地元でも「浅野の殿様が大池を掘って、その土で新たに田畑を開墾した」と伝えられ、池のほとりの記恩碑
(昭和30年建立)には「浅野長矩公の築造にして尓来瓜生、上、菅谷住民の受くる恩沢は忱(まこと)に甚大
なり」と刻まれている。
元禄12年といえば、刃傷事件の2年前。地元の人は「大池の普請中、刃傷事件を知らせる飛脚が到着し、
工事を指揮していた藩士があわてて城に戻った―という昔話を祖父から聞いた」と教えてくれた。
「今は水かさが減っていますが、彼岸過ぎから雨水を溜めて、田植えまでにはいっぱいになります」と。
瓜生大池は築造から300年たった今も瓜生、上、菅谷3地区の田畑約18fを潤している(『赤穂民報』より)。 |