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磐座神社(相生市矢野)は民俗学の宝庫(1)
「相生市の伝説と昔話」をアップする経緯
 私は、相生市からある委員の委嘱を受けました。
 私は、その委員会がある度に、ホームページをアップして相生市の文化財のPRをするように訴えてきました。特に、小学校校区にある文化財を、小学校区単位でホームページにアップすることに熱弁(?)をふるいました。
 その結果、2006年の委員会で、「相生市の伝説と昔話」をアップすることに決定しました。私に、「言いだしっぺ」として、その任務が回ってきたのは当然です。

2007年4月1日第1号アップ
ヤフーの検索エンジンで「伝説と昔話」と入力
2008年1月で394万件の5番目にランク
写真(1)
 2007年4月1日に、相生市教育委員会の担当の2人の方と協力しながら、「相生市の伝説と昔話」の第1号をアップしました。
 2008年1月(写真(1))には、正月のご祝儀もあったのか、ヤフーの検索エンジンで「伝説と昔話」と入力すると、何と394万件の5番目にランクされるようになりました。

磐座神社の巨岩伝説
左の写真をクリックすると
拡大写真となります
(重さや約5万バイト)
写真(2)
 2008年2月1日にアップするのは、相生市矢野町の磐座神社の巨岩伝説です。『相生市史』にも「郷土のあゆみ」にも紹介されています。
 磐座神社の背後にそびえる山を権現山といいます。権現山には、天から神が降りたという伝説上の巨岩があり、地元の人は露出した巨岩を「天狗岩」(写真(2))と呼び、朝な夕なに拝んでいたといいます。

ホームページ上で、とんび岩さんの地図(2万5000分の1)を発見
遠方の人は、登山口が分らず、断念
写真(3)
 権現山とか天狗岩のことをデスクワークしました。すると、ヤフーで「相生市 権現山」と入力すると、上から2番目に「権現山と磐座神社2000」というページがありました。それをクリックすると、「高巖山と権現山に登る」という項目があり、それをクリックすると、とんび岩さん2万5000分の1の地図(写真(3))を発見しました。
高巖山と権現山に登る
 実際に磐座神社から権現山、榊から高巌山・権現山を経て磐座神社を踏破したとんび岩さんのホームページには次のような記録がありました。
(1)権現山へ登る道は、磐座神社の社殿の左手(北の端)から裏山に入り、龍王山を経由して尾根伝いに頂上に達しています。頂上から北側には、高巌山の巨岩が見えます(2000年3月)。
(2)権現山から巖座神社へ降りる場合、神社の裏手にはイノシシ対策のトタン板の柵があるが、それを乗り越えて境内に入る(2000年8月)。
*解説1:2000年頃は、イノシシ対策はトタン板の柵で、乗り越えることが出来たことが分ります。
(3)山頂に天狗の好きな巨岩が見えている。磐座神社に立ち寄ると、猪除けの電線が張られている。電流が流れています危険とあり、柄を持って外すように書いてあるが、やったことがなく躊躇してしまう。それにこの山の登山口が分からず、近畿自然歩道の案内板にもこの山のことは何も書いてないので、この山は諦める(2006年5月)。
*解説2:2006年頃には、遠方から来た人には、登山口が分らず、登山を断念した人がいます。

やっとイノシシ対策の柵まで辿り着く
高さ2メートル以上の柵にはムサク(無策)
左の写真をクリックすると
拡大写真となります
(重さは約5万6000バイト)
写真(4)
 私と妻は、とんび岩さんの地図(写真(3))を参考に、登山を開始しました。
 写真(4)は、磐座神社の北東の位置から写したものです。写真をクリックして、拡大すると、中央に巨岩が見えます。その巨岩を見ながら、北へ進みます。地元の人が下草を刈ったのでしょうか、そこを東に向かって登ります。1〜2分ほどで、イノシシ対策の柵(写真(5))に着きます。その地点から写したのが写真(4)です。
 イノシシ対策の柵(写真(5))の高さ2メートル以上、幅は永遠(?)と表現できるほど、端を確認できませんでした。
写真(5)

登山口目指して徘徊すること30分
残念無念、計画を変更する羽目に
この続きは次号へ
 私たち夫婦は、30分ほど、あちこち探し回りましたが、ついに登山口を見つけることが出来ず、磐座神社から権現山への登山は諦めました。残念無念とはこのことです。
 そして、矢野町榊から高巌山を経て権現山を目指すことに変更しました。
 この続きは次号(056号)へ

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