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(6)  沖縄戦に関する文部科学省の立場等(234P)
 証拠(甲B54、58、乙31、75及び76の各1ないし3、77ないし92、
93の1及び2、94ないし96並びに98ないし100、104、乙103)によれ
ば、沖縄戦についての教科書の記載や教科書検定等について、次の事が認めら
れる。
(ア)  家永三郎は、昭和55年度教科書検定において検定済みであった高校日本
史用教科書「新日本史」に、沖縄戦に関して、「沖縄県は地上戦の戦場とな
り、約十六万もの多数の県民老若男女が戦火のなかで非業の死に追いやられ
た。」と記述していたが、この記述を、昭和58年度改訂検定の際、「沖縄
県は地上戦の戦場となり、約十六万もの多数の県民老若男女が戦火のなかで
非業の死をとげたが、そのなかには日本軍のために殺された人も少なくなか
った。」と改めるための改訂検定申請をした。
 これに対し、当時の文部大臣は、沖縄戦における沖縄県民の犠性について
は、沖縄戦の記述の一環として、県民が犠牲になったことの全貌が客観的に
理解できるようにするため、もっとも多くの犠牲者を生じさせた集団自決の
ことを書き加える必要があるとした上で、そのような記述がない家永三郎の
前記申請に係る記述は「全体の扱いは調和がとれており、特定の事項を特別
に強調し過ぎているところはないこと」という検定基準に抵触するとの検定
意見を付した。
 家永三郎は、文部省の修正の求めに応じ、最終的に、「沖縄県は地上戦の
戦場となり、約十六万もの多数の県民老若男女が、砲爆撃にたおれたり、集
団自決に追いやられたりするなど、非業の死をとげたが、なかには日本軍の
ために殺された人びとも少なくなかった。」との記述に修正した。

(イ)  その後、家永三郎は、国に対し、昭和59年、教科書の記述の修正を強制
されたことを理由として、損害賠償を求める訴訟を提起した(家永教科書検
定第3次訴訟第1審)。この訴訟は最高裁まで争われ、その最高裁判決(最
高裁平成9年8月29日大法廷判決・民集51巻7号2921頁)は、沖縄
戦について、原審(東京高裁平成5年10月20日判決・判例時報1473
号3頁)の認定した事実として、昭和58年度改訂検定「当時の学界では、
沖縄戦は住民を全面的に巻き込んだ戦闘であって、軍人の犠牲を上回る多大
の住民犠牲を出したが、沖縄戦において死亡した沖縄県民の中には、日本軍
よりスパイの嫌疑をかけられて処刑された者、日本軍あるいは日本軍将兵に
よって避難壕から追い出され攻撃軍の砲撃にさらされて死亡した者、日本軍
の命令によりあるいは追い詰められた戦況の中で集団自決に追いやられた者
がそれぞれ多数に上ることについてはおおむね異論がなく、その数について
は諸説あって必ずしも定説があるとはいえないが、多数の県民が戦闘に巻き
込まれて死亡したほか、県民を守るべき立場にあった日本軍によって多数の
県民が死に追いやられたこと、多数の県民が集団による自決によって死亡し
たことが沖縄戦の特徴的な事象として指摘できるとするのが一般的な見解で
あり、また、集団自決の原因については、集団的狂気、極端な皇民化教育、
日本軍の存在とその誘導、守備隊の隊長命令、鬼畜米英への恐怖心、軍の
住民に対する防諜対策、沖縄の共同体の在り方など様々な要因が指摘され、戦
闘員の煩累を絶つための崇高な犠牲的精神によるものと美化するのは当たら
ないとするのが一般的であった」と指摘し、「右事実に照らすと、本件検定
当時の学界においては、地上戦が行われた沖縄では他の日本本土における戦
争被害とは異なった態様の住民の被害があったが、その中には交戦に巻き込
まれたことによる直接的な被害のほかに、日本軍によつて多数の県民が死に
追いやられ、また、集団自決によって多数の県民が死亡したという特異な事
象があり、これをもって沖縄戦の大きな特徴とするのが一般的な見解であっ
たということができる。」「本件検定当時の学界の一般的な見解も日本軍に
よる住民殺害と集団自決とは異なる特徴的事象としてとらえていたことは明
らかである。」と判示した(当裁判所に顕著な事実である。)。

(ア)  文部科学省は、平成17年度教科書検定においては、沖縄戦の集団自決に
関する記述について検定意見を付さなかったが、平成19年3月30日、平
成18年度教科書検定において、7冊の申請教科書に対し、沖縄戦の集団自
決に関する記述について、日本軍による自決命令や強要が通説となっている
が、近年の状況を踏まえると命令があったか明らかではない旨の検定意見を
付した。その結果、例えば、「山川出版社日本史A」の「島の南部では両軍
の死闘に巻き込まれて住民多数が死んだが、日本軍によって壕を追い出され、
あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった。」との記載が「島の南部で
は両軍の死闘に巻き込まれて住民多数が死んだが、その中には日本軍によっ
て壕を追い出されたり、自決した住民もいた。」と改められた。なお、壕か
らの住民追出し、住民に対する手榴弾の配布、スパイ容疑での住民殺害など
に対する軍の関与については、検定意見は付されなかった。

(イ)  銭谷眞美文部科学省初等中等教育局長(以下「銭谷初等中等教育局長」と
いう。)は、平成19年4月11日、衆議院文部科学委員会において、座間
味島及び渡嘉敷島の集団自決について、日本軍の隊長が住民に対し自決命令
を出したとするのが従来の通説であった、前記検定意見は、この通説につい
て当時の関係者から色々な供述、意見が出ていることを踏まえて、軍の命令
の有無についてはいずれとも断定できないとの趣旨で付したものであり、日
本軍の関与を否定するものではない旨の発言をした。
 また、伊吹文明文部科学大臣は、同日、前記委員会において、前記検定意
見について、日本軍の強制があった部分もあるかもしれない、当然あったか
もしれない、なかったとは言っていない、日本軍の強制がなかったという記
述をするよう要求するものではない旨発言した。

(ウ)  布村幸彦文部科学省大臣官房審議官(以下「布村審議官」という。)は、
同月24日の決算行政監視委員会第一分科会において、座間味島及び渡嘉敷
島の集団自決について、従来、 日本軍の隊長が住民に対し自決命令を出した
とするのが通説であった旨発言した。

(エ)  銭谷初等中等教育局長は、翌25日の教育再生特別委員会においても、前
記(イ)と同様の発言をした。

(オ)  平成18年度教科書検定については、座間味村議会、渡嘉敷村議会、沖縄
県議会などが、文部科学省に対し、前記イ(ア)の検定意見の撤回を求める意見
書を提出し、このことが報道されたこともあり、集団自決に関する論争が起
こった。
 これに対し、布村審議官は、同年6月13日、軍の関与、責任は確かにあ
る、部隊長による直接の命令があったかどうかは断定できないとの意見で審議
会の委員の意見が一致した、検定意見の撤回は困難である旨述べた。

(ア)  その後、平成18年度教科書検定を受けた高等学校日本史教科書について、
平成19年11月に6発行社8点の教科書の沖縄戦の記載について訂正申請がな
された。これを受けて、文部科学大臣は、教科用図書検定調査審議会に対し専門
的、学術的な見地からの調査審議を依頼した。そこで、同審議会の日本史小委員
会は9名の専門家から意見聴取を行うなどして審議した結果、次のような趣旨の
「(調査審議に当たっての)日本史小委員会としての基本的とらえ方」が公表され
た。すなわち、集団自決は、太平洋戦争末期の沖縄において、住民が戦闘に巻き
込まれるという異常な状況の中で起こったものであり、その背景には、当時の教
育・訓練や感情の植え付けなど複雑なものがある、また、集団自決が起こった状
況を作り出した原因にも様々なものがあると考えられる、18年度検定で許容され
た記述に示される、軍による手榴弾の配布や壕からの追い出しなど、軍の関与は
その主要なものととらえることができる、一方、それぞれの集団自決が、住民に対
する直接的な軍の命令により行われたことを示す根拠は、現時点では確認できて
いない、他方で、住民の側から見れば、当時の様々な背景・要因によって自決せ
ざるを得ないような状況に追い込まれたとも考えられる、集団自決については、沖
縄における戦時体制、さらに戦争末期の極限的な状況の中で、複合的な背景・要
因によって住民が集団自決に追い込まれていった、ととらえる視点に基づいてい
ることが、生徒の沖縄戦に関する理解を深めることに資するものとなると考える、
という趣旨のものである。(甲B104、乙103)

(イ) そして、最終的に承認が適当とされた教科書の記載訂正文は、次のようなもの
である。
 「島の南部では両軍の死闘に巻き込まれて住民多数が死んだが、そのなかに
は日本軍によって壕を追い出されたり、あるいは集団自決に追い込まれた住民
もあった。」

 「このなかには、スパイ容疑や作戦の妨げになるなどの理由で、日本軍によっ
て殺された人もいた。日本軍は住民の投降を許さず、さらに戦時体制下の日本
軍による住民への教育・指導や訓練の影響などによって、「集団自決」に追い
込まれた人もいた。」

 「日本軍が多くの県民を防衛隊などに動員したうえに、生活の場が戦場となっ
たため、県民の犠牲は大きく、戦闘の妨げやスパイ容疑を理由に殺された人も
いた。さらに、日本軍の関与によって集団自決に追い込まれた人もいるなど、
沖縄戦は悲惨をきわめた。(側注)最近では、集団自決について、日本軍によっ
てひきおこされた「強制集団死」とする見方が出されている。」

 「そのなかには、日本軍によって「集団自決」AにおいこまれたりB、スパイ容
疑で虐殺された一般住民もあった。(側注)Aこれを「強制集団死」とよぶことが
ある。B敵の捕虜になるよりも死を選ぶことを説く日本軍の方針、一般の
住民に対しても教育・指導されていた。(囲み)沖縄渡嘉敷島「集団自決」・・日
本軍はすでに三月二十日ころには、三十名ほどの村の青年団員と役場の職員
に手榴弾を二こずつ手渡し、「敵の補虜になる危倹性が生じたときには、一こは
敵に投げ込みあと一こで自決しなさい」と申し渡したのです。・・いよいよ二十
八日の運命の日がやってきました。およそ一千名の住民は一か所に集結させ
られました。玉砕(自決)のためです。死を目前にしながら、母親たちは子どもた
ちに迫っている悲劇的死について、泣きながらさとすように語り聞かせるのでし
た。もちろん幼い子どもたちには、共に死を遂げることの意味がわかるはずもあ
りまぜん。・・私たち兄弟も、男性として家族に対する責任意識があったと思
います。自分たちを生んでくれた母親に最初に手をかけたとき、私は悲痛のあ
まり号泣しました。ひもや石を使ったと思います。愛するがゆえに妹と弟の命も
絶っていきました。・・」

 「また、軍・官・民一体の戦時体制のなかで、捕虜になることは恥であり、米軍
の捕虜になって悲惨な目にあうよりは自決せよ、と教育や宣伝を受けてきた住
民のなかには、日本軍の関与のもと、配付された手榴弾などを用いた集団自決
に追い込まれた人々もいた。」

 「戦闘の妨げやスパイ容疑を理由に殺された人もいた。さらに、日本軍の関与
によって集団自決に追いこまれた人もいるなど、沖縄戦は悲惨を極めた。(脚
注)・・また最近では集団自決について、日本軍によってひきおこされた「強制集
団死」とする見方が出されている。」

 「また日本軍により、戦闘の妨げになるなどの理由Cで県民が集団自決に追い
やられたり、幼児を殺されたり、スパイ容疑をかけられるなどして殺害されたり
する事件が多発した。(注)C住民は米軍への恐怖心をあおられたり、捕虜とな
ることを許されなかったり、軍とともに戦い軍とともに死ぬ(「共生共死」)ことを
求められたりもした。」

 「(囲み)・・、日本軍は、県民を壕から追い出したり、スパイ容疑で殺害したりし
た。また、日本軍は、住民にたいして米軍への恐怖心をあおり、米軍の捕虜と
なることを許さないなどと指導したうえ、手榴弾を住民にくばるなどした。このよ
うな強制的な状況のもとで、住民は、集団自害と殺しあいに追い込まれた。これ
らの犠牲者はあわせて800人以上にのぼった。」

(ウ)  以上のような日本史小委員会の基本的とらえ方及び承認された教科書の記述
は、もとより今後とも学問と言論の場で論議され、再批判されてゆくものであるとし
ても、その公開された調査審議の過程(甲B104)に照らせば、それまでの集団自
決についての研究成果を反映したもので、歴史学者らの大方の見方あるいは最
大公約数的な認識に副ったものと解される」

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