| 第3 | 争点及びこれに対する当事者の主張(024P) | |||||
| 本件の争点は、 | ||||||
| @ | 沖縄ノートの各記述は、控訴人梅澤又は赤松大尉を特定ないし同定するような ものであるか(特定性ないし同定可能性の有無) | |||||
| A | 本件各記述が控訴人梅澤及び赤松大尉の社会的評価を低下させるものであるか (名誉毀損性の有無) | |||||
| B | 本件各記述に係る表現行為の目的がもっぱら公益を図る目的であるか(目的の 公益性の有無) | |||||
| C | 控訴人梅澤及び赤松大尉が住民に集団自決を命じたか(真実性の有無) | |||||
| D | 被控訴人らが、控訴人の自決命令及び赤松大尉の自決命令が真実であると 信ずるについて相当の理由があるか(真実相当性の有無) | |||||
| E | 沖縄ノートの各記述は、赤松大尉に対する人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評 としての域を逸脱したものであるか(公正な論評性の有無) | |||||
| F | 控訴人赤松につき、敬愛追募の情の侵害があったか | |||||
| G | 損害の回復方法及び損害額 である。 以上の争点に対する当事者の主張は、以下のとおりである。 | |||||
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| 1 | 争点@(特定性ないし同定可能性の有無)について(025P) | |||||
| (1) | 控訴人らの主張 | |||||
| ア | 沖縄ノートの各記述が控訴人梅澤又は赤松大尉を特定ないし同定するものであること | |||||
| (ア) | 本件記述(2)の「日本人の軍隊が命じた住民に対する自決」「血なまぐさい 座間味村、渡嘉敷村の酷たらしい現場」との記述からは、座間味島の守備隊 長が座間味島における自決命令を出したことが伺えるところ、座間味島の守 備隊長が控訴人梅澤であることは日本の現代史を研究する者及び控訴人梅澤 を知る者であれば誰でも知っている事実であるから、本件記述(2)は、控訴人 梅澤を特定ないし同定するものである。 また、本件記述(2)の「日本人の軍隊が命じた住民に対する自決」「血なま ぐさい座間味村、渡嘉敷村の酷たらしい現場」との記述、本件記述(3)の「慶 良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男」 「『命令された』集団自殺を引き起こす結果をまねいたことのはっきりして いる守備隊長」「戦友(!)ともども、渡嘉敷島の慰霊祭に出席すべく沖縄 におもむいたと報じた」との記述、本件記述(4)の「慶良間の集団自決の責任 者も」「渡嘉敷島に乗りこんで」「渡嘉敷島で実際におこったこと」「あの 渡嘉敷の『土民』のようにかれらは、若い将校たる自分の集団自決の命令 を受け入れるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者だった」との記述及び 本件記述(5)の「おりがきたとみなして那覇空港から降りたった、旧守備隊 長」との記述からは、渡嘉敷島の守備隊長が渡嘉敷島における自決命令を出 したことが伺えるところ、渡嘉敷島の守備隊長が赤松大尉であることは日本 の現代史を研究する者及び赤松大尉を知る者であれば誰でも知っている事実 であるから、沖縄ノートの各記述は、赤松大尉を特定ないし同定するもので ある。 | |||||
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| (イ) | ある記述における登場人物を特定の誰かと同定できるか否かの「同定可能 性」の問題は、いわゆる匿名報道等における「匿名性」の問題と表裏をなす ところ、匿名記事の「匿名性」の判断基準については、共同通信北朝鮮スパ イ報道事件に係る東京地裁平成6年4月12日判決・判例タイムズ842号 271頁が次のように判示している。 「(省略)」 | |||||
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| (ウ) | 上記判例が示した「匿名性」の判断基準、すなわち「同定可能性」の判断 基準は、原則として「その報道自体から報道対象が明らかであったことを 要」するとするが、ここでの「報道」を本件に適合するよう「表現」と言い 換えると、「その表現自体」には、当該表現が掲載されている書籍・論文に おける他の箇所の記述も含まれることはもちろん、当該表現が、それと一体 をなすものとして引用している書籍等の記述も含まれると解される。当該引 用によって一般読者が容易に引用書籍に当たり、その表現を読むことができ るからであり、名誉毀損という観点からは、当該表現が収められた当該書籍 の他の箇所を読む場合と選ぶところはないからである。 この点、被控訴人岩波書店を当事者とした知財高裁平成17年11月21 日判決(甲C4)は、次のように判示し、名誉毀損表現における「同定可能 性」の判断において引用文献の記述が参照されるべきことを、当然のことと して認めている。 「(省略)」 上記判決の特徴は、「被控訴人書籍」には「執筆者の氏名」は記載されて いないにもかかわらず、「被控訴人書籍」に記載されたわずか1500部し か発行されていない文集の出典頁から、執筆者(寄稿者)を知ることができ るという場合に名誉段損が成立する余地を認めていることである。 | |||||
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| (エ) | これを本件について見るに、被控訴人らが準備書面で自ら引用しているよ うに、渡嘉敷島の集団自決命令を下したのは赤松大尉であると実名で記述し た書籍等が多数出版されており、更には、沖縄ノートの各記述にあるように、 渡嘉敷島で開催された慰霊祭へ出席しようとした赤松大尉が、沖縄の組合活 動家らから難詰される等して慰霊祭への出席を阻止されたという事件が複数 の新聞、週刊誌、グラフ誌等で赤松大尉の実名をもって報道されていた。そ して、被控訴人大江も、当該事件を実名報道した新闘やグラフ誌等の記事を 読んでいたことは、沖縄ノートの各記述から明らかである。 以上の事実から、被控訴人大江を含め国民の多くが渡嘉敷島の元守備隊長 が赤松大尉であるということを認識していたと認めることができ、それが一 般の読者の客観的な認識の水準となっていたと解される。したがって、沖縄 ノートの各記述は、多くの書籍、新聞、週刊誌、グラフ誌等において実名を 用いてなされた渡嘉敷島集団自決事件の記述と同一性のある記述であると容 易に判明するから、匿名性を実質的に失っている。 また、沖縄ノートの本件記述(2)のように、「沖縄戦史」という一般の読者 が一般の図書館において容易に閲覧・入手できる書籍の記述を、その「端的 に語るところによれば」と明示的に引用してその表現と一体をなしている場 合、引用書籍の記述を考慮すべきことは明らかである。 上地一史著「沖縄戦史」は渡嘉敷島の集団自決命令は赤松大尉が出したと し、座間味島の集団自決命令は控訴人梅澤が出したと断定的に記述しており、 これを併せて読めば、沖縄ノートの各記述が控訴人梅澤又は赤松大尉を特定 ないし同定するものであることは明白である。 | |||||
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| イ | 被控訴人らの主張に対する反論(028P) | |||||
| (ア) | 被控訴人らは、沖縄ノートの各記述について、最高裁昭和31年7月20 日第二小法廷判決・民集10巻8号1059頁(以下「最高裁昭和31年判 決」という。)を引用し、一般読者の普通の注意と読み方を基準とすれば、 それらが赤松大尉及び控訴人梅澤に対する記載だと同定し得ないことを理由 に、沖縄ノートの各記述による名誉毀損等の不法行為は成立しない旨主張 する。 しかしながら、最高裁昭和31年判決は、「名誉を毀損するとは、人の社 会的評価を傷つけることに外ならない、それ故、所論新聞記事がたとえ精読 すれば別個の意味に解されないことはないとしても、いやしくも一般読者の 普通の注意と読み方を基準として解釈した意味内容に従う場合、その記事が 事実に反し名誉を毀損するものと認められる以上、これをもつて名誉毀損の 記事と目すべきことは当然である。」と判示している。 すなわち、「一般読者の通常の注意と読み方」は、新聞記事等の表現の 「名誉毀損性」の有無に係る判断基準であり、出版物における当該記述が表 現する登場人物が誰かを特定できるかという「同定可能性」の問題に関する 判断基準ではない。被控訴人らの前記主張は、表現の「名誉毀損性」と、表 現の「匿名性」ないし「同定可能性」及び表現の「公然性」という異なる3 つの次元の事柄を混同するものであり、失当である。また、作家柳美里が 知人をモデルに著述した小説「石に泳ぐ魚」の出版による名誉毀損の成否が 争われた「石に泳ぐ魚」事件につき、一審の東京地裁平成11年6月22日 判決・判例時報1691号91頁は、小説「石に泳ぐ魚」の登場人物である 「朴里花」とモデルとなつた知人の原告とを同定しうるか否かにつき、「一 般の読者の普通の注意と読み方」を基準として判断すべきであるという被控 訴人らの前記主張と同様の主張に対し、次のように述べてこれを退けている。 「(省略)」 ちなみに、同判決は、控訴審の東京高裁平成13年2月15日判決・判例 時報1741号68頁及び上告審の最高裁平成14年9月24日判決・判例 時報1802号60頁で維持されている。 沖縄ノートは、昭和45年9月から現時点まで37年間にわたり、30 万部以上が一般の書店などで販売され、多数の読者に読まれており、その中 には、旧軍の関係者や沖縄戦の研究者、そして集団自決に関して記述した他の 書籍を読んだ者など、沖縄ノートの各記述が座間味島と渡嘉敷島の元守備隊 長がそれぞれ控訴人梅澤と赤松大尉を指すものであることを認識し得る不特 定多数の者が存することを否定できない。 したがって、被控訴人らの前記主張は、「石に泳ぐ魚」事件判決における 作家と出版社側の主張と同じく、「表現の名誉毀損性ないし侮辱性の判断基 準と表現の公然性の判断基準とを混同するものであって、採用することがで きない」ことは明らかである。 | |||||
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| (イ) | また、同定情報の資料範囲につき、被告らが引用する東京地裁平成1 5年9月14日判決(乙14)および前橋地裁高崎支部平成10年3月26 日判決(乙15)のいう「一般の読者が社会生活の中で通常有する知識や認 識を基準として、その範囲内」にあるか、若しくは「一般の読者において通 常知り得る事項」であるかという基準に照らしても、当時の「渡嘉敷島」 「座間味島」の守備隊長という公的人事情報という「一定の情報」が与えら れれば、これに基づき、各一人しかいない原告らと一般の読者が知り得る ことは十分であり、また、本件記述(2)に引用されている前記「沖縄戦史」が 同定情報の資料となることは明らかである。 | |||||
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| (ウ) | 小括(029P) 以上のとおり、被告らが主張する「一般の読者の通常の注意と読み 方」基準は、新聞記事等の表現の「名誉毀損性」の有無と係る判断基準であ り、出版物における当該記述が表現する登場人物が誰かを特定できるかとい う「同定可能性」の判断基準ではなく、被告らの主張は、表現の「名誉 毀損性」と、表現の「同定可能性」及び表現の「公然性」という異なる3つ の次元の事柄を混同するものであって失当である。 そして、「同定可能性」の判断規準は、原則として「その表現自体から表 現対象が明らかであったことを要する」が、「当該報道媒体以外の実名報道 が多数に上り、国民の多くが当該事件にかかわる人物の実名を認識した後は、 それが一般の読者の客観的な認識の水準となるから、多くの実名報道と同一 性のある表現であると容易に判明する態様での匿名表現は、匿名性を実質的 に失う」のであり、また、「当該表現が書籍等の記述を明示的に引用し、当 該表現と一体をなしているとみなされる場合には、引用書籍等の記述も考慮 して同定可能性を判断する」ものと解すべきである。 そして、控訴人梅澤及び赤松夫尉が、それぞれ座間味島及び渡嘉敷島の元 守備隊長であり、それぞれの島で生じた集団自決に係る命令を下したと記述 した書籍等が多数あり、赤松大尉の慰霊祭出席をめぐる事件報道が新聞、週 刊誌等で多数なされていたこと、そして本件記述(2)が明示的に引用している 前記「沖縄戦史」に、赤松大尉及び控訴人梅澤の実名が記載されていること からすれば、沖縄ノートの各記述は、控訴人梅澤又は赤松大尉を特定ないし 同定するものである。 | |||||
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| (2) | 被控訴人らの主張(030P) | |||||
| ア | 沖縄ノートの各記述は控訴人梅澤又は赤松大尉を特定ないし同定するもので はないこと | |||||
| (ア) | 沖縄ノートの各記述には、座間味島の守備隊長が自決命令を出したとの記 述も控訴人梅澤を特定する記述もなく、また、渡嘉敷島の守備隊長が自決命 令を出したとの記述も赤松大尉を特定する記述もない。 一般読者の普通の注意と読み方を基準とした場合、沖縄ノートの各記述が 控訴人梅澤及び赤松大尉についてのものと認識されることはない。 | |||||
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| (イ) | 前記東京地裁平成15年9月5日判決は、一般に販売されている雑誌によ る名誉毀損の成否が争われた事件について、「(省略)」と判示し、ある表 現が誰に関してなされたものであるかは「一般読者の普通の注意と読み方」 を基準とすべきであると判断した最高裁昭和31年判決と同様の判断をした。 また、前記前橋地裁高崎支部平成10年3月26日判決は、表現の特定性 について、「(省略)」と判示し、最高裁昭和31年判決と同様の基準を用 いて判断した。 | |||||
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| イ | 控訴人らの主張に対する反論(031P) | |||||
| (ア) | 控訴人らは、最高裁昭和31年判決が示す「一般読者の普通の注意と読み 方」という基準は名誉毀損性の有無に係る基準であって同定可能性に関する 基準ではないと主張し、被控訴人らが、表現の「名誉毀損性」と、表現の 「匿名性」ないし「同定可能性」及び表現の「公然性」という異なる3つの 次元の事柄を混同していると主張する。 しかし、当該表現が誰に関するものであるかは、まさに表現が他人の名誉 を毀損するかという名誉毀損性の問題であって、表現が誰に関する者である かを一般読者の普通の注意と読み方によって判断すべきであるとする主張に は、何の混同もない。 名誉を毀損するというのは、人の社会的評価を傷つけることに外ならない のであり、人の社会的評価が低下するというのは、表現の対象者を評価する 外部の者による当該人物に対する社会的評価が低下するということである。 ある表現が誰かの社会的評価を低下させるか否かは、その「誰か」が特定さ れなければ、当該表現に接した者にとって、表現の対象者の社会的評価が低 下することはあり得ない。つまり、ある表現が他人の名誉を毀損するか(社 会的評価を低下させるか)を判断する際、その表現が誰に関してなされたも のかという表現の特定性の問題と、その表現が人の社会的評価を低下させる かという名誉毀損性の問題は、切り離して判断することは不可能であり。両 者は一体のものである。 したがって、表現の特定性と名誉毀損性は同一の基準で判断されなければ ならない。 また、被控訴人らは、沖縄ノートの各記述が公然性を欠くなどとは主張し ていない。 | |||||
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| (イ) | 控訴人らは、赤松大尉が自決命令を下したとの著作物が出版され。赤松大 尉が渡嘉敷島の慰霊察に出席しようとして沖縄県民の反対運動にあったこと が報道されたことをもって、多くの国民が、渡嘉敷島の元守備隊長が赤松大 尉であるということを認織していたと認めることができ、それが一般の読者 の客観的な認識の水準となっていたと解されると主張する。 しかし、渡嘉敷島の集団自決命令に関して赤松大尉の実名を記載した著作 物が広く国民に読まれていたわけではなく、全国紙で報道された事実もない。 したがって、渡嘉敷島の集団自決命令について記述した著作物が複数発行 されていたとしても、渡嘉敷島の守備隊長が赤松大尉であることが国民の多 くに認識されたとはいえず、渡嘉敷島の守備隊長が赤松大尉であるという認 識が一般読者の客観的水準となつていたとは到底いえない。 沖縄ノートの発行当時に匿名性が実質的に失われていたとする控訴人らの 主張は誤りである。 | |||||
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| (ウ) | 控訴人らが引用する前記知財高裁平成17年11月21日判決は、引用さ れた書籍に人物を特定する記載がある場合に、引用した書籍の人物を特定し ない記述について特定人に対する名誉毀損が成立することを一般的に認めた ものではない。 | |||||