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エピソード

304_04

大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判(2)
 何度も書きましたが、「歴史は何のために学ぶのか」と問われることがよくあります。
 私は、「現在を知るために、過去の歴史を学ぶ」「現在を知って、これからに生き方に活かす」と答えています。
 最近、やたらと過去の歴史を学ぶ問題が多発しています。近世のいろいろな問題を取り上げたい私ですが、周囲がそうさせてくれません。雑誌『正論』(産経新聞社)や雑誌『WiLL』(ワック・マガジンズ社)に投稿している人々の論調から脱皮したいと思うのですが、そうさせてもらえません。 
 田母神俊雄前航空幕僚長の「日本は侵略国家であったのか」以来、最近のTVでは、「真に日本が独立するためには、日米同盟から脱皮して、核武装をすべきだ」という論者が増えました。私は、「口では何とでも言える。そう主張する論者こそ第一戦で闘う覚悟があるのか」と問いたい。
 自分の子も守れなかった国会議員が「自主防衛」を声高に叫んでいるのを見ていて、「言うこととすることとの間の乖離」を非常に感じました。こういう人が危険な論調を主導しているかと思うと、絶望的になります。
 私は、子や孫に平和な日本を残したいです。
 私は、軍備否定論者ではありません。オーストリアのように、庶民と融合した軍隊なら容認します。しかし、民主主義とは相容れない戦前の軍国主義には大反対です。
 今回も、そうした視点から論を展開します。しばらくお付き合い下さい。
 最近(2008年)、花田紀凱氏編集の「Will」という月刊誌(緊急増刊『沖縄戦-集団自決』8月号)を読みました。
 そこには、上智大学の渡部昇一名誉教授の文章もありました。田久保忠衛杏林大学客員教授とジャーナリスト櫻井よしこ氏の対談もありました。
 2008年3月31日、田母神俊雄航空幕僚長が罷免されました。審査委員長の渡部昇一らが最優秀賞に選んだ論文「日本は侵略国家であったのか」が原因でした。ここには、戦争への悲しみが感じられません。
 岩波書店から発行された大江健三郎氏の『沖縄ノート』が提訴されました。地裁・高裁では、原告側の訴えが退けられました。
 そこで、同じ潮流の田久保氏・櫻井氏・渡部氏らが考える「集団自決」を考察したいと思います。
 さらに、梅澤裕元少佐・作家の曽野綾子氏の記事から、「集団自決」を取り上げます。
 以下は、緊急増刊『沖縄戦-集団自決』8月号に掲載された年表で該当部分を紹介しました。感謝します。
 検証をするために、必要な情報を追加しています(黄色の年表部分が追加情報です)。
事項
1941 12 真珠湾攻撃。大東亜戦争開戦
1944 日本陸軍の海上挺進船隊と海上挺進基地大隊、沖縄へ配備
22 沖縄の学童疎開者の乗る「封馬丸」が撃沈される
11 沖縄で戦闘を前に決起集会
1945 東京大空襲
23 米軍が海空から爆撃開始
25 米軍が慶良問諸島に砲艦射撃。座間味島で宮城初枝らが梅澤裕隊長の元へ「武器を
ください」と申し出るが、梅澤隊長はその申し出を断る。その後、座間味島で住民の「集
団自決」
27 米軍が渡嘉敷島に上陸。
28 住民の「集団自決」
米軍が沖縄本島に上陸
読谷村チビリガマで住民の「集団自決」
海軍部隊司令官の大田実少将が「沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別ノ御高配
ヲ賜ランコトヲ」との訣別電報を打つ。
13 この頃、大田少将は自決
23 沖縄守備軍司令官・牛島満中将と参謀長・長勇中将が摩文仁司令部で自決
米軍、沖縄戦終結を宣言
広島に原爆投下
長崎に原爆投下
15 終戦
1948 沖縄タイムス創刊
事項
1950 『鉄の暴風』(沖縄タイムス編著)発刊。「自決命令」の記載あり
1952 援護法、施行
1957 照屋昇雄氏、「赤松嘉次元大尉の自決命令」により書類を作成した結果、集団
自決した島民の遺族や負傷者に対して援護法適用が決まると証言(jiketu5-46)
1958 梅澤裕元少佐は、集団自決のことを「週刊朝日、サンデー毎日で知った」と証言
1959 上地一史『沖縄戦史』(時事通信社)発刊。「自決命令」の記載あり
1965 中野好夫、新崎盛陣『沖縄問題21年』(岩波書店)発刊。「自決命令」記載あり
1970 渡嘉敷島の集団自決慰霊祭には、赤松元大尉は、抗議集会のため出席できず
梅澤元少佐は、軍民慰霊祭の時、偶然、宮城初枝と再会しました。彼女から
「隊長は自決をとどめ、弾丸はやれないと厳しく断った」と聞き、感動したと証言
赤松隊の『陣中日誌』発刊。「自決命令」の記載なし
大江健3郎『沖縄ノート』(岩波書店)発刊。取材をせず、『鉄の暴風』を孫引きして赤
松隊長を侮蔑
1971 曽野綾子「ある神話の背景」、『諸君!』で連載開始
1972 15 沖縄返還
1973 曽野綾子『ある神話の背景』(文藝春秋)発刊
1977 26 宮城初枝が娘(晴美)に「集団自決は梅澤隊長の命令ではなかった」と告白
1980 12 宮城初枝が梅澤氏に謝罪
1982 教科書検定で高校日本史から旧日本軍による「住民虐殺」の記述削除
沖縄が猛反発。臨時県議会で「教科書検定に関する意見書」を全会一致で採択
12 「住民虐殺」の記述復活
1984 19 家永教科書裁判第3次訴訟提訴。沖縄戦の住民犠牲についても争われる
1985 沖縄タイムス、太田良博(元沖縄タイムス記者)「沖縄戦に”神話”はない」(全10
回)の掲載開始
曽野綾子が沖縄タイムスで反論開始。「『沖縄戦』から未来へ向って(太田良博氏
へのお答え)」(全5回)
11 太田良博が「土俵をまちがえた人」(全6回)で曽野に再反論開始
30 神戸新聞が「絶望の島民悲劇の決断」「日本軍の命令はなかった」との見出しで
島民の証言を掲載


事項
1986 神戸新聞「『沖縄県史』訂正へ」「部隊長の命令なかった」と報じる
1987 下旬 梅澤元少佐は、慰霊祭のお地蔵さんを献納した時、宮村盛秀元助役の弟幸延氏
から「梅澤さんのおかげで補償金が出ました」と聞いたと証言
28 宮村幸延氏、「集団自決は梅澤部隊長の命令ではなく助役盛秀の命令であ
った。之は遺族救済の補償申請の為止むを得ず役場当局がとった手段」と親書
18 神戸新聞が「座間味島の集団自決の命令者は助役だった」「遺族補償得るため
”隊長命”に」と報じる
23 東京新聞が「村助役が命令」と報じる
1988 本田靖春が『小説新潮』に「第一戦隊長の証言」を掲載。自決命令説を否定
1997 29 家永教科書裁判第3次訴訟、上告審判決。「沖縄戦」については原告の訴えを却下
2000 12 「軍命令はなかった」と証言し沖縄で非難を浴びていた宮城初枝の娘・宮城晴美が
『母の遺したもの』(高文研)出版
2005 梅澤裕らが大江健三郎と岩波書店を大阪地方裁判所に提訴(大江・岩波裁判)
27 産経新聞が元琉球政府関係者の照屋昇雄の軍命令を否定する証言を報じる
2006 10 沖縄タイムスが「米公文書に『軍命』」の見出し。林博史(関東学院大学)が米公文
書館で「米軍が上陸してきたら自決せよ」との軍命があったとする記録を発見。しか
し「命令に相当する(command)、(order)などの単語はなく、林氏は(tell)を命令と
翻訳している
2007 30 高校教科書検定で「集団自決」について「軍の強制」という表現を削除
20 伊吹文科相が集団自決について「専門家は、軍の関与がなかったとは誰も言って
いない」と発言
27 大江・岩波裁判、第1回口頭弁論 証人尋問:皆本義博、知念朝睦、宮城晴美(宮
城晴美は「軍命令があった」と証言。「一カ月前に考えを改めた」と話し、深見裁判
長から「本当にその証言でいいのか」と質された)

事項
2007 10 期日外の証人尋問・金城重明(福岡高裁那覇支部で実施・非公開)
28 沖縄タイムスが「沖縄戦の『集団自決』で亡くなったとみられる住民たち」と説明を付
けた写真を掲載。
29 世界日報が「米軍による住民殺害場面写真」だったと報じる
宜野湾市で「教科書検定意見撤回を求める県民大会」
30 沖縄タイムス、琉球新報、朝日新聞等が県民大会参加人数を主催者発表として「11
万人参加」と報じる。のちに空撮写真から参加人数は2万人弱と判明
11 大江・岩波裁判、第11回口頭弁論 当事者尋問:梅澤裕、赤松秀一、大江健三郎
12 27 沖縄タイムス、「教科書訂正 ”再検定”で軍強制復活」と報じる
2008 宮城晴美が『母の遺したもの』新版で、物故した母親の証言を改変
28 大江・岩波裁判、判決言い渡し。原告の請求棄却。ただし「赤松隊長令至は確認視
されている。
29 朝日新聞が社説で「集団自決判決 司法も認めた軍の関与」「集団自決に日本軍が
深くかかわったという事実はもはや動かしようがない」と論点をすりかえて掲載
原告側が控訴
田久保忠衛氏と櫻井よしこ氏・渡部昇一氏の沖縄論を検証
 ここでは、緊急増刊『沖縄戦-集団自決』8月号の田久保忠衛氏と櫻井よしこ氏の対談(12〜33P)を検証してみました。
(1━1)田久保氏:教科書検定では「軍命令はない」となった途端、「同調圧力」で騒ぎ出し、沖縄ではせいぜい2万人なのに、沖縄タイムスや琉球新報が「11万人」と偽った”大集会”が開かれました。この”大集会”に屈して文科省が検定を改めようとした。
(1━2)櫻井氏:沖縄の新聞の論調や例の”11万人”集会に煽られた世論を裁判所が気にした結果の判決(作者注・2008年3月28日の地裁判決)だと言われても仕方がないでしょう。
確認1:田久保氏が言われる2万人の大集会だったとしても、沖縄県知事も自民党の議員も参加したので、文科省も動いたのではありませんか。沖縄県知事仲井真氏は「検定意見が速やかに撤回され記述の復活がなされることを強く要望する」としています。自民党jの原田義昭衆議院議員は、自身のブログに「教科書検定、沖縄の痛みを聴け」と題して、「史実を一層追求しつつも沖縄県民の主張は(一党一派に偏した)「政治的」動きというよりもそれをはるかに超越した「民族的叫び」というべきものだからです」としています。
(2━1)櫻井氏:中央政府から取れるものは取るという動きは、やはり沖縄が突出しています。…日本国政府も、その沖縄を特別に優遇してきました。…沖縄は、「我々はひどい目にあった」ということを半ば、政治の道具として日本政府に突きつける。日本国も気の毒だという記憶があるために、できる限りのことをしようとする。しかし、やさしさだけでは問題は解決されず、成果も上がりません。
(2━2)田久保氏:米軍基地の75パーセントが沖縄にあり、日米同盟の犠牲になっているというのが彼らの言い分ですが…基地交付金という莫大なカネが沖縄に入ることになっています。…とにかく「甘え」ていて「特別」な県を、沖縄と内地の政治家たちで作ってしまったということです。
確認2:沖縄に関して、両者に共通している認識は、甘えているということです。私は、以前、沖縄に行った時の体験です。静かな植物園で、色々な草花を楽しんでいた時、鼓膜が痛くなる爆音を聞きました。何度も何度もです。外に出て、空を見ると、米軍のジェット機が低空で飛行していました。
 櫻井さんや田久保さんは、毎日、このような状況に置かれたら、どのような感想を持たれるのでしょうか。国策として米軍基地と接することを宿命付けられた沖縄県の人々の感情を考えると、爆音と無関係な「甘えた」生活をしている私は、このような議論にはとても参加できません。
(3)渡部氏:「沖縄」と「本土」という観点、「基地問題」という観点から騒ぐという風潮が沖縄にはあります。
 また、「軍命令がなかった」ということになると困る人たちがいるという事実も見逃せません。
 ですから、「大集会」を開いて揺さぶりをかけました。この「大集会」は、これまた朝日新聞で「11万人の大集会」と報じられましたが、実際にテイケイ(株)の会長がプロジェクトチームを作り、写真を拡大して1人1人、塗りつぶしながら数えるという膨大な作業の結果、2万人にも満たないということが判明しました。
確認3:田久保氏や櫻井氏と同じ手法で、数字を矮小化していますが、その意図はどこにあるのでしょうか。県知事や自民党の国会議員が参加している事実は、数字も大切ですが、沖縄県民の総和と考えられませんか。
(4)渡部氏:沖縄は元来、天然資源があるわけでもなく産業が発達しているわけでもないので、豊かであり得たはずがありません。ですから、「基地問題」で騒げば必ずカネが出るということを学び、そのようなパターンができてしまいました。
「騒げばカネが出る」というメンタリティーが相当広く沖縄の人たちの問に根付いてしまったということがあるように思います。
確認4:田久保氏や櫻井氏と同じ論法で、自分たちの自虐史観を合理化するために、沖縄県民の言動を「甘え」と批判する心理が分りません。
 渡部氏は、歴史は「美しい虹」であれと主張します。渡部氏の歴史観に「美しい虹」を感じる人は何人いるのでしょうか。渡部氏は、南京事件をなかったと主張しています。『渡部昇一のマンが昭和史』では、「大虐殺について中国の代表さえ国際連盟の議場でも取り上げていないのだ」と書いています。
 しかし、産経新聞は次のような記事を書いています(2008年10月29日)。
 南京事件について自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(中山成彬会長)が入手した資料をまとめた「南京の実相」(日新報道)が11月1日、出版される。
 南京陥落直後の1938(昭和13)年2月に中国国民党政府の顧維鈞代表が国際連盟理事会で「南京で2万人が虐殺された」と演説した議事録などが収録されている。
 同じグループの中山氏から否定される歴史に、「美しい虹」を感ずるのは渡部氏だけではないでしょうか。
追記1:最近、卒業生からメールが届きました。以下、その要約です。
 気の合った者で集まっていると、高校時代のことになり、先生から聞いたエピソードの話が出てきました。一番印象に残っているのは、「・・・」と語り合いましたが、○○君の「のうみ峠」の話から、話題が集中してとても盛り上がりました。その結果、諏訪大社に行く予定の一部を変更して、「のうみ峠」から飛騨高山に抜けることにしました。
 そして、ビデオにとっていた「のうみ(野麦)峠」を見ました。5月下旬に峠を越えましたが、峠から見る飛騨の山々には残雪が残っていて、言葉を忘れるほどの絶景でした。映画の「兄さ、飛騨が見える」と言った大竹しのぶさんが「まぶた」に浮かんだ時は、涙ぐんでいました。・・・
 エピソードを通して、先生が語りかけた「工女たちのお陰で今の日本があるんだよ。そんな今を大切にすることは青春を知らない彼女たちに感謝することに通ずるんだよ」という言葉を鮮明に思い出しました。
追記2:この卒業生からのメールを読んで、沖縄県民をこのように評価する田久保氏や櫻井氏・渡部氏の気持ちが分かりません。
 今の本土の平和と繁栄は、沖縄の人々の犠牲の上に築かれていることに気づかないのでしょうか。
 私たちの朝昼晩の食事は、働く人がいるから食べられるです。寒い時・暑い時に着る服は、働く人がいるから手に入るのです。雨の時・雪の時・台風の時に安全で過ごせるのは、働く人がいるから住むことができるのです。
 学者や評論家は、賢くて、口でいうことは立派です。しかし、働く人がいなければ、食べたり、着たり、寝たりできません。
 主義・主張のためと言え、人の痛みの分かる人になりたいと思います。
 そんなことを、豊かな平和日本で、つくづくと、考えました。
エピソード日本史と女工哀史←クリック
田久保忠衛氏と櫻井よしこ氏・渡部昇一氏の集団自決論を検証
 2008年12月1日以降、弁護人依頼の書類が届けられます。大阪高裁では判決が出ていますが、それを検証せずに、私が集団自決の弁護人になったと仮定して、様々な証人に対して、確認を提したいと思います。
 ここでは、緊急増刊『沖縄戦-集団自決』8月号の田久保忠衛氏と櫻井よしこ氏の対談(12〜33P)を検証してみました。
(5━1)田久保氏:真実相当性とはひと言で言うと、「真実ではないが、真実だと勘違いしても仕方がなかった」ということですが、一審判決でも、そもそもの「赤松隊長命令」の真実性は確認視されています。おかしな話ですよ。
 「軍命令」については、曽野綾子さんの『ある神話の背景』(一九七三年、文藝春秋刊。現在は改題・改訂版『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実』がワック出版より刊行中)が、明確に否定しています。曽野さんが、もんぺ姿で島中を歩き回って取材した結果、「軍命令」を開いた人は一人もいなかった。赤松隊長が「集団自決を命令した」という事実はどこからも出てこなかったのです。それから三十五年も経っているのに、まだ誤りを認めない。
 それどころか、逆に「援護法(戦傷病者戦没者遺族等援護法)を適用できるようにするために、『軍命令だった』と証言するように頼まれてそう証言したが、良心の呵責に耐えられないから謝罪したい」と複数の人が名乗り出ています。赤松隊長や梅澤氏は、村民のためを思って自分たちが命令したということにしたのです。
(5━2) 櫻井氏:この「集団自決」問題は、「南京大虐殺」問題と同じような構図になっています。
 中国は、「向井少尉と野田少尉が百人斬りをした」ということをとっかかりに、日本軍が南京で三十万人を虐殺したと言っています。しかし、向井氏と野田氏が「百人斬り」をしていないことは明々白々です。ですから、「百人斬り」説が崩れた以上、他の信頼できる情報を出さない限り、「南京大虐殺」説も崩れるはずなのです。しかし、彼らはそんなことは認めない。
 「集団自決」も同じで、赤松氏も梅澤氏も「命令」をしていない以上、他に軍が命令したことを示す明確なケースを示さない限り、「集団自決」の「軍命令」説は崩れているのです。しかし、こうしたことを直祝せず、雰囲気で「軍命令があった」と言い張る人たちがいる。
確認5:田久保氏は、「援護法」を適用するために、「赤松隊長や梅澤氏は、村民のためを思って自分たちが命令したということにした」と言っています。それを実証する資料はあるのでしょうか。
 櫻井氏は、「百人斬り」説が崩れた以上、他の信頼できる情報を出さない限り、「南京大虐殺」説も崩れると言っています。しかし、2006年12月22日、最高裁は、百人斬り記述訴訟に関して、遺族側の上告を棄却し、朝日・毎日両新聞社とジャーナリストの本多勝一氏の勝訴が確定しています。櫻井氏の発言は、2008年8月15日発行の「WiLL」ですから、最高裁の判決は十分知る得る立場です。こうした事実を無視した論を展開し、「集団自決」の「軍命令」説は崩れていると主張しても説得力はないと思うのですが、如何でしょうか。
 緊急増刊『沖縄戦-集団自決』8月号の渡部昇一氏の記事(34〜43P)を検証してみました。
(6)渡部氏:当初、沖縄での「集団自決」には「隊長の命令があった」、つまり「軍命令があった」とされており、1982年以降の高校教科書では「日本軍に強いられた、追い込まれた」という表現がとられていました。しかし「隊長の命令はなかった」という事実が判明したため、教科書の記述から事実無根の「軍命令」を削除し、書き換えたわけです。
 それに反応した人たちが沖縄で「大集会」を開いて抗議し、いまやまた事実と異なる「軍関与」を教科書に記述する方向に世論が動こうとしています。
 では、「集団自決」に「軍命令があった」とするでっち上げが、なぜ出てきたのか。そこには「遺族年金」というものが絡んできます。
 梅澤裕少佐は、「戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用できるようにするために、島の長老達から『軍命令だった』と証言するように頼まれ、それに従った」と証言しています。
 また、座間味島の宮城初枝氏(当時青年団長)は「1945年3月25日に村の有力者5人と隊長にあった際に、隊長は『自決命令』を発していない」と手記に遺しており、娘の宮城晴美氏が2000年に『母の遺したもの』としてその手記を出版しています。
 その中で、「厚生省の職員が年金受給者を調査するため座間味島を訪れたときに、生き証人である母(宮城初枝)は島の長老に呼び出されて命令があったと言って欲しいと頼まれ、(本当は命令はなかったが)命令があったと証言した」と告白しています。
 そして座間味島の宮村幸延氏は、当時の助役・兵事係であった兄・宮里盛秀氏が、「軍から自決命令を受けていない。隊長命令説は援護法の適用を受けるためにやむを得ずつくり出されたものであった」という証文を梅澤裕少佐に与えたと言っています。
 渡嘉敷島では遺族の援護業務を担当していた照屋昇雄氏が、遺族年金を受給するために赤松大尉が自決を命令したことにして自ら公式書類等を偽造したと認めています。
 つまり、単に自殺したというだけでは「戦傷病者戦没者遺族等援護法」が民間人を適用外としていることから年金がもらえないため、「軍命令」があっカということにしたのです。そうすれば「軍協力者」ということで年金がもらえるからです。
 梅澤少佐や赤松大尉は戦後の村の困窮を見かねて、「命令書を作成してきなさい。そうすればサインをして血あげます」と「軍命令」の書類を作成したというわけです。
 しそしてすでに、右のようにその書類の作成を頼みに行った人たちが、良心の呵責に耐えかねて、あれは自分たちが頼んで梅澤少佐や赤松大尉が親切でサインしてくれたものだということを証言しています。ですから、この問題はここで終わりになるはずなのです(この記事は『WiLL』2007年12月号より転載されたものです)。
確認6:渡部氏の記事は、非常に説得力があります。軍命令があれば、援護法の適用を受け、村人には年金が支給される。村人の懇願を受けて、@梅澤元少佐らが偽の「軍命令」を出したというのです。
 軍規に反して軍命令を出すことは厳罰です。A宮里盛秀氏が梅澤元少佐に与えたという証文はあるのでしょうか。これは梅澤元少佐の無実を証明する非常に重要な証拠です。
 公式書類等を偽造したという照屋昇雄氏は、偽造された「軍命令」の書類をどのような扱ったのでしょうか。
 B厚生省に提出した偽造の公式書類等は存在するのでしょうか。
 万人を納得させる資料の存在を確認できました。
 田久保氏も櫻井氏も渡部氏も、あらゆる方法で、『朝日新聞』に対して誹謗・中傷を繰り返します。
 逆に言うと、彼らに一番敵対しているのが『朝日新聞』という証拠でもあります。
 言論の自由を言うなら、『朝日新聞』を上回る言論を証拠に基づいて展開してもらいたい。
その後の田母神問題
 2008年11月29日の「朝まで生テレビ」では、視聴者から「田母神氏発言に共感できるか?」といういアンケートを集計しました。その結果、YESと答えた人が61%、NOと答えた人が33%でした。
 2008年11月30日の「そこまで言って委員会」では、街頭100人の人に「日本は侵略国家だったと思うか?」というアンケートを集計しました。その結果は、侵略国家だったが72人、思わないが26人、わからないが2人でした。
 非常に対照的な結果でした。この問題では、国論が分裂しています。より一層、議論する必要を感じました。
追記:朝日新聞の「ネットはいま」と題する記事(2009年2月11日付け)です。
 「58%の支持」
 ネット検索大手ヤフーは、その数字が独り歩きし始めたことに、困惑していた。
 「ヤフーで58%が私を支持している」
 昨年11月11日の参院外交防衛委員会の参考人招致。日本の侵略戦争や植民地支配を正当化する論文を公表、更迭された田母神俊雄・前航空幕僚長はそう言い放った。
 「ヤフー・ニュース」には、ニュースの話題に関するネット投票と意見投稿ができる仕組みがある。ネット投票は同月4日から参考人招致当日まで行われ、投票総数約9万7千、「ほとんど問題はない」 「まったく問題はない」を合わせると58%だった。
 ヤフーはこの仕組みを、あくまで利用者を引きつけるためのコンテンツ機能と位置づける。二重投票の制限などはしているが、そもそも統計学的な精度は担保されていない。
 NHKが同月の世論調査で、田母神氏を空幕長にした政府判断の是非を尋ねたところ「大いに問題」が30%、「ある程度問題」が35%にのぼった。日本テレビの世論調査でも、田母神氏の更迭について「適切と思う」が59%。い
ずれも、電話番号を無作為に選んで行う方法だった。
 ネット上で「世論」のように見える意見。だが一部の利用者による大量の書き込みや、同じ文言で投稿欄を埋め尽くすことも少なくない。
 たとえば先月中旬。政権の枠組みについて尋ねた時事通信の世論調査のニュースには、約7500件の意見投
稿があった。だが、投稿者の1%にあたる上位10人による投稿が全体の20%、投稿者上位20%では投稿の
約80%を占めた。
追記感想:私のホームページに関する感想でも、「素晴らしい」「いつも楽しみにしている」「授業では参考にしている」などという甘い言葉は嬉しいものです。しかし、嬉しいが、反面、成長の糧にはなりません。常に私に厳しい意見を大切にしています。この厳しい意見を克服してより大きくなれると思っているからです。
 自分に都合のいい意見のみを大切にする指導者は、危機管理には通用しません。実感です。
 朝日新聞は、「アパ代表のみ田母神氏に最高点 論文審査で」と題して次のような記事を掲載しました(2008年12月1日)。
 航空自衛隊の田母神俊雄・前航空幕僚長(60)が日本の侵略を否定する論文を発表し、更迭された問題で、懸賞論文を主催したアパグループ(元谷外志雄代表)による審査経過が複数の審査委員(代理を含む)の証言で明らかになった。元谷代表は当初から田母神氏の論文と知り得る立場で審査に加わり、メンバーで唯一最高点を与えていた。田母神論文を含む3作品が同点で並ぶと、元谷代表は田母神論文を推していたという。…
 一覧表では、田母神論文と大学生、近代史研究家の論文が合計点数で同点に並んでいた。元谷代表の提案で大学生の論文をまず優秀賞に落とし、残った2作品のうち、元谷代表が田母神論文を推した。「異存ありませんか」と元谷代表が各委員に確認したが、反対意見は出なかったという。
■審査委員の話
 小松崎和夫・報知新聞社長の話 こんな騒ぎになったのでよく考えてみると、元谷代表が田母神氏を最優秀にしようと考えればできたと思う。主催者として最初から田母神氏の応募を知っており、自分が最高点を付けて他の委員が何点かつければトップにできると考えたのでは。通常の懸賞論文とルールが異なっていたが、審査時は「お金を出しているのは元谷さん」という意識があり、追及しようと思わなかった。不思議なのは審査が粛々と進んだことだ。元谷代表に乗せられたのか判然としないでいる。
 花岡信昭・産経新聞客員編集委員の話 田母神論文に書かれた歴史的事実は、先の戦争でのコミンテルンの力を過大視するなどの難点があり、採点では最高点を付けなかったが、「日本人よ、誇りを取り戻そう」といったメッセージが明確で雑誌論文的で読みやすかったことから、その後の議論の中で最優秀とした。審査は公正だったと考える。あらかじめ田母神論文が最優秀と決まっていたという勘ぐりは、審査委員の名誉を傷つけるものだ。
 山本秀一・中山泰秀衆院議員秘書の話 審査では元谷代表が田母神論文を強く推し、審査委員もそうした空気につられた感じがする。私自身は、日米安全保障条約と、日本が朝鮮半島を植民地にした条約とを同一視する田母神論文には違和感があり、採点では低い評価にした。振り返ってみると、審査では元谷代表が自分の意向を反映させる機会が数多くあり、田母神氏に賞金を渡すための懸賞論文だったと見られても仕方がないのではないか。
 渡部昇一・上智大名誉教授の話 審査はスムーズだったので特に記憶に残っていません。雑誌「WiLL」に書いた審査の経緯が私の記憶です。他の方の記憶と違うかもしれませんが、それはその方の記憶です。
 田母神氏の防衛大学校での恩師でもある拓殖大学大学院教授・森本敏氏は、産経新聞で、「田母神論文の意味するところ」と題して次のような記事を発表しました(2008年12月5日)。
 ≪侵略でないといえない≫
 歴史や戦争は人間社会の複合された所産であり、日本が先の大戦に至るまでにたどった道を省みれば、明らかに「自衛」と「侵略」の両面がある。歴史を論じる際、これらをトータルに観察し分析すべきである。田母神俊雄・前航空幕僚長の論文を読んで感じるのは、証拠や分析に基づく新たな視点を展開するならともかく、他人の論評の中から都合の良いところを引用して、バランスに欠ける論旨を展開している点である。あの程度の歴史認識では、複雑な国際環境下での国家防衛を全うできない。
 大戦に至る歴史の中で日本が道を誤る転換点となった張作霖爆破事件は、満州権益の保護拡大のため関東軍が独断専行の結果引きおこしたものであることは各種証拠からほとんど間違いない。このときの処置のあいまいさや満州での激しい抗日運動、関東軍の独断がその後の満州事変の引き金になり、満州国建国、上海事変、シナ事変へと続いていったのである。この歴史的事実をもって日本は侵略国家でないというのはあまりに偏った見方である。
 我々が心得べきことは、大戦に至る数十年、日清・日露戦争で勝利した奢(おご)りから軍の独善が進み、国家は「軍の使用」を誤ってアジア諸国に軍を進め、多くの尊い人命を失い、国益を損なったことである。これは日本が近代国家を建設する過程での重大な過誤であり、責任は軍人はもとより国家・国民が等しく負うべきである。この過誤を決して繰り返してはならない。
 ≪政治感覚の著しい欠如≫

 ≪防衛省の対応には確認≫

 今回は国内世論が左右にはっきり分かれた。これは歴史認識が確立していないからであり、近代史に関する歴史教育の重要性を痛感させられる。(もりもと さとし)
 歴史修正主義者と産経新聞で論陣を張る保守派は、かなりの部分で一致しています。
 産経新聞には、時々、秦郁彦氏や森本敏氏のようは論客も登場します。バランス感覚が働いています。まだまだ日本は大丈夫です。
 とはいえ、バランス感覚を欠いた時代が来ないとも限りません。「蟷螂の斧」の役割も必要でしょうね。
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