磐座神社(相生市矢野)は民俗学の宝庫(2) |
天狗岩の神さん、我々を見捨てず
帰路、地元に人に出会い、登山口を示唆される |
天狗岩登山を希望される方は
磐座神社へ連絡しましょう |
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写真(6) |
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「トタン板の柵を越えて」という先人の言葉を信じ、30分ほどあちこち登山口を探して、徘徊しましたが、結局、発見できませんでした。
諦めきれず、地元に家を1軒1軒訪問しましたが、留守か、居ても、「他所から来たので分りません」という結果でした。
本当の本当に、諦めて、車をとめてある光専寺に向かっている時でした。先ほど留守だった家の人が、家の中に入る「ホン」の瞬間が見えたのです。その場に行くのが一瞬遅かったら、全ては水泡と帰していたでしょう。
神の恵か、「年配の地元に人」に話が聞けました。「(2メートル以上の)柵のどこかに、出入口と書いた目印があるはずだ」と教えられました。
その近くまで行ったのに、「柵を越える」という先入観が邪魔して、「出入口」という目印が目に入らなかったのです。デスクワーク(情報)の不足を痛感しました。
そしてついに、出入口の目印(写真(6))を発見しました。 |
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とんび岩さんの地図がたより
山道を発見、途切れても、とんび岩さんの地図がたより |
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写真(3) |
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写真(7) |
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とんび岩さんの地図(写真(3))を見ながら、やや右寄りに上へと登山を開始しました。
やがて、使いふるした山道に出会いました。所々、山道が消えていましたが、とんび岩さんの地図(写真(3))から大体の方向性を確認して進むと、再び山道に出会いました。2万5000分の1の地図と方向線は、本当に、威力を発揮します。 |
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約10分で神田山の尾根に出る |
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写真(8) |
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やっと尾根に出ました。磐座神社からは約10分でした。尾根とは、「山の頂上から頂上へ、一番高い部分が続いてつながるところ」と国語辞書にあります。ということは、ここは神田山の頂上から龍王山の頂上へ向かっている箇所なのでしょう。
老妻が神田山の尾根から、龍王山の方を見上げています(写真(8))。 |
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神田山の尾根から約5分で龍王山へ
巨岩の下の南側には水神を祀る龍王社
巨岩の下の東側には阿弥陀如来を安置する奥の院 |
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左の写真をクリックすると
拡大写真となります |
(重さは約4万2000バイト) |
写真(9) |
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左の写真をクリックすると
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(重さは約4万6000バイト) |
写真(10) |
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神田山の頂上から約5分で龍王山の頂上に着きました。
龍王山には見上げるような巨岩がありました。その巨岩の南側に小さい社殿があり、その中に龍王神像が安置されています。これが龍王社です(写真(9))。
同じ巨岩の東面に小さな厨子があり、その中に阿弥陀如来と両菩薩が安置されていました。ここを奥の院といいます(写真(10))。
方向は違っても、1つの巨岩の下に、神仏が同居していました。まさに、神仏習合の姿でした。 |
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龍王山から約5分で権現山の頂上へ
距離は短いが、急勾配で左右は断崖絶壁
落ちたら命はないかと恐怖の体験
頂上からの眺めは「絶景かな絶景かな」 |
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左の写真をクリックすると
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(重さは約4万2000バイト) |
写真(11) |
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龍王山から権現山へは、急勾配です。古木の枝を握って一歩前進するも、その枝が枯れていたり、岩の角を頼りに一歩前進するも、もろくも崩れたりの連続です。左右は、断崖絶壁で、体をくい止める物は何もありません。四つんばいの哀れな姿で登るしかありません。
悪戦苦闘すること約5分で権現山の頂上に辿り着きました。苦労して登っただけに、その眺望は「絶景」の一言でした(写真(11))。
鳥取県の三朝に国宝の投入堂があります。距離は、投入堂の方が遥かに長いですが、怖さは権現山の方がありました。
地元の人は、天から神が権現山の天狗岩に降りて来たと信じていました。信仰と苦行が一致していたときは、参詣の人が多かっただろうと想像させられました。 |
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次号(057号)は、磐座神社の民俗学的意味を考えるです |
神が降りて来たという権現山の天狗岩があります。
神仏習合の形をとる龍王山があります。
麓には岩を懐に抱く磐座神社があります。
これらの民俗学的意味は次号(057号)で紹介します |