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 真実性ないし真実相当性について(その2)(252P)
 (争点C、 D及び当審補充主張イ、 ウ)
(1)  控訴人らは、本件各記述についての真実性の証明の対象は、
「沖縄ノート」の記述でいえば「沖縄の民衆の死を抵当にあ
がなわれる本土の日本人の生」という論評を示すことのでき
る中身を持った命令(「無慈悲直接隊長命令説」)でなけれ
ばならず、手榴弾の交付や軍官民共生共死の一体化の強制的
雰囲気や日本軍の指示・強制などの背景事情を広義の自決命
令に結びつけたとしても、それは本件各記述の真実性の証明
とはならないと主張する。しかし、それは、論評の中身とそ
の前提とされた事実とを混同するものであってにわかに採用
できない。もっとも、先に名誉毀損性の有無に関して検討し
たとおり、各著者の意図は別としても、その記述自体からは、
控訴人らが主張するように、部隊が生き延びるために住民の
犠牲を強制する非情かつ無慈悲な部隊長の自決命令が直接な
されたことを摘示するものと読みとることも可能であり、昭
和45年ころの一般の読者の普通の読み方もそのようなもの
が多く、グラフ誌や週刊誌などが悲惨な集団自決を興味本位
に取り上げ、その責任を非情無慈悲で異常な個人の命令に帰
し、その個人を人非人・人面獣心・極悪無惨な鬼隊長などと
非難攻撃するという風潮が一般であったものと考えられる
(甲B1、2、5、18)。本件各記述の真実性の証明の対
象は、その出版当時のそのような一般の読者の読み方に従
って、やはり、控訴人らのいう無慈悲隊長直接命令(以下これ
を「直接命令」と路称する。)の有無とするのが結論的には
相当である。真実相当性の証明の対象も同様である(ただし、
後述のように、現時点での出版継続の不法行為性を判断する
に際しては、その後の事情も考慮するのが相当である。)。

(2)  そして、前掲のような資料を総合して検討すると、当裁判
所は、日本軍が集団自決に深く関わり住民を集団自決に追い
込んだものであってそれを総体としての日本軍の命令と評価
する見解(評価としての日本軍の命令。以下これを「評価た
る軍命令」と略称する。)もあり得るものと考えるが、それ
は組織としての日本軍の責任をいうものであり、それがその
まま個人としての責任や具体的行動を意味するものではない。
また、実際に行われたそれぞれの集団自決には複数の要因が
複合して寄与していることを直視すべきものであって、一律
に軍命令などと単純化して語られるべきものではないと考え
られる(甲B5、37、74、75、76、91、104、
137、138)。しかし、以下に原判決を補正引用して示
すとおり、集団自決に日本軍が深く関与しそれによって住民
が集団自決に追い込まれたという要素は否定しがたいところ
である。しかしそうではあっても、ここで真実性又は真実相
当性の証明の対象とされているのは、前述のように、「評価
たる軍命令」ではなく、非道無慈悲な隊長の「直接命令」で
あり、「評価たる軍命令」が認められたからといって直ちに
「直接命令」が肯定されるものではない。以下に補正・引用
する原判決の説示が示す手榴弾が使われたことや、日本軍の
いるところでしか集団自決が生じていないことや、日本軍が
防諜に意を用い住民に捕虜になることを許さなかったことな
どは、「評価たる軍命令」の論証につながるものではあって
も、直ちに具体的な「直接命令」の十分な証明となるもので
はない。この趣旨での控訴人らの主張は理由がある(ただし、
「直接命令」の不存在が「評価たる軍命令」の不存在を意味
するとか、「評価たる軍命令」が「直接命令」の論点すり替
えだなどというとすれば賛成しがたい。)。そして、以上の
ような観点からすると、本件証拠上具体的な各「直接命令」
を証するに足る的確な証拠はないとするのが素直である。
 しかし、原判決もその説示で縷々検討するとおり、反対に、
本件証拠上各「直接命令」は無かったと断定できるかといえ
ば、それもできないのである。敵が上陸した場合は玉砕する、
捕虜になることは許さないということが日本軍の大きな方針
であったとすれば、それに従って部隊長として自決の指示を
するのはむしろ避けられないのであって、軍隊組織であれば
それは命令を意味するといえる。現に、梅澤隊長の場合も、
村の指導者らが揃ってかねて言われてきた軍官民共生共死の
玉砕の方針に文字通りに従って「軍の足手まといにならぬよ
う」集団自決を申し出てきたときには、個人としての逡巡を
みせてはいるが、結局、その場を引き下がらせただけで、軍
の玉砕(自決)の方針を撤回してはいないのである。そこで、
助役らは、日本軍ひいては梅澤隊長の意を体して自決を敢行
したともいうことができるのである(村長以下村の指導者ら
はこのとき全員が自決している。)。また赤松大尉の場合も、
住民を基地付近の西山に集結させ、そこへ日本軍の指揮下に
ある防衛隊員らが多数の手榴弾を持ち込んで自決が行われて
いるのであるし、同大尉が捕虜になったりした住民たちへの
幾度もの処刑をためらった形跡はなく、かねて米軍上陸の際
には住民を玉砕させるという方針を取っていたことは十分考
えられ、それを否定するに足る的確な証拠はない。そうだと
すれば、その具体的な形はともかく、赤松大尉がこの時の自
決を命じていないと断定することもできない。
 そうすると、結局、「直接命令」についても、本件証拠上
は、その有無を断定するには至らないというほかはない。し
たがって、挙証責任に従えば、本件各記述については、本件
証拠上その真実性の証明は無いということになる。
 ちなみに、先に見た教科用図書検定調査審議会第2部会
日本史小委員会の基本的とらえ方においても、集団自決が
起こった状況を作り出した様々な要因のうち軍の関与はそ
の主要なものととらえることかできるが、一方、それぞれ
の集団自決が住民に対する直接的な軍の命令により行われ
たことを示す根拠は、現時点では確認できていない、他方
で、住民の側から見れば当時の様々な背景・要因によって
自決せざると得ないような状況に追い込まれたとも考えら
れるとして、直接命令の有無については現時点では確認に
至らないとされている。

(3)  以上のような判断は、その一部を以上の説示に従つて改
めるほかは、おおむお原判決が第4・5(8)イ及びウで説示
するとおりであり、また、本件各書籍の執筆に当たっての
取材状況は同じく第4・5(7)の説示のとおりであるから、
これら(原判決199頁下から5行目から201頁12行
目及び202頁13行目から209頁7行目まで)を引用
する。なお、第4・5(8)イ及びウの部分は以下に再掲して
それを補正する形式で当裁判所の判断を示す(引用の方式
については10頁に示した方式により、当裁判所が付加し
あるいは判断を改めた部分等は、区別しやすいようにゴシ
ック体
で表示し、削除した部分は・・・で示す。)。

 控訴人らは、原判決の説示に対し、当審の補充主張にお
いて、「母の遺したもの」(甲B5)、「座間味村史」
(乙50)、「潮だまりの魚たち」(甲B59)、「沖縄
県史第10巻」(乙9)などに採録され、あるいは「自叙
傳」(乙28)や陳述書(乙52、62)、証言などで述
べられた、宮城初江、宮村文子、宮平春子、宮里美恵子、
宮村盛永、上洲幸子、宮里育江、中村尚宏、宮平(宮里)
米子、宮里トメ、中村春子、金城重明、知念朝睦、その他
住民らの述べる、兵士らの住民への励まし、その身を案じ
無事を喜んだこと、怪我への気遣い、衛生兵の治療、食料
の給付、米軍への恐怖、自決決断の経緯などのエピソード
を挙げて、自決命令がなかったことの証拠であると縷々主
張する。これらの個々の具体的な供述の意義を一律に評価
することは相当でないが、それらのエピソードが、「鉄の
暴風」以来一面的にいわれてきた無慈悲隊長直接命令にそ
ぐわないもので、その不存在を示唆する面のあることは首
肯できなくもない。しかし、それらと自決命令の存在自体
が相容れないものとまでは解されず、以下に補正して引用
する原判決の説示する事実や前掲の数々の史料をも考え合
わせると、それらを総合してみても、直接命令が無かった
ことが断定できるとまでは到底いえない(ちなみに、控訴
人らも、いうところの「軍の善き関与」や「軍の関与なき
自決」について、それらは、自決が隊長の命令で生じたも
のでないことを強く示唆している[控訴人準備書面(2)]と
いうにとどめている。)。また、控訴人らの指摘する古波
蔵蓉子、大城良平の体験や金城武徳の話などが、一方的な
赤松大悪人説への疑問につながるものとしても、これらに
より赤松自決命令が無かったとまでいえるものではない。
 その他、控訴人らの当審における補充主張を検討してみ
ても、以下に原判決を補正する形で示す判断を、変更する
には至らない。
【原判決の引用】
第4・5(8) 座間味島における集団自決について(258P)
(ア)  座間味島では、第4・5(1)イ(ア)のとおり、昭和20年3月26日、忠魂碑前
に集合した多数の住民が集団で死亡したと認められ、その際に、軍事
装備である手榴弾が利用されたことは、第4・5(2)ア(ア)で掲げた証拠から認め
ることができる。
 この集団自決を控訴人梅澤が命じたとの記載のある「鉄の暴風」、「秘録 
沖縄戦史」、「沖縄戦史」等には、その取材源等は明示されておらず、山川泰
邦のように、その作者が死亡しているような書籍については、座間味島で集団
自決が発生して相当の年月が発生している現在では、その取材源等を確認する
ことは困難で・・・ある。
 しかしながら、第4・5(2)ア(ア)で判示したとおり、「沖縄県史 第10巻」、
「座間味村史下巻」、「沖縄の証言」には、初枝始めとして、宮里とめ、
宮里美恵子、宮平初子、宮平カメ及び高良律子、宮村文子、宮平ヨシ子らの集
団自決に関する体験談の記述があるほか、本件訴訟を契機とし、宮平春子、上
洲幸子、宮里育江の体験談が新聞報道されたり、本訴に陳述書として提出され
たりしている。そして、こうした宮里とめなど沖縄戦の体験者らの体験談等は、
いずれも自身の実体験に基づく話として具体性、迫真性を有するものといえ、
また、多数の体験者らの供述が、昭和20年3月25日の夜に忠魂碑前に集合
して玉砕することになったという点で合致しているから、その信用性を相互に
補完し合うものといえる。また、こうした体験談の多くに共通するものとして、
日本軍の兵士から米軍に捕まりそうになった場合には自決を促され、そのため
の手段として手榴弾を渡されたことを認めることができる (手榴弾の交付に関
する控訴人梅澤の供述が措信し難いことは、第4・5(5)ウ(イ)で判示したとおり
である。)。

(イ)  沖縄に配備された第三二軍が防諜に意を用いていたことは、第4・5(1)ア(ア)
で判示したとおりであり、このことは、第4・5(1)ウで判示した日本軍による
住民に対する加害行為に端的に表れている。すなわち、@渡嘉敷島において、
防衛隊員であった国民学校の大城徳安訓導が渡嘉敷島で身寄りのない身重の婦
人や子供の安否を気遣い、数回部隊を離れたため、敵と通謀するおそれがある
として、これを処刑したこと、A赤松大尉が集団自決で怪我をして米軍に保護
され治療を受けた二名の少年が米軍の庇護のもとから戻ったところ、米軍に通
じたとして殺害したこと、B赤松大尉が米軍の捕虜となりその後米軍の指示で
投降勧告にきた伊江島の住民男女6名に対し、自決を勧告し、処刑したことは、
他の要因も考え得るものの、沖縄に配備された第三二軍が防諜に意を用いてい
たことに通じる。この点にかかる日本軍の沖縄各地における住民をスパイ視して
の殺害、米軍保護下の住民多数の虐殺等について、教科書の記述変更問題等を機
に新たに多くの証言がなされたとして報道されている(乙107(枝番を含む)、111な
いし114(枝番を含む))

 そして、第4・5(1)イ(エ)で判示した第二戦隊の野田隊長が昭和20年2月8
日に慶留間島の住民に対して「敵の上陸は必至。敵上陸の暁には全員玉砕ある
のみ」と訓示した行為や第4・5(2)ア(ア)kに記載した米軍の「慶良間列島作戦
報告書」の座間味村の状況についての「明らかに、民間人たちは捕らわれない
ために自決するように指導(勧告)されていた」との記述も、前同様、他の要
因も考え得るものの、慶良間列島に駐留する日本軍が米軍が上陸した場合には
住民が捕虜になり、日本軍の情報が漏れることを懸念したとも考えることがで
き、沖縄に配備された第三二軍が防諜に意を用いていたに通じる(「慶良間列
島作戦報告書」の訳の問題に関しては、第4・5(4)エで判示したとおりであっ
て、控訴人ら主張のように訳しても、以上の判断に差異を来さない。)。

(ウ)  控訴人梅澤が率い、座間味島に駐留した第一戦隊の装備は、「機関短銃九の
ほか、各人拳銃(弾薬数発)、軍刀、手榴弾を携行」というものであり、慶良
間列島が沖縄本島などと連絡が遮断されていたから、食糧や武器の補給が困難
な状況にあったと認められ、装備品の殺傷能力を比較すると手榴弾は極めて貴
重な武器であったと認められることは、第4・5(5)ウ(イ)で判示したとおりであ
る。
 そして、 控訴人梅澤が本人尋問において村民に渡せる武器、弾薬はなかった
と供述していることも、第4・5(5)ウ(イ)で判示したとおりであり、赤松大尉が
率いた第三戦隊に関する証言ではあるが、皆本証人が手榴弾の交付について
「恐らく戦隊長の了解なしに勝手にやるようなばかな兵隊はいなかったと思い
ます。」と証言していることは、軍の規律、第一戦隊及び第三戦隊に共通する
装備の乏しさを考えると、等しく控訴人梅澤にも妥当するものと考えられる。

(エ)  こうした事実に加えて、第4・5(1)イ(エ)で判示したとおり、座間味島、渡嘉
敷島を始め、慶留間島、沖縄本島中部、沖縄本島西側美里、伊江島、読谷村、
沖縄本島東部の具志川グスクなどで集団自決という現象が発生したが、以上の
集団自決が発生した場所すべてに日本軍が駐屯しており、日本軍が駐屯しなか
った渡嘉敷村の前島では、集団自決は発生しなかったことを考えると、集団自
決については日本軍が深く関わったものと認めるのが相当であつて、第4・5
(1)アで判示した事実を踏まえると、沖縄においては、第三二軍が駐屯しており、
その司令部を最高機関として各部隊が配置され、第三二軍司含部を最高機関と
し、座間味島では控訴人梅澤を頂点とする上意下達の組織であったと認められ
るから、座間味島における集団自決に控訴人梅澤が関与したことは、あり得る
ことである。なお、控訴人梅澤が、25日夜本部壕で自決を申し出た村幹部らに対
し、玉砕方計を撒回していないことは、先に認定したとおリである。

(オ)  もっとも、前記のとおり、「沖縄県史 第10巻」、「座間味村史 下巻」、
「沖縄の証言」等に体験談を寄せている宮里とめらの集団自決の体験者の供述
等から、控訴人梅澤による自決命令の伝達経路等は判然とせず、控訴人梅澤の
言辞を直接聞いた体験者を本件全証拠から認められない以上、前記のとおり、
取材源等は明示されていない「鉄の暴風」、「秘録 沖縄戦史」、「沖縄戦
史」等から、直ちに「太平洋戦争」にあるような「老人・こどもは村の忠魂碑
の前で自決せよ。」との控訴人梅澤の命令それ自体(当裁判所が先に述べた「直
接命令」)までを認定することには無理がある 。

(カ)  しかしながら、以上認定したように、具体的な形はともかく、控訴人梅澤が座
間味島における集団自決に関与したことはあり得ると考えられることに加え、第
4・5(6)で検討したような教科用図書検定調査審議会第2部日本史小委員会の
検討結果
、第4・5(2)ア(ア)記載の諸文献の存在、そうした諸文献等についての
信用性に関する第4・5(4)の認定、判断、第4・5(7)記載の家永三郎及び被控
訴人大江の本件各書籍の取材状況等を踏まえると、控訴人梅澤が座間味島の住
民に対し「太平洋戦争」記載の内容の自決命令を発したことを直ちに真実と断
定できないとしても、この事実については、事後的に検討してみても、合理的資
料若しくは根拠があると評価できものであって、本件各書籍の各発行時におい
て、家永三郎及び被控訴人らが前記事実を真実であると信じるについての相当
の理由があったものと認めるのが相当である・・・ 。
渡嘉敷島における集団自決について(261P)
(ア)  渡嘉敷島では、第4・5(1)イ(イ)のとおり、昭和20年3月28日、西山陣地
北方の盆地に集合した多数の住民が集団で死亡したと認められ、その際に、軍
事装備である手榴弾が利用されたことは、第4・5(2)イ(ア)で掲げた諸文献で
ある書証から認めることができる。
 この集団自決を赤松大尉が命じたとの記載のある「鉄の暴風」、「秘録 沖
縄戦史」、「沖縄戦史」等には、その取材源等は明示されていないことなどは、
座間味島における集団自決について、先に判示したのと同様である。
 渡嘉敷島における集団自決についても、渡嘉敷村長であった米田惟好、金城
証人、富山真順、吉川勇助らの集団自決の体験者の体験談等があり、それらに
ついては控訴人らの指摘するような問題点がないとはいえないものの、その全体的
な信用性を疑うまでの理由は無い。

(イ)  沖縄に配備された第三二軍が防諜に意を用いていたことは、第4・5(1)ア(ア)
で判示したとおりであり、第4・5(1)ウで判示した赤松大尉率いる第三戦隊の
渡嘉敷島の住民らに対する加害行為は、そうした防諜行為に通じ、第4・5(1)
イ(エ)で判示した第二戦隊の野田隊長の言動、第4・5(2)ア(ア)kに記載した米軍
の「慶良間列島作戦報告書」の記載も、前同様、他の要因も考え得るものの、
慶良間列島駐留の日本軍が米軍が上陸した場合には住民が捕虜になり、日本軍
の情報が漏れることを懸念したとも考えることができ、沖縄に配備された第三
二軍が防諜に意を用いていたに通じることも先に判示したとおりである。
 第4・5(1)イ(イ)で判示したとおり、渡嘉敷島における集団自決は、昭和20
年3月27日に渡嘉敷島に上陸した翌日である同月28日に赤松大尉の
西山陣地北方の盆地への集合命令の後に発生しており、第4・5(1)ウで判示し
た赤松大尉率いる第三戦隊の渡嘉敷島の住民らに対する加害行為を考えると、
赤松大尉が上陸した米軍に渡嘉敷島の住民が捕虜となり、日本軍の情報が漏洩
することをおそれて自決命令を発したことがあり得ることは、容易に理解でき
る。赤松大尉は、第4・5(1)ウで判示したとおり、防衛隊員であった国民学校
の大城徳安訓導が渡嘉敷島で身寄りのない身重の婦人や子供の安否を気遣い、
数回部隊を離れたため、敵と通謀するおそれがあるとして処刑しているところ、
これに反し、米軍が上陸した後、手榴弾を持った防衛隊員が西山陣地北方の盆
地へ集合している住民のもとへ赴いた行動を赤松大尉が容認したとすれば、赤
松大尉が自決命令を発したことが一因ではないかと考えるのは自然である。

(ウ)  赤松大尉が率い、渡嘉敷島に駐留した第三戦隊の装備は、証拠(乙55)に
よれば、「機関短銃五(弾薬六〇○○発)のほか、各人拳銃(弾薬一銃につき
四発)、軍刀、手榴弾を携行」であったと認められ、慶良間列島が沖縄本島な
どと連絡が遮断されていたから、食糧や武器の補給が困難な状況にあったと認
められ、装備品の殺傷能力を比較すると手榴弾は極めて貴重な武器であったと
認められることは、第4・5(5)ウ(イ)で判示のと同様である。
 そして、第三戦隊に属していた皆本証人が手榴弾の交付について「恐らく戦
隊長の了解なしに勝手にやるようなばかな兵隊はいなかったと思います。」と
証言していることは、先に判示しているとおりであり、手榴弾が集団自決に使
用されている以上、その具体的な形は別として、赤松大尉が集団自決に関与して
いることは、あり得ることである。

(エ)  こうした事実に加えて、先に座間味島における集団自決に関して判示したと
おり、沖縄県で集団自決が発生した場所すべてに日本軍が駐屯しており、日本
軍が駐屯しなかった渡嘉敷村の前島では、集団自決は発生しなかったことを考
えると、集団自決については日本軍が深く関わったものと認めるのが相当であ
って、第4・5(1)アで判示した事実を踏まえると、沖縄においては、第三二軍
が駐屯しており、その司令部を最高機関として各部隊が配置され、第三二軍司
令部を最高機関とし、渡嘉敷島では赤松大尉を頂点とする上意下達の組織であ
ったと認められるから、その具体的な形は別としても、渡嘉敷島における集団自
決に赤松大尉が関与したことは、あり得ることである。

(オ)  もっとも、渡嘉敷島における集団自決の体験者の体験談等から赤松大尉によ
る自決命令の伝達経路等は判然とせず、赤松大尉の下記の命令を直接聞いた体
験者を本件全証拠から認められないことは、座間味島における集団自決と同様
である上、前記のとおり、取材源等は明示されていない「鉄の暴風」、「秘録
 沖縄戦史」、「沖縄戦史」等から、直ちに「沖縄ノート」にあるような「部
隊は、これから米軍を迎えうち長期戦に入る。したがって住民は、部隊の行動
をさまたげないために、また食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せ
よ」との赤松大尉の命令の内容それ自体(当裁判所が先に述べた「直接命令」)ま
でを認定することには無理があることも、座間味島における集団自決における
控訴人梅澤の命令と同様である。

(カ)  しかしながら、(ウ)、(エ)で認定したように、具体的な形は別としても、赤松大
尉が渡嘉敷島における集団自決に関与したことはあり得ると考えられることに
え、第4・5(6)で検討したような教科用図書検定調査審議会第2部日本史小委
員会の検討結果
、第4・5(2)イ(ア)記載の諸文献の存在、そうした諸文献等につ
いての信用性に関する第4・5(4)の認定、判断、第4・5(7)イ記載の被控訴人
大江の沖縄ノートの取材状況等を踏まえると、赤松大尉が渡嘉敷島の住民に対
し「沖縄ノート」にあるような内容の自決命令を発したことを直ちに真実と断
定できないとしても、この事実については、事後的に検討してみても、合理的資
料若しくは根拠があると評価できるから、「沖縄ノート」の各発行時に
おいて、被控訴人らが前記事実を真実であると信じるについての相当の理由が
あったものと認めるのが相当である ・・・。

 以上のとおり、控訴人梅澤及び赤松大尉が座間味島及び渡嘉敷島の住民に対
しそれぞれ本件各書籍にあるような内容の具体的な直接の自決命令(「直接命令」)に
限れば、これを出したことを真実と断定できないとしても、これらの事実につい
ては合理的資料又は根拠があるといえるから、本件各書籍の各発行時・・・におい
て、被控訴人らが前記事実を真実であると信じるについての相当の理由があった
ものと認められ、被控訴人らによる控訴人梅澤及び赤松大尉に対する名誉毀損の
不法行為は成立しない。

(4)   小括(264P)
 以上の次第で、本件各記述については、真実性の証明がある
とはいえないが、これを真実と信ずるについて相当な理由があ
ったと認められるから、名誉毀損の不法行為は成立しない。

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