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アカデミー賞で思うこと
アカデミー賞データ編(1928年〜2008年)←クリック
1939年アカデミー作品賞『風と共に去りぬ』(映画広告より)
 2008年度アカデミー賞の外国映画部門で日本の滝田洋二郎監督『おくりびと』、短編アニメ部門で、加藤久仁生監督『つみきのいえ』が受賞しました。
 アカデミー賞の歴史を調べると、第1回が1928年です。2008年度は第81回になります。世界で最も伝統と権威のある映画賞ということができます。
 1947年に外国映画部門が特別賞として設けられ、第1回はイタリアの『靴みがき』が選ばれました。
 1950年に外国映画部門が名誉賞として設けられ、1951年には黒澤明監督『羅生門』、1952年にはルネ・クレマン監督『禁じられた遊び』(フランス)、1953年には受賞作なし、1954年には衣笠貞之助監督『地獄門』、1955年には稲垣浩監督『宮本武蔵』がえらばれました。
 1975年に入って、黒澤明監督『デルス・ウザーラ』(ソ連)が選ばれました。その後、本選にノミネートされた有力な作品もありましたが、選出されることはありませんでした。
 それだけに、『おくりびと』の受賞は意義があります。
1942年『カサブランカ』(映画広告より)
■キャスト
ハンフリー・ボガート(リック・ブレイン)
イングリッド・バーグマン(イルザ・ラント)
■スタッフ
監督:マイケル・カーティス
■アカデミー賞
作品賞:カサブランカ
監督賞:マイケル・カーティス
撮影賞:アーサー・エディソン
音楽賞:マックス・スタイナー
脚色賞:ジュリアス・J・エプスタイン、フィリップ・G・エプスタイン、ハワード・コッチ
1943年『誰がために鐘は鳴る』(映画広告より)
■キャスト
ゲイリー・クーパー(ロバート・ジョーダン)
イングリッド・バーグマン(マリア)
■スタッフ
監督:サム・ウッド
原作:アーネスト・ヘミングウェイ
音楽:ヴィクター・ヤング
■アカデミー賞
助演女優賞:カティーナ・パクシー
 映画で思い出すことは、今まで何度も繰り返し見て、その都度、感動を新たにする『風と共に去りぬ』が戦前の1939年に制作されていたことです。
 私の学生時代の話です。戦後、「風と共に去りぬ」「カサブランカ」「誰が為に鐘は鳴る」を見た人が、「戦争中でも、アメリカはこんな映画を作れる豊かな国だったんですね。こんな国と戦った日本の指導者はどんな映画を見ていたんでしょうか?」と話すのを聞いたことがあります。
 アメリカでは、戦争は戦争屋(軍隊)として、一般庶民は庶民として、別々の生活様式が確立していたことが分かりました。
 他方、日本は、総力戦体制とか、一億玉砕とか、一般庶民を戦争体制に根こそぎ動員するなど余裕のない生活を送っていました。
 豊なアメリカと戦争したことに対して、罠にハマったとか、やむを得なかったという人もいますが、子供が大人に喧嘩を仕掛けては、言い訳にもなりません。

1976年『大統領の陰謀』(DVD映画広告より)
■キャスト
ダスティン・ホフマン(カール・バーンスタイン)
ロバート・レッドフォード(ボブ・ウッドワード)
■スタッフ
監督:アラン・J・パクラ
原作:カール・バーンスタイン、ボブ・ウッドワード
撮影:ゴードン・ウィリス
音楽:デヴィッド・シャイア
■アカデミー賞
助演男優賞:ジェイソン・ロバーズ
脚本賞:ネットワークパディ・チャイエフスキー
脚色賞:ィリアム・ゴールドマン
美術監督賞:ジョージ・ジェンキンスン
美術装置賞:ジョージ・ゲインズ
音響賞:アーサー・ピアンタドシー
ウォーターゲート事件
 1972年、共和党・ニクソン米大統領の再選支持派は、ワシントンのウォーターゲートビルにある民主党全国委員会本部に盗聴器を仕掛けるため侵入し、逮捕されました。
 ニクソン大統領は、関与を否定しましたが、「ディープスロート」から情報の提供を受けたワシントン・ポスト紙のボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインが新聞報道で厳しく追及しました。
 1973年10月12日連邦高裁は、ニクソン大統領の訴えを退け、大統領執務室の盗聴録音テープの提出を命じました。
 1974年5月31日、ニクソン大統領は、地裁の提出命令を拒否し、控訴裁に上告しました。特別検察官のジャウォスキーは、控訴裁をとび越え最高裁に申立てしました。
 7月24日、最高裁は、ジャウォスキーの申立てに対し8対0で支持し、録音テープの提出をあらためて命じました。
 8月8日、ニクソン大統領は、米国史上初めて現職大統領として辞任しました。フォードが大統領に昇格しました。
 ウッドワードらは、「ディープスロート」の正体について、「本人との約束があり、死ぬまでは明かせない」と沈黙を守りました。
 2005年5月31日、ワシントン・ポストは、「ディープ・スロート」がFBI副長官(当時)だったマーク・フェルトだと認めました。自らの正体を明かしたフェルト氏の発言を米誌「バニティ・フェア」が報道、同氏の家族も追認したためだ。ウッドワードらも、「マーク・フェルトがディープ・スロートであり、ウォーターゲート報道では計り知れないほど助けられた。ただ、他にも情報源はあった」とする声明を発表しました。
1986年『プラトーン』(DVD映画広告より)
■キャスト
チャーリー・シーン(クリス・テイラー)
トム・ベレンジャー(ボブ・バーンズ)
ウィレム・デフォー(エライアス・グロージョン
■スタッフ
監督/脚本:オリヴァー・ストーン
■アカデミー賞
作品賞:プラトーン
監督賞:オリヴァー・ストーン
編集賞:クレア・シンプソン
音響賞:ジョン・D・ウイルコンソン
ソンミ村虐殺事件
 1968年3月16日、アメリカ陸軍・第23歩兵師団第11軽歩兵旅団・第20歩兵連隊第1大隊C中隊・ウィリアム・カリー中尉の第1小隊は、南ベトナム・クアンガイ省ソンミ村を襲撃しました。その時、ソンミ村の一般人504人(男149人、女182人、子ども173人)を機関銃などで殺害しました。その内、3人が奇跡的に生存し、生き証人となりました。
 1968年3月16日夕、アメリカ師団事務局は、記者に対して、「米軍はミライ村において一つの作戦を行なった。戦闘は正午過ぎまで継続した。結果は以下の通りである。敵兵の戦死128名、容疑者13名を逮
捕、砲3門を捕獲」という報告書を配布しました。
 1968年4月16日、ハノイに本拠を置く南ベトナム民族解放戦線の常設代表部が、記者会見を行なってこの「ソンミにおける米兵の犯罪行為を激しく糾弾する緊急宣言」を公表しました。
 1969年12月、シーモア・ハーシュは、アメリカの雑誌『ザ・ニューヨーカー』に真実を暴露し、アメリカ軍の大虐殺事件が明らかにされました。
 この間、このソンミ村虐殺事件は、現場にいた複数の兵士から上層部に報告されましたが、軍の上層部は、世論を反戦の方向へ導く可能性が高いことなどから事件をを隠蔽し続けました。
 1971年3月29日、ウィリアム・カリー中尉は、終身刑が宣告されました。
ウォーターゲート事件とソンミ村虐殺事件
 産経新聞(2008年11月28日)、田母神俊雄前航空幕僚長の談話を次のように掲載しています。
 −−更迭への思いは
 「変なのは『日本は、侵略国家ではない。よその国に比べてよい国だった』と言ったら、『日本は政府見解で悪い国となっている』との理由でクビにされたことです。裏を返せば『日本はろくな国でなかった』と考えている人を、航空幕僚長にせよということではないか。外国の将校は、まず自国を弁護する。自分の国を悪く言う外国人将校に会ったことはありません
 ソンミ村虐殺事件を例に、田母神俊雄前航空幕僚長の談話を検証すると、「現場にいた複数の兵士から軍の上層部外国人将校)に報告されましたが、軍の上層部外国人将校)は、反戦・厭戦への風潮を懸念してこの事件を隠蔽し続けました」ということになります。
 大統領の陰謀でも明らかなように、権力者は不都合な部分を隠蔽しようとします。当然です。
 田母神氏が自国を弁護するのは当然です。自国の悪口を言わないのは当然です。
 権力を持たない者は、真実を明らかにしようとします。当然です。
 私が田母神氏の随筆「日本は侵略国家であったのか」について真実を知りたいと思うのは当然です。
 ここで重要なのが新聞や映画などのジャーナリズムの役割です。ジャーナリズムが権力者側に着くと、隠蔽が当然化し、民主主義が危機に陥ります。
 そういう意味では、『大統領の陰謀』や『プラトーン』はジャーナリズムの貴重な見本といえます。

 2009年2月15日、作家・村上春樹氏は、「エルサレム賞」授賞式で、次のように記念講演しました。
 わたしが小説を書くとき常に心に留めているのは、高くて固い壁と、それにぶつかって壊れる卵のこと
だ。どちらが正しいか歴史が決めるにしても、わたしは常に卵の側に立つ。壁の側に立つ小説家に何の価値があるだろうか
 高い壁とは戦車だったりロケット弾、白リン弾だったりする。卵は非武装の民間人で、押しつぶされ、撃たれる。
 次のノーベル賞受賞の候補者として村上春樹氏は話題になります。
 私は、この講演の趣旨を、「権力者側に立つ小説家(ジャーナリスト)には意味・価値がない」と指摘していると解釈します。

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