉に対する個人攻撃をしたなど意見ないし論評の域を逸脱したものとは認められない。
 この判決後に発行された花田紀凱氏編集の「Will」という月刊誌(緊急増刊『沖縄戦-集団自決』2008年8月号)を読みました。ここには、「Will」独自の記事もありますが。雑誌『正論』(産経新聞社発行)や「チャンネル桜」などから転載したものもあります。鴨野守という人の取材・構成という記事もありました。
 「Will」12月号(2008年)の出筆者を見ると、西尾幹二氏、勝谷誠彦氏、渡部昇一氏、屋山太郎氏、中山成彬氏、西村眞悟氏、金美齢氏などの名前があります。
 鴨野守氏は世界日報の編集委員です。世界日報は、統一協会系の新聞という記憶があります。『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べると、次のような記事がありました。
 世界日報は日本で発行される統一協会(世界基督教統一神霊協会)系列の右派・保守系新聞。…「世界日報社」の初代会長は統一協会と「国際勝共連合」の会長を兼任していた久保木修己である。
 雑誌「Will」と世界日報とのつながりが理解できました。 
 緊急増刊『沖縄戦-集団自決』2008年8月号を丹念に紹介することで、大きな潮流の傾向を知りたいと思います。
 12〜43頁を取り扱います。
 そこには、田久保忠衛杏林大学客員教授とジャーナリスト櫻井よしこ氏の対談があり、上智大学の渡部昇一名誉教授の文章もあります。
 この3人に共通していることは、沖縄県民を「甘え・たかり」という前提で議論していることです。これについては、次回に詳細に反論したいと思います。
 ここでは、この3人の集団自決観を紹介します。
(1)田久保氏:『沖縄ノート』で大江氏が赤松隊長をこの上なく侮蔑した。それが、「岩波・大江裁判」の原点です。しかし、渡嘉敷島の赤松隊長は「集団自決」の「命令」を出していない。それはその後、出てきた証言や証拠から明らかなことです。大江氏もその他の人も、まともに反論できない。…「謝罪したい」と複数の人が名乗り出ています。赤松隊長や梅澤氏は、村民のためを思って自分たちが命令したということにしたのです。
(2)櫻井氏:「集団自決」も同じで、赤松氏も梅澤氏も「命令」をしていない以上、他に軍が命令したことを示す明確なケースを示さない限り、「集団自決」の「軍命令」説は崩れているのです。しかし、こうしたことを直視せず、雰囲気で「軍命令があった」と言い張る人たちがいる。
 教科書記述の検定問題で沖縄の世論が大騒ぎをした時、政府は早々に釈明をし、文科省は検定を見直す動きに出ましたが、これは政治が教科書の内容を変えるという前例になります。これこそ、教科書検定そのものの土台を揺るがす大事態であるのに、全く問題にされていない。
解説1:櫻井氏の指摘が正しければ、由々しき問題です。しかし、文科省の主導でまず教科書の内容が変えられました。その後、沖縄での大集会(主催者側は11万人、櫻井さんらは2万人)があり、その結果、櫻井さんらが指摘するような結果になったのです。これについては、教科書の記述についてのエピソード日本史で検証したいと思います、
 次に、渡部昇一氏の記事(34〜43P)を検証してみました。
(3━1)梅澤裕少佐は、「戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用できるようにするために、島の長老達から『軍命令だった』と証言するように頼まれ、それに従った」と証言しています。
 そして座間味島の宮村幸延氏は、当時の助役・兵事係であった兄・宮里盛秀氏が、「隊長命令説は援護法の適用を受けるためにやむを得ずつくり出されたものであった」という証文を梅澤裕少佐に与えたと言っています。
 梅澤少佐や赤松大尉は戦後の村の困窮を見かねて、「命令書を作成してきなさい。そうすればサインをしてあげます」と「軍命令」の書類を作成したというわけです。
(3━2)産経新聞の記事です(2007年10月3日)。渡嘉敷、座間味での集団自決は両島の守備隊長の命令だったとされてきた。しかし遺族年金受給のために「軍命令だった」と関係者が偽っていたことなどが明らかになった。大江氏の『沖縄ノート』に対して元守備隊長や遺族らが誤った記述で名誉を傷つけられたとして訴訟も起きている。
解説2:戦傷病者戦没者遺族等援護法は、1952(昭和27)年に成立しました。戦後、年金のためとはいえ、軍命令を出すことは、厳罰に処せられる内容です。宮里盛秀氏が梅澤裕少佐に与えたという非常に重要な証拠である証文はどうなっているのでしょうか。
解説3:軍命令により、援護法の適用を受けて、遺族年金が支給されたのでしょうか。1987(昭和62)年、喜屋武眞榮氏が「沖縄県においては国内唯一の地上戦闘が行われ、前線も銃後もなく県民が等しく激しい戦闘に巻き込まれ、多大な犠牲を払つた等の特殊事情が考慮されて、昭和56年10月1日以降、沖縄戦当時6歳未満であつた戦傷病者や戦没者の遺族に対しても援護措置がとられてきたことは周知のとおりである」という質問主意書を参議院議長の藤田正明氏に提出しています。それとの整合性はあるのでしょうか。
解説4:産経の記事によれば、軍命令は遺族年金を得るためであり、それを誤解して『沖縄ノート』を出筆した大江健三郎氏を名誉毀損で訴えたとあります。しかし、大江氏により名誉毀損を認めなかった大阪地裁の判決は、軍命令は捏造であると認めたのでしょうか。
 集団自決についての予備知識がないまま、大阪高裁判決の日を迎えました。
 高裁の判決より、私には、田母神俊雄航空幕僚長が論文の結果、罷免されたという記事の方が衝撃でした。罷免された事実もさることながら、論文の内容です。
 航空幕僚長とは、航空自衛隊の組織では、統合幕僚長と共にトップの要職です。将軍でもあるそうです。
憲法
 第66条(内閣の組織、文民資格、連帯責任)には、次のような規定があります。
 「内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する」
 「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」
自衛隊法
 第7条「内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する」
 第8条「防衛大臣は、この法律の定めるところに従い、自衛隊の隊務を統括する」
 第9条「統合幕僚長、…航空幕僚長は、防衛大臣の指揮監督を受け、…隊務及び統合幕僚監部、…航空自衛隊の隊員の服務を監督する」
解説5:憲法第66条と自衛隊法の第7・8・9条の規定は、文民統制(civilian control=シビリアン=コントロール)の規定であることが判ります。
 その論文の要旨を、産経新聞(2008.10.31)では、次の様に紹介しています。
 空幕長論文要旨「わが国が侵略国家だったというのは正にぬれぎぬだ」
 一、わが国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したといわれるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も、条約に基づいたものだ。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めたが、相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。
 一、わが国は中国で和平を追求したが、その都度、蒋介石に裏切られた。蒋介石はコミンテルンに動かされていた。わが国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者だ。
 一、1928年の張作霖列車爆破事件も少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。(文献によれば)コミンテルンの仕業という説が強まっている。
 一、満州帝国の人口は成立当初からなぜ爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからだ。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけはない。
 一、日本が中国大陸などに侵略したため、日米戦争に突入し敗戦を迎えたといわれるが、これも今では日本を戦争に引きずり込むために、米国によって慎重に仕掛けられたわなであったことが判明している。米国もコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルという米国の公式文書がある。
 一、東京裁判は戦争の責任をすべて日本に押し付けようとしたものだ。そのマインドコントロールはなおも日本人を惑わせている。
 一、自衛隊は領域警備もできない。集団的自衛権も行使できない。武器使用の制約が多い。このマインドコントロールから解放されない限り、わが国は自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。
 一、日本軍の軍紀が厳正だったことは多くの外国人の証言にもある。わが国が侵略国家だったというのは正にぬれぎぬだ。
 歴史修正主義とは、史料に客観的な立場の歴史実証主義に対して、特定の主義・主張にそった史料に依拠する歴史解釈をいいます。特定の主義・主張に沿うため、自分に不都合な史料は使用せず、都合のいい史料のみを使っています。つまり、史料を恣意的に扱うという特徴があります。
 近現代史観は、日中戦争・太平洋戦争の原因を蒋介石・ルーズベルトの陰謀とする解釈をいいます。
 自衛隊の幹部である田母神俊雄航空幕僚長は、「日本は侵略国家であったのか」という論文で、次のように主張しています(朝日新聞の記事です。産経新聞よりかなりストレートに書かれています)。
(1)「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者だ」
(2)「日本はルーズベルトの仕掛けたわなにはまり真珠湾攻撃を決行した」
(3)「多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価している」
(4)「東京裁判は戦争責任をすべて日本に押しつけようとした。そのマインドコントロールが今なお日本人を惑わせている」
10 (3)は、すぐにばれる嘘です。
(1)(2)は、そう信じている人がいます。これを認めたとしましょう。しかし、戦争とは、日本の戦国時代を見ても分るように、陰謀も重要な要素です。その陰謀に引きずり込まれたり、仕掛けたわなにはまったとしたら、それを見抜けなかった指導者は恥以外の何ものでもありません。まさに自虐史観です。
 自虐史観の批判論者が自虐史観の論文を発表し、自虐史観の批判論者が自虐史観の論文を最優秀賞に選定した格好です。こうした人々こそ日本を貶めて恥じない人物です。滑稽ですらあります。しかし、身内では大いに盛り上がっています。
(4)このマインドコントロールに惑わせられている立場を「東京裁判史観」とか「自虐史観」としています。仮のこの説を受け入れたとしましょう。東京裁判の諸判決を受け入れ、サンフランシスコ講和条約に調印し、1952(昭和27)年4月28日、日本は独立を達成しました。この時の主席全権が吉田茂首相(現麻生太郎首相の祖父)でした。今から56年前のことです。
解説6:田母神氏は、日本人は、56年間もアメリカのマインドコントロールから抜け出ていないと攻撃されますが、本当でしょうか。私はそうは思いません。アメリカの自由主義と民主主義を高く評価しています。大リーグで活躍する松坂大輔(レッドソックス)・イチロー(マリナーズ)の活躍がアメリカンドリームです。次期大統領のバラク・オバマア氏の父はケニア生まれの黒人です。妻のミシェル夫人の父は、水道局職員で、シカゴのサウスサイドにある中低所得者層が多く住む地域で育ちました。貧しい農民から大統領になったワシントンと同じように、アメリカンドリームを私たちに再現してくれています。しかし、アメリカの戦争主義には批判的です。
 私は、アメリカのファーストライフには否定的で、ヨーロッパ的スローライフを愛しています。
 企業は、企業名を日本語から英語に変えています。古くは観音がキャノン、新しくは松下電器がパナソニックに変えています。これもアメリカのマインドコントロールというのでしょうか。
 このような日本人を56年間もアメリカのマインドコントロールから抜け切れていないというのは、賢明な日本人をあなた方の歴史修正主義者や近現代史観に洗脳できていない証拠ではないでしょうか。
解説7:日本には、「敗軍の将、兵を語らず」(敗軍之将、不可以語勇)(『史記』「准陰侯伝」)という教訓的な言葉があります。「戦争に負けた将軍は、武勇や兵法について語る資格がない」という意味から、「失敗した者は、潔く自分の非を認め、あれこれ弁解がましいことを言うべきでない」とされています。これは立派な日本人の伝統的な美徳でした。
 当時の将軍は、日中戦争では泥沼に陥り、これを打破するとして、真珠湾攻撃して、日本を壊滅に導きました。そして、刑死しました。
 この将軍のやったことを「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者だ」とか「日本はルーズベルトの仕掛けたわなにはまり真珠湾攻撃を決行した」とか、弁解がましいことをいう人々を歓迎するでしょうか。
11  自衛隊は、武力を持つ実行部隊です。そのトップ(将軍)です。任命したのは、安倍晋三政権下の久間章生防衛大臣、守屋武昌防衛事務次官でした。ご存知のように安倍首相は総理の座を投げ出し、久間大臣は「原爆投下はしかたなかった」発言で辞任し、守屋事務次官にいたっては、汚職事件で「懲役2年6月の実刑」を言い渡されました。
 田母神俊雄氏は、「現役をおやめになって発言されるのは比較的自由だと思うが、どうして現役の今、書かれたのか」という記者の質問にたいして、「私、実は、これほどですね、大騒ぎになるとは予測していませんでした。もうそろそろ日本も自由に発言できる時期になったのではないのか、という私の判断がひょっとしたら誤っていたかもしれません」と正直に答えていました。
 「このように大騒ぎになるとを予測できなかった」とか「判断を誤った」りする航空自衛隊のトップが、約5万人の航空自衛隊を率いて、どこへ連れて行こうというのでしょうか。中国に騙されたとかアメリカのワナにはまったといって、自滅の道連れは御免です。
解説8:私が不思議に思うのは、航空自衛隊の実行部隊のトップが「言論クーデタ」を何故行ったかという疑問です。判断を誤ったという面はあっても、何か意図はあったはずです。自虐史観では約5万人の部下を士気を鼓舞できないと思ったのでしょうか。田母神氏は、統合幕僚学校長時代に、幹部教育課程に「歴史観・国家観」の課目を新設しました。
 今は、グローバル時代です。「世界観」抜きの日本はありえません。軍隊を経験したお年寄りに戦争体験を聞いたことがあります。ほとんどの人は中国人を「シナ人」と蔑称し、「日本兵が行くとこそこそ逃げ出す」ダメな兵隊ばかりと小バカにしていました。アメリカ人に対しても、「美味いものをタラフク食い、エロ本を読んで、根性なしのヤツらばかりだ」と教えられていたと語っていました。
 いい悪いは別に、「死を恐れず、敵に向かう日本兵の怖さは世界中にとどろいていた」ことは事実です。しかし、ノモンハン事件の反省をしない、ガダルカナル戦では同じ失敗を繰り返して肉弾的猛攻撃をする、インパール作戦では反対派の指揮官を罷免して無謀な戦を繰り広げる、指揮官(指導者)の情報不足(無知)と無責任さが指摘されています。「兵は一流だが指揮官が三流だった」と戦争経験者から聞かされていました。そんな体験を平和な今、私たちはしているわけです。
 「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」(孫子の兵法)という教訓が日本にありました。日本の伝統的哲学を無視してはイケマセンね。
 国家観・歴史観にしても、史料を恣意的に扱う歴史修正主義や近現代史観では、ネット上で史料の全文が簡単に手に入ります。その結果、自分たちこそ、自虐史観で洗脳されていたということで、逆に、士気を低下させるという考えはなかったのでしょうか。実証主義的に部下の士気を鼓舞して欲しかったと思います。
 それとも、渡部昇一氏や田母神氏らは、日本には誇れる史料がないということでしょうか。
解説8:「そろそろ日本も自由に発言できる時期になったのではないのか」という発言がとても気になります。一部の新聞・雑誌・ネットなどを除いて、グローバル時代に、田母神氏のような発言は国内向けで、国際的には通用しないと思っています。しかし、世間の常識は、田母神氏のようなグループには通用しないのでしょう。どのようなグループがいるのかとても気になるところです。
12  もう少し、経過を検証してみます。
 2008年10月31日、田母神俊雄航空幕僚長が罷免されました。審査委員長の渡部昇一氏らが最優秀賞に選んだ論文「日本は侵略国家であったのか」が原因でした。ここには、戦争への悲しみが感じられません。
 同日、岩波書店から発行された大江健三郎氏の『沖縄ノート』が提訴されました。地裁・高裁では、原告側の訴えが退けられました。
 11月6日、産経新聞は次のような記事を載せています。
 産経新聞が主導する日本で10番目の「正論」懇話会が名古屋で発足しました。川口文夫・中部電力会長、木村操・名古屋鉄道会長、張富士夫・トヨタ自動車会長の3氏が代表幹事に選出されました。張代表幹事は「『正論』だけが既存の価値観に縛られず、日本のあるべき姿を示してきた。本日を出発点に当会を大いに発展させたい」などと挨拶しました。
 渡部昇一上智大学名誉教授は、設立記念講演で次の様に語りました。
 日本の政治家がリーダーシップを失ったのは、昭和60年ごろに外務省が「日本は東京裁判を受諾したため国際社会に復帰できた」との認識を示したときからだと指摘した。そのうえで、「東京裁判は国際法に基づいていない。今後の日本のリーダーは、東京裁判史観を抜け出した歴史観を国民に教えないといけない」と主張。「このままでは日本は元気をなくす。今後生まれてくる子供たちが胸を張れるようにすることが大切だ」と強調した。
13  私は、「企業の経営者は、戦争をしたがっている」という話や「(不況のとき)戦争が起こった一変に景気がよーなるのになー」という中小企業の社長の叫び声を聞いたことがあります。
 トヨタ自動車の張富士夫会長は、企業の経営者として近現代史観にたつ「正論」懇話会の発展を祈念しています。リップサービスならいいのですが、本心はどこにあるのでしょうか。 
14  なるほど、渡部昇一上智大学名誉教授を中心に、櫻井よしこ氏がいます。藤岡信勝氏(新しい歴史教科書を作る会会長)もいます。中山成彬氏もいます。中山氏は、自民党内で結成された議員連盟の日本の前途と歴史教育を考える議員の会(議員の会)の会長です。議員の会は、歴史教科書、慰安婦、南京大虐殺問題に関し否定的な立場をとっています。高崎経済大学教授・八木秀次(作る会元会長、安倍首相のブレーン)は、産経新聞の正論欄で「国土交通相を辞任した中山成彬氏の日教組発言が静かに支持されている」と書いています。議員の会と作る会が密接につながっていることが分かります。
 こうした流れを、田母神氏は、航空自衛隊のトップにあっても、「持論を展開できる」と錯覚したのでしょう。
 大江・岩波沖縄戦裁判は、こうしたグループの攻撃の対象となっています。
15  いつか来た道をひたひたと進んでいる気がします。
 と同時に、いつか来た時とは状況が違っているとも思っています。その理由は、私は、毎日2時間ほど、朝日新聞と産経新聞、地方紙の神戸新聞を読んでいます。話題が大きい時は、読売新聞・毎日新聞・日経新聞などをネットで利用しています。大江・岩波沖縄戦裁判では、産経新聞や渡部昇一氏らから猛烈な情報が流れてきました。しかし、ネットを閲覧すると、史実に基づく情報に接することが出来ました。
 大富豪でなければ大統領になれないアメリカにあって、裕福でないバラク・オバマ氏は、ネットで小口100ドル(約1万円)の献金を呼びかけ、最終的には約6億4000万ドル(約640億円)を集め、次期大統領の座を得ました。
 ネットが有効な情報を発信できれば、健全なバランス感覚が働いて、来た道には行かないと期待もしています。
資料(大江・岩波沖縄戦高裁判決文と産経新聞正論)
 私は、高校3年生の時、「八海事件」の正木ひろし弁護士の話を聞きました。歴史が好きで、文学部に進学を決めていた私は、もっと早くこの話を聞いていれば、弁護士への道を目指したかも知れません。
 大江・岩波沖縄戦裁判の判決に出会いました。渡部昇一氏らは、「Will」の緊急増刊『沖縄戦-集団自決』8月号で次のような記事を展開しています。
 (3━1)梅澤裕少佐は、「戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用できるようにするために、島の長老達から『軍命令だった』と証言するように頼まれ、それに従った」と証言しています。
 そして座間味島の宮村幸延氏は、当時の助役・兵事係であった兄・宮里盛秀氏が、「隊長命令説は援護法の適用を受けるためにやむを得ずつくり出されたものであった」という証文を梅澤裕少佐に与えたと言っています。
 梅澤少佐や赤松大尉は戦後の村の困窮を見かねて、「命令書を作成してきなさい。そうすればサインをしてあげます」と「軍命令」の書類を作成したというわけです。
(3━2)産経新聞の記事です(2007年10月3日)。渡嘉敷、座間味での集団自決は両島の守備隊長の命令だったとされてきた。しかし遺族年金受給のために「軍命令だった」と関係者が偽っていたことなどが明らかになった。大江氏の『沖縄ノート』に対して元守備隊長や遺族らが誤った記述で名誉を傷つけられたとして訴訟も起きている。
高裁 判決要旨
2008年(平成20年)10月31日
【証拠上の判断】
 1 控訴人梅沢は、(村幹部らに)「決して自決するでない」と命じたなどと主張するが、到底採用できない。村の幹部が軍に協力するために自決すると申し出て爆薬等の提供を求めたのに対し、玉砕方針自体を否定することもなく、ただ「今晩は一応お帰り下さい」と帰しただけであると認めるほかはない。
 2 (座間味島住民の)宮平秀幸は、控訴人梅沢が自決してはならないと厳命したのを聞いたなどと供述するが、明らかに虚言であると断じざるを得ず、これを無批判に採用し評価する意見書、報道、雑誌論考等関連証拠も含めて到底採用できない。
 3 梅沢命令説、赤松命令説が(戦傷病者や戦没者遺族への)援護法適用のために後からつくられたものであるとは認められない。
 4 (略)
 5 時の経過や人々の関心の所在、本人の意識など状況の客観的な変化等にかんがみると、控訴人らが各書籍の出版等の継続により、人格権の重大な不利益を受け続けているとは認められない。
 要旨では満足できず、ネット上で、全文がないか探しました。ありました。大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会のホームページでした。
 しかし、PDFなので、テキスト化出来ません。時間をかけて、重要な部分をテキスト化しました。
 判決文にも出てくる産経新聞の記事も紹介します。
資料1(大江・岩波沖縄戦高裁判決文━重要箇所の全文)クリック
資料2(産経新聞2006年8月27日「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決 照屋昇雄さん)クリック
NIE(教育に新聞を)という趣旨で、いろいろな新聞の記事を活用させて頂きました。感謝致します。

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