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 前提事実及び争点(010P)
 基礎となる事実、争点及び同争点に対する当事者双方の主張
等は、以下に補正し、付加するほかは、原判決が「事実及び理
由」の「第2 事案の概要」の「2 前提事実」、「第3 争
点及びこれに対する当事者の主張」に摘示するとおりであるか
ら、これを引用する。なお、当審における補充主張の要点及び
争点は、4項(94頁)以下に記載するか、織り込めるものは
以下の引用部分にも織り込む。 補正、付加して原判決を引用す
るについては、わかりやすいように、原告を控訴人、被告を被控訴
人と改めて原判決の摘示を以下に再掲(ただし、一部は要約)した上
で、それに補正、付加を加えて示すこととする。補正等に際しては、
補正、付加あるいは要約等の部分は、区別しやすいようにゴシック体
で示す。また、記載を削除した場合は「・・」又は「・・・」で示す。
【原判決の引用】

第2 事案の概要(011P)
 前提となる事実(証拠によって認定した事実は各項末尾のかっこ内に認定に供し
た証拠を摘示し、その記載のない事案は、当事者間に争いのない事実である。)
(1) 当事者
 控訴人梅澤は、大正5年12月21日生まれの男性で、第二次世界大戦中の
沖縄戦において、アメリカ合衆国軍隊(以下「米軍」という。)が最初に上陸
した慶良間列島の座間味島で、第一戦隊長として米軍と戦った陸軍士官学校
(52期)出身の元少佐である。
 また、控訴人赤松は、同じ沖縄戦において、慶良間列島の渡嘉敷島で、第三
戦隊長として米軍と戦った陸軍士官学校(53期)出身の元大尉である赤松大
尉(大正9年4月20日生、昭和55年1月13日死亡)の弟である(控訴人
赤松が赤松大尉の弟であることについて、甲C1の1及び2)。

 被控訴人岩波書店は、大正2年創業の各種図書の出版及び販売等を業とする
株式会社であり、本件各書籍の出版をしている。
 また、被控訴人大江は、芥川賞、ノーベル文学賞を受賞した作家であり、沖
縄ノートの著者である。

(2)  第二次世界大戦における沖縄戦と座間味島及び渡嘉敷島における集団自決
 昭和16年12月に始まった太平洋戦争は、昭和17年のミッドウェー沖海戦
を機に日本軍は劣勢を強いられ、昭和19年7月にはサイパン島が陥落し、昭和
20年2月には米軍が硫黄島に上陸し、次の米軍の攻撃は台湾か沖縄に向かうと
予想される状態であった。
 昭和19年3月、南西諸島を防衛する西部軍指揮下の第三二軍が編成され、同
年6月ころから実戦部隊が沖縄に駐屯を開始し、この沖縄守備軍・第三二軍は
「球部隊」と呼ばれていた。
 昭和20年3月23日から、沖縄は米軍の激しい空襲に見舞われ、同月24日
からは艦砲射撃も加わった。慶良間海峡は島々によって各方向の風を防ぎ、補給
をする船舶にとっては最適の投錨地であったことから、米軍の最初の目標は、沖
縄本島の西55キロメートルに位置する慶良間列島の確保であった。米軍の慶良
間列島攻撃部隊は、アンドリュー・D・ブルース少将の率いる第77歩兵旅団で
あり、空母の護衛のもと、上陸作戦に臨んだ。
 慶良間列島には、座間味島、渡嘉敷島、阿嘉島などがあるところ、昭和19年
9月、座間味島には控訴人梅澤が指揮する海上挺進隊第一戦隊(以下「第一戦
隊」ともいう。)が、渡嘉敷島には赤松大尉が指揮する海上挺進隊第三戦隊(以
下「第三戦隊」ともいう。)が配備された。海上挺進隊は、当初、小型船艇に爆
雷を装着し、敵艦隊に体当たり攻撃をして自爆することが計画されていたが、結
局出撃の機会はなく、前記船艇を自沈させた後は、海上挺進隊はそれぞれ駐屯す
る島の守備隊となった。
 控訴人梅澤の守備する座間味島と、赤松大尉の守備する渡嘉敷島では、米軍の
攻撃を受けた昭和20年3月25日から同月28日にかけて、それぞれ島民の多
くが集団自決による凄惨な最期を遂げた(なお、以下では、控訴人梅澤が座間味
島において住民に集団自決を命じたことを肯定する見解を「梅澤命令説」といい、
赤松大尉が渡嘉敷島において住民に集団自決を命じたことを肯定する見解を「赤
松命令説」という。)。

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