| 8 | 公正な論評性の有無(原審争点E)について(264P) この点についても、一部の判断を改め、補足するほかは、お おむね原判決が「事実及び理由」の「第4 当裁判所の判断」 の6項において説示するとおりである。そこで、これを以下に 引用し、それを補正する形式で当裁判所の判断を示すこととす る(引用の方式にっいては10頁に示した方式により、当裁判 所が付加しあるいは判断を改めた部分等は、区別しやすいよう にゴシック体で表示する。)。 | |||
| 【原判決の引用】 | ||||
| 第4・6 | 争点E(公正なる論評性の有無)について(265P) | |||
| (1) | 第2・2(4)イのとおり、沖縄ノートは、被控訴人大江が、沖縄が本土のために 犠性にされ続けてきたことを指摘し、その沖縄について「核つき返還」などが議 論されていた昭和45年の時点において、沖縄の民衆の怒りが自分たち本土の 日本人に向けられていることを述べ、「日本人とはなにか、このような日本人では ないところの日本人へと自分をかえることはできないか」との自問を繰り返し、 日本人とは何かを見つめ、戦後民主主義を問い直したものである。 被控訴人大江も、第4・4(2)イで判示したとおり、本人尋問において、@日本 の近代化から太平洋戦争に至るまで本土の日本人と沖縄の人たちとの間にどのよ うな関係があったかという沖縄と日本本土の歴史、A戦後の沖縄が本土と異なり 米軍政下にあり、非常に大きい基地を沖縄で担っているという状態であったこと を意識していたかという反省、B沖縄と日本本土との間のひずみを軸に、日本人 は現在のままでいいか、日本人がアジア、世界に対して普遍的な国民であること を示すためにはどうすればよいかを自分に問いかけ、考えることが沖縄ノートの 主題である旨供述している。また、赤松大尉のことを沖縄ノートで取り上げたこ とについて、被控訴人大江が本人尋問で「私は、今申しました第2の柱の中で説 明いたしましたけれども、私は新しい憲法のもとで、そして、この敗戦後、回復 しそして発展していく、繁栄していくという日本本土の中で暮らしてきた人間で す。その人間が沖縄について、沖縄に歴史において始まり、沖縄戦において最も 激しい局面を示し、そして戦後は米軍の基地であると、そして憲法は認められて いない、その状態においてはっきりあらわれている本土と沖縄の間のギャップ、 差異、あるいは本土からの沖縄への差別と、沖縄側から言えば沖縄の犠牲という ことをよく認識していないと。しかし、そのことが非常にはっきり、今度のこの 渡嘉敷島の元守備隊長の沖縄訪問によって表面化していると、そのことを考えた 次第でございます。」と供述していることは、第4・4(2)イのとおりである。 | |||
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| (2) | ア | 第2・2(3)イのとおり、沖縄ノートの各記述を見ると、「自己欺瞞と他者へ の瞞着の試み」「人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊の まえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう」「かれのペテン」「屠殺 者」「およそ正視に耐えぬ歪んだ幻想をまでもいだきえたであろう。このような エゴサントりクな希求につらぬかれた幻想にはとめどがない」「およそ人間のな しうるものと思えぬ決断」「かれはじつのところ、イスラエル法廷におけるアイ ヒマンのように、沖縄法廷で裁かれてしかるべきであったであろう」など、かな り厳しい表現が赤松大尉に対して使用されていることが認められる。 | ||
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| イ | しかし、論評の公正性、それがいたずらに人を揶揄、愚弄、嘲笑し、ことさらに人身攻 撃をするなど論評としての域を超えているものか否かを判断するにあたっては、使用さ れた個々の言棄だけを取り出して論ずるのは相当でない。論者の論理、その使用され た文脈のなかにおける用語、表現の必然性・相当性を十分に検討するべきである。そ の意味では当該節あるいは章全体を通じての論者の意図や論証の積み重ねをも検証 すべきものであろうが、ここでは、論旨の上でひとつながりをなす本件記述3ないし5の 文脈を見ると、次のとおりである。これらは、沖縄ノートの70年4月執筆とされる最終 章「\ 「本土」は実在しない」において、佐藤・ニクソン共同声明以後、日本人の、沖 縄についてエゴイズムをさらけ出した態度、沖縄とそこに住む人々を中心にすえて思 考する想像力の欠如の様々な実例が山積みしているとして、沖縄の国政参加につい て憲法上の疑義があるという意見が議会で持ち出されたことなどをあげて「現在の沖 縄のありようは、憲法にふれるおそれがないのか、憲法上疑義がないのか? 沖縄の国 政参加について、いま実際的なプログラムを身勝手にいじくりまわしながら、沖縄の名 を持ち出す時、自民党の政治家たちはその廉恥心において手が震えるということはな いのか? ・・かれらに倫理的想像力 moral imagination はいささかもないのか?」など と論じた後に208頁1行目から215頁9行目まで続く別紙「第\章 抜き書き」のような 論評である。 別紙「第\章 抜き書き」の論評は、確かに、いわば魂を内側からえぐるような厳し さを有するものであるが、章あるいはひとつながりの論旨の全体を通してみると、論者 の立場からはまさにそこで伝えんとする意見に対して必然性のある言葉と表現及び事 柄(素材)が選ばれていれているものと評することができる。論旨に沿って相関連し展開する 文章の中から、使われた個々の用語を取り出して並べ、赤松大尉を「アイヒマン」「屠殺 者」「罪の巨塊」「ペテン」などとして揶揄、愚弄、嘲笑、悪罵し、いたずらに個人を貶め、 人身攻撃をするものというのはあたらない。ここで論評の対象とされているのは、論者 を含めた本土の壮年の日本人全体の姿であり、赤松大尉個人を対象とするものでは なく、その直接的自決命令そのものを対象として告発せんとするものでもない。「慶良 間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男、どのようにひか えめにいっても(中略)「命令された」集団自決をひきおこす結果をまねいたことのはっ きりしている守備隊長」というやや慎重な表現が選ばれたことと、個人名の表示が意識 して避けられた理由は、後記オのとおりであり、論者の意見からすると沖縄に対しその ような罪責を負った本土の日本人全体の姿が「明瞭にあらわれている」もの(被控訴人 大江本人尋問)として選ばれ、その男のその昭和45年の沖縄への渡航をこそ論評の 対象としているものであることは、論旨全体から明らかである。 | |||
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| ウ | 控訴人赤松は、曽野綾子の読み方にならって「あまりにも巨きい罪の巨塊」とは赤松 大尉を表現したものであると主張するが、「人間としてそれをつぐなうには、あまりにも 巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう」との部分を前 掲の文脈のなかで位置づけるならば、被控訴人大江が、罪の巨塊とは自決者の死体 をあらわすものであり、文法的にみても「巨きい罪の巨塊」が渡嘉敷島の守備隊長を指 すと読むことはできないとするのは、首肯でき、これが赤松大尉を神の立場から断罪し、 揶揄、愚弄したものとはいえない。 | |||
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| エ | そのほかの部分も、あくまで赤松大尉の実名を伏せたまま、「沖縄の民衆の死 を抵当にあがなわれる本土の日本人の生、という命題」「この事件の責任者はい まなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていないが、この個人の行動の全体は、 いま本土の日本人が綜合的な規模でそのまま反復しているものなのである」「わ れわれは、かれの内なるわれわれ自身に鼻つきあわせてしまう」「かれの幻想 は、どのような、日本人一般の今日の倫理的想像力の母胎に、はぐくまれたのである か?」「かれら(新世代の日本人)からにせの罪責感を取除く手続のみをおこない、逆 にかれらの倫理的想像力における真の罪責感の種子の自生をうながす努力をしない こと、それは大規模な国家犯罪へとむかうあやまちの構造を、あらためてひとつずつ 積みかさねていることではないのか。」として、沖縄ノートの前記主題に沿う形で記述それ ぞれの趣旨を展開する中で、 論者の意見からすれは論旨及び表現上の必然性をもっ て使用されている表現と事柄にすぎず、相手への人身攻撃などを意図するものとは 認められず、相当性を逸脱するものとまではいえない。 | |||
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| オ | また、沖縄ノートの各記述に赤松大尉の氏名が明示されていないのは、第4・ 2(3)のとおりであるが、被控訴人大江は、沖縄ノートに赤松大尉の氏名を明示し なかったことについて、本人尋問において、「私はこの大きい事件は1人の隊長 の個人の性格、個人の選択というふうなことで行われたものではなくて、それよ りもずっと大きいものであって、すなわち日本人の軍隊、日本の軍隊の行ったこ と、そういうものとしてこの事件があると考えておりましたものですから、特に 注意深くこの隊長の個人の名前を書くということをいたしませんでした。」 「(後の方で渡嘉敷島の守備隊長のことを日本人一般の資質の問題として書いた のかという問いに対して)後半の問題は、こういう経験をした人を通じて日本人 一般の資質について書くと、あるいは私自身に対する自己批判も含めるという主 題であります。ですから、今おっしゃったとおりです。」「その趣旨からも、む しろ名前を出すことは妥当でないと私は考えておりました。」と供述している。 このことは、被控訴人大江が赤松大尉に対する個人攻撃の意図で沖縄ノートの各 記述をしていないことを示すとともに、むしろそうすれば沖縄ノートの主題からずれて しまうと考えていたことを明らかにするものである。 | |||
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| (3) | そうすると、沖縄ノートの各記述は、守備隊長ひいては日本軍の行動と沖縄返還 問題のその時における行動とを通して著者を含めた日本人全体を批判し、反 省を促す構成となっているものと認められ、所々に「ペテン」など、文脈次第では 人身攻撃となり得る表現もあるものの、前記の文章全体の趣旨に照らすと、その表 現方法が執拗なものとも、その内容がいたずらに極端な揶揄、愚弄、嘲笑、蔑視的 な表現にわたっているともいえず、赤松大尉に対する個人攻撃をしたものとは認め られない。 加えて、証拠(甲A3)によれば、沖縄ノートは、 集団自決及び評価としての軍 の命令をも含んだ沖縄戦という歴史的事実を前提のひとつとして、本土の日本人及び 日本と沖縄の関係を論評するものであると認められ、このような・・事実については、 広く論評、表現の対象とされるべきものであることも考慮しなければならない。そ れらは、言論の場において自由に論じられるべきものである。 | |||
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| (4) | 以上によれば、沖縄ノートの各記述は、意見ないし論評としての域を逸脱したも のということはできない。したがって、沖縄ノートの各記述中、意見ないし論評に わたる部分の名誉毀損を理由とする損害賠償請求も、また理由がない。(原判決2 09頁16行目から213頁1行目)』 | |||