参加者がつくる(08) | ||||
ミュンヘン→ニュルンベルク→バンベルク | ||||
カイザーブルク城(写真提供:アマデウスさん) | ||||
カイザーブルク城は、バイエルン州の都市・ニュルンベルクにあります。 1050年、神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世が築城した要塞です。 1138〜40年、神聖ローマ皇帝コンラート3世が皇帝居城として改築しています。 その後も1571年まで、歴代の神聖ローマ皇帝がこの城に滞在しています。 1933年、ニュルンベルクでナチスの全国党大会が開催されました。 1934年、レニ・リーフェンシュタール監督がナチスの全国党大会記録映画・『意志の勝利』を制作しました。冒頭の部分では、突撃隊指導者がヒトラーに忠誠を誓い、飛行機がカイザーブルク城の上空を飛んでいます。 つまり、ニュルンベルクの象徴的なお城といえます。 | ||||
カイザーブルク城より撮影したニュルンベルク裁判所 教会の尖塔の見える方向にがあります ニュルンベルク裁判が行われた場所です (写真提供:ヅカさん) | ||||
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ニュルンベルク裁判 | ||||
ニュルンベルク裁判は、ドイツの戦争犯罪を裁く国際軍事裁判です(1945年11月20日〜 1946年10月1日)。 この裁判は、色々な問題点を含んでいます。 (1)侵攻 ・1939年9月、ドイツはポーランドに侵攻しました。裁判の対象となりました。 ・1939年9月、ソ連はポーランドに侵攻しました。裁判から免責されました。 (2)平和に対する罪 ・ドイツ軍の諸外国への無差別爆撃。裁判の対象となりました。 ・連合軍によるドイツへの無差別爆撃。裁判から免責されました。 ・米軍による日本本土への無差別爆撃・原爆投下。裁判から免責されました。 | ||||
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戦争は、ともかく残酷なものです。いい戦争も悪い戦争もありません。 日本でも、戦国時代の戦争や、関ヶ原の戦い・大坂の陣などを見ると、勝ったものの論理が貫徹され、正義になっているのです。 いくら、ここの事象を批判しても、蟷螂の斧です。戦争はしてはいけないのです。すれば勝たねばならないのです。 アメリカのジャクソン連邦最高裁判事は、ニュルンベルク裁判について、次のように語っています『フォーチュン』。 ニュルンベルク裁判は、戦勝国が敗戦国に正当性を押し付けた裁判でした。つまり、敗戦国が侵略戦争を行ったというわけです。ニュルンベルク裁判は、裁判ではなく、戦勝国の政治行動だったというのが、最も正しい言い方でしょう。 私たちはある命題を支持してしまったようです。つまり、いかなる戦争においても、敗戦国の指導者は戦勝国によって処刑されねばならない、という命題です。 | ||||
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映画『ニュルンベルク裁判』 | ||||
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映画『ニュールンベルク裁判』(Judgment at Nuremberg) | ||||
映画の『ニュールンベルグ裁判』は、1961年度(第34回)のアカデミー賞で、マクシミリアン・シェルが主演男優賞、脚色賞をアビー・マンを受賞しました。 ノミネートされたのは、監督賞・作品賞、主演男優賞にスペンサー・トレイシー、助演男優賞にモンゴメリー・クリフト、助演女優賞にジュディ・ガーランド、その他に編集賞・撮影賞(白黒)・美術賞(白黒)・衣装デザイン賞(白黒) がありました。 監督は、スタンリー・クレイマーです。 キャストは次の通りです。 スペンサー・トレイシー(ダン・ヘイウッド裁判長) バート・ランカスター(エルンスト・ヤニング被告) リチャード・ウィドマーク(タッド・ローソン検事) モンゴメリー・クリフト(ルドルフ・ピーターセン証人) マクシミリアン・シェル(ハンス・ロルフ弁護士) マレーネ・ディートリッヒ(ミセス・ベルトールド夫人) ジュディ・ガーランド(アイリーン・ホフマン・ウォルナー証人) ウィリアム・シャトナー(ハリソン・ベイヤーズ太尉) ケネス・マッケンナ(ケネス・ノリス判事) エド・ビンズ(バーケット上院議員) アラン・バクスター(マット・マリン将軍) マーティン・ブラント(フレデリッヒ・ホフスタッター被告) | ||||
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映画『ニュールンベルク裁判』とアメリカ的ヒューマニズム | ||||
あらすじは以下の通りです。 アメリカの地方判事ヘイウッド(スペンサー・トレイシー)が裁判長としてニュールンベルグに着任するところから映画は始まります。 ドイツの最高指導者で総統のアドルフ・ヒトラーや最高幹部で宣伝大臣のヨーゼフ・ゲッベルスも親衛隊全国指導者のハインリヒ=ヒムラーもナチ党最大の実力者で党官房長のマルティン・ボルマンも自害していました。 そこで、映画『ニュールンベルク裁判』で対象にしたは、法律関係の幹部でした。それだけに、内容が非常に専門的です。それを如何に分かりやすく、感動的に、アメリカ的ヒューマニズムによって描くかというところが、見どころの一つでした。 | ||||
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ロルフ弁護士(映画より) | ||||
被告人は無罪を主張 | ||||
エルンスト・ヤニング(バート・ランカスター)は、世界的に有名な学者であり、第三帝国憲法の起草した司法大臣でもありました。 他の被告は、無罪を主張しましたが、ヤニングだけは沈黙を通しました。 ヤニングの教え子であるハンス・ロルフ弁護士 (マクシミリアン・シェル)は、「被告は裁判の正当性に関し意義を申し立てたいのです」と代理発言しました。 検事のタッド・ローソン大佐(リチャード・ウィドマーク)は、「被告は、第三帝国の司法を体現していた人文であり、成人として第三帝国に奉仕したのである」と追求しました。 ロルフ弁護士は、「ヤニングは法の執行を拒否し、祖国を裏切ればよかったのか。ヤニングだけが裁かれるのではない。ドイツの国民もです」と、つまり、祖国を信じて、追認した国民の罪をも問えるのか反論しました。 | ||||
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ヤニングの恩賜ヴィーク博士 | ||||
ヤニングの恩師のヴィーク博士が証人として出廷しました。ヴィーク博士は、1935年に、ナチスの党章であるハーケンクロイツの着用を拒否して、判事を辞任していました。 ロルフ弁護士「あなたは、1934年の公務員法に宣誓を?」 ローソン検事「証人に答える義務はありません」 ヘイウッド裁判長「意義を却下します」 ロルフ「ヒトラーへの忠誠を誓いましたか?」 ヴィーク博士「・・・」 副弁護士は「ヒトラーに忠誠を誓います」というヴィーク博士の署名入り文書を代読しました。 ロルフ「博士ほどの人が拒めば、流れが変わるかもと考えませんでしたか?」 | ||||
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断種法と精神的不適格者 | ||||
そこで、ローソン検事は、断種法の犠牲になったルドルフ・ピーターセン(モンゴメリー・クリフト)を証人として喚問しました。 ピーターセン「運転免許の申請に行った。ヒトラーの生年月日を聞かれたが、知る気もなかったので、知らないと答えた。やがて裁判所から”断種されるべきである”という通知が来た」 ピーターセンは、その書類の署名を読み上げます。裁判長にはホフステターの署名があります。さらに、ヤニング法務大臣の許可を得たものであるともありました。 ピンチのロルフ弁護士「ヒトラーの生年月日以外に、不適格者を見分けるテストがあった。”野ウサギ、狩人、野原”の文章で、短文を作って下さい」 ピーターセン「・・・」 当時は、精神的不適格者の断種は合法とされており、それを実証したロルフの巧妙な弁護で、ローソン検事の目論見は失敗に終わりました。 | ||||
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フェルデンシュタインがニュールンベルク法で告発 | ||||
ローソン検事は、ニュールンベルク法に関する証人を喚問します。 ニュルンベルク法は、1935年9月15日、ナチス党大会と同時に開かれた国会で「ドイツ人の血と尊厳の保護のための法律」(アーリア民族と性的関係を持った他民族は死刑に処す)が制定されました。党大会もユダヤ人絶滅政策法もニュルンベルクの地で行われました。そこで、その法律の名をニュールンベルク法といい、ニュールンベルクの地をナチスと因縁の土地の呼ぶのです。この場所で、国際軍事法廷が開かれたのも、そういう因縁があったからです。 グーター弁護士は、ニュールンベルク法により告発されたフェルデンシュタイン氏から弁護を依頼されました。 グーター弁護士「フェルデンシュタイン氏の罪状は”16歳の少女アイリーン・ホフマンと親密の関係を持った”とありました」 ローソン検事「フェルデンシュタイン氏の主張は?」 グーター「”家族ぐるみの付き合いで、両親の死後も訪ねたが、告発されるような関係ではない”と」。 フェルデンシュタインは大家さんで、ホフマン家は住人の関係でした。この裁判は、このニュールンベルクの裁判所(検事はハーン、裁判長はヤニング)で行われ、ナチスの党大会の最中で、とても関心が高かったと言われています。 | ||||
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フェルデンシュタインがニュールンベルク法で告発される | ||||
次に、ローソン大佐は、ニュールンベルク法の犠牲になったアイリーン・ホフマン・ウォルナー(ジュディ・ガーランド)を証人として喚問しました。 ローソン検事「警察に親密な関係をたずねられ、何と答えたのですか?」 ホフマン「”ウソ”ですと答えました」 ローソン検事「その時の検事は誰でしたか?」 ホフマン「エミール・ハーンです」 ローソン検事「取り調べの様子は?」 ホフマン「別室に連れて行かれ、”フェルデンシュタインを弁護したら、お前を偽証罪で逮捕だ”と。私は”ウソです”と繰り返しました。それで逮捕されました。2日間の裁判で、フェルデンシュタインさんは死刑を宣告され、私は偽証罪で2年間投獄されました」 ローソン検事「裁判長は誰ですか?」 ホフマン「エルンスト・ヤニング」 ローソン検事「刑は執行されましたか?」 ホフマン「・・・」(うなずく) ロルフ弁護士は、打開策を検討するため、休廷を要求し認められました。 | ||||
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ローソン検事(映画より) | ||||
ローソン検事、強制収容所の実写フィルムを上映 | ||||
ローソン検事は、切り札として、強制収容所の実写フィルムを上映しました。検事のローソン大佐は、ダツハウやベルゼンが解放された時、撮影に立ち会った人物だけに、その怒りは激しいものがありました。 ローソン検事「強制収容所送りに署名したのがホフステター、ランペ、ハーン、ヤニングです。法令を実行し、裁判を放棄したことで、何百万人もの犠牲者を収容所に送ったのです」 この実写を見たものは非常にショックを受け、裁判長も3日間食欲をなくすほどでした。 | ||||
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リンドナウ証、不倫現場を証言 | ||||
作戦を立て直したロルフ弁護士は、フェルデンシュタインのアパートの掃除婦であるリンドナウを証人として喚問しました。 リンドナウ「彼女が部屋の扉の所で、彼にキスをしていました。一度だけですが、ホフマンさんが彼のひざに座っていました」 ローソン検事「あなたの支持政党はナチスですね?」 リンドナウ「はい。そうです」 ローソン検事「いつ入党しましたか?」 リンドナウ「1933年です。強制されて・・」 ローソン検事「そのころ全ての人が強制されたのですか?」 リンドナウ「・・・」 こうして、ロルフ弁護士の逆襲は失敗しました。 | ||||
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ロルフ弁護士、「ほかに何をしましたか?」 ヤニング、「まだ繰り返すのか」 | ||||
あせったロルフ弁護士は、ホフマンを今までにないほどの過激な追及をします。 ロルフ弁護士「1935年にニュールンベルク法が成立しました。ユダヤ人との肉体関係が違法だと知っていましたか?」 ホフマン「はい」 ロルフ弁護士「このニュールンベルクでは、ユダヤ人との社会的接触が嫌われていたと分かっていましたか?」 ホフマン「はい」 ロルフ弁護士「でも彼とは会っていた?」 ホフマン「はい」 ロルフ弁護士「ひざに座ったのですか?」 ホフマン「はい」 ロルフ弁護士「ほかに何をしましたか?」 ホフマン「あなたが言わせたいことはしていません」(泣きながら) それまで無言を通していたヤニングがいきなり立ち上がる。 ヤニング「ロルフ君!!まだ繰り返す気か!」 ヤニングは、弁護士の休廷を求める声を制止して、裁判長に発言を求めました。 そこで裁判長は、発言を確認して、休廷しました。 | ||||
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エルンスト・ヤニング(映画より) | ||||
ヤニングの告白「過渡期の一段階に過ぎないのだ」 | ||||
休廷の間、ロルフ弁護士はヤニングと面会しました。 ロルフ弁護士「相手は原爆を落とした国ですよ」 ヤニング「何も聞こうとは思わない。君からは・・」 | ||||
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再開されました。 ヤニング「ヒトラー体制に従ったのは、祖国を愛していたからだ。”これは過渡期の一段階に過ぎないのだ。すぐに終わるだろう。前進”が合言葉でした。しかし過渡期であったものが日常になってしまった。国の発展のために断種したのだと言い、ユダヤ人が16歳の少女と寝たとほのめかした」 さらに続けてヤニング「だが、ドイツを救うには、我々が痛みや屈辱を乗り越え罪を認めるしかありません。フェルデンシュタイン事件はユダヤ人をいけにえにする儀式だったのです。何百万人もいなくなっているのに知らなかったと言えば、罪が軽くなるのか。知りたくなかったからに過ぎない」 | ||||
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ヤ判決「全員、終身刑」 | ||||
ヘイウッド裁判長は、全員に終身刑の有罪判決を言い渡しました。 その根拠として ヘイウッド裁判長「刑法の原則とはどの文明社会でも共通しています。”殺人を行わせたる者””犯罪を目的としてその凶器を供給したる者””犯罪を幇助したる者すべて有罪”という原則です」。 | ||||
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クレーマー監督はこの映画で何が言いたかったのか 決定権を持つ者は自分の決定に責任を持つ 責任を持つ者のみが指導者になれる | ||||
帰国するために荷造りをしているヘイウッド裁判長をロルフ弁護士がヤニングの伝言を持って訪ねます。 ヘイウッド裁判長はヤニングを訪ねます。 ヤニング「私の関わった裁判記録を信頼できる方にお渡ししたくて・・。この裁判を支持する人は少ないでしょう。でも私はあなたの裁判を尊敬しています。あの殺された何百万の人たちの事は知らなかったのです。信じて下さい」 ヘイウッド裁判長「あなたが無実を知りつつ死刑をしたのが始まりです」 この言葉を最後に映画は終わりました。 | ||||
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ヘイウッド裁判長は、マレーネ・ディートリッヒが演ずるミセス・ベルトールド夫人の旧宅を住居とします。その関係でベルトールド夫人とコンサートに行ったり、夫人の家を訪れます。 夫人は、被告を有利にするため、色々な助言をします。強制収容所の上映後は、「私も主人(陸軍の幹部)もそのことを知らなかった」と弁解します。夫人の旧宅の執事たちも「知らなかった」といいます。 最後にヤニングまでも「知らなかった」と主張します。 それに対して、ヘイウッドは「あなたが無実を知りつつ死刑をしたのが始まりです」と反論します。 終身刑を言い渡した後、ヘイウッドは夫人に電話します。しかし、夫人は電話に出ません。長いことベルが鳴る旧式の黒いダイヤル式電話。クレーマー監督は何が言いたかったのでしょうか。 クレーマー監督は、ヘイウッドの最後の言葉にどういうメッセージを伝えたのでしょうか。 | ||||
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この映画を通じて、クレーマー監督のメッセージを考えてみました。 強制収容所のことは知らなかったと、元司法大臣のヤニングはいう。陸軍の幹部のベルトールド夫人もいう。旧宅の執事もいう。 知っていて背を背けた者、知ろうとしなかった者、本当に知らなかった者も、皆んな罪であろうか。 この映画では罪であると言っているようだ。しかし、私は、権力者やその地位を与えられている者の罪と、一般庶民の罪とは異なると思っている。「決定権を持つ立場の者は、その決定に責任を持つ覚悟でなければ、その地位を去るべきである」というのが持論です。それが武士道でもあります。 | ||||
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為にする議論」はすぐ露見 | ||||
サンフランシスコ講和条約第十一条(戦争犯罪)の解釈をめぐって、論議があります。 英文を読んだ人は、「the judgments of the International Military Tribunal」という部分の「judgments」を「裁判」でなく「判決」と誤訳しているとして、「刑期の執行を受諾した」と解釈する人や、「判決を受け入れたが、東京裁判そのものを受け入れたわけではない」と解釈する人がいます。 ニュールンベルク裁判を英語の本場であるアメリカ人は「Judgment at Nuremberg」と表現しています。Judgmentを「裁判」であると明確に規定しています。 「為にする議論」はすぐ露見します。ニュールンベルク裁判が厳しく指摘したメッセージです。 | ||||
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色々な思い出が詰まったドイツ旅行 | ||||
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ツアーコンダクター美奈子さんの旅のメモです |
今日でちょうど旅行の真ん中ですね。昨日までは、まだまだと思っていましたが、今日からはあっという間に過ぎていきますよ。 朝8時半、ホテルを出発し、再び古城街道沿いの街ニュルンベルクとバンベルクの観光です。 |
ニュルンベルクの旧市街は約5qの城壁で囲まれていて、画家デューラー、ニュルンベルク裁判、クリスマスマーケットで知られる中世の街です。 カイザーブルク城は500年以上も王族や諸侯の住まいとして拡張・構築されました。高台にあるためニュルンベルクの街が一望出来ました。 中央市場の聖母教会の仕掛け時を見学しました。 美しの泉では、3回回す間に願い事して、それを他人に言わなければ願い事が叶うという輪を回しながら写真を1枚。市場ではチーズやお菓子、野菜、果物が豊富に売られていました。 その後、聖ゼバルドウス教会やデューラーの家を観光しました。 |
観光後、Goldenes Postharnで昼食です。 サラダ、ソーセージ(親指くらいの大きさの焼きソーセージがニュールンベルク風)、チーズケーキが出ました。 |
昼食後、バンベルクを観光しました。 第二次世界大戦の被害を逃れた赤い屋根の中世の街。レグニッツ川の橋の上には、旧市庁舎があり、川沿いには漁師家々が立ち並ぶ「小ベニス」地区があります。燻製ビール(ラウホビール)が有名です。 旧市庁舎は、レグニッツ川の中洲に位置しています。 大聖堂、ドーム広場。1237年に完成。リーメンシュナイダーが制作したハインリッヒ2世とその妃の墓が印象的でした。 |
ホテルにチェックイン後、再びバスで旧市街に行き、Bruderwuehleで夕食です。 スープ、白身魚のグリル、ムース風パンナコッタ、燻製ビール(お口に合いましたか) 夕ショック後、スーパーに行きました。 |
今回のホテルは、色々なタイプの部屋でした。東洋風、アフリカ風、ガラス張りの浴室、天がいベッド+鏡の2階建てと、お気に召さない部屋もあったと思います。申し訳ありませんでした。 ちなみに私はガラス張りの浴室で、部屋から丸見えでした。と言っても見る人もいませんでしたが・・ |