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相生市:小河観音堂

 
 『相生史話』は、小河山観音寺(観音堂)を次の様に説明しています。
 「第42代文武天皇の時代(697〜707年)、役行者(えんのぎょうじゃ)小角(おずぬ)が小河に来た時、岩間から湧き出る清水で咽喉の渇きを癒し、側にある八面玲瑞(全体が美しく澄みきった玉のよう)の自然石と大慈大悲の十一面観世音菩薩とを拝みました。
 その後、保元年中(1156〜1159年)、赤穂郡東有年黒沢山光明寺の僧行安は、役行者小角が拝んだ自然石を拝むと、この自然石が光明発しました。そこで行安は、一堂を創建しました。
 その後、元弘年中(1331〜1333年)、新田義貞が感状山を攻めた時、堂宇が焼失しました。
 江戸時代になると、行安の子孫である岡平十郎は、難治の眼病にかかり、十一面観世音菩薩に一心に祈願しました。或る夜、「岩間から湧き出る清水で洗眼せよ」の夢をみました。その結果、全快して、その礼として1間4面の堂字を建立しました。時に、承応3(1654)年正月でした。
 赤穂藩主の浅野長直は、眼病で苦しんでいたが、小河山観音寺に祈願して全快しました。
 そこで、浅野長直は、明暦元(1655)年1月、1つの伽藍を再建しました。その工事中、夏の大早魅で領民が困っていました。浅野長直は、小河山観音寺に雨乞を祈願すると、雨が降ってきました。その霊験に感服して伽藍の規模を拡大し、本堂を5間4面としました。
小河観音堂
相生市矢野町小河
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