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孫に伝える小説忠臣蔵

第一章
【007回】赤穂浅野家の誕生(2)━築城で大野九郎兵衛登場

武家屋敷図

赤穂城の大手門・塩屋門・清水門をまかされたのは?
大手門は大石内蔵助、塩屋門は大野九郎兵衛、清水門は奥野将監
 湖南土井瑠「宿題の赤穂城の周辺を見て来ただろうね」
 3人「はーい」
 若い娘さんは、元気もいいが、よく笑う。ホーントに「箸が転んでもわらう」だ。
 土井瑠「それで、気になったとこはあったかな」
 大野蛍子「塩屋門を入った直ぐに、私の先祖の大野九郎兵衛の屋敷跡の案内板がありました」
 土井瑠「さすが、よく気がついたね」
 蛍子「父が何度も連れて行ってくれました」
 土井瑠「その時、お父さんは何か言ってなかったかな」
 蛍子「『大野九郎兵衛の屋敷は、お城の門の入口付近にあるね。それはお殿さんからその門を守る重要な役を任されていることなんだよ』と教えられたことがあります」
 土井瑠「じゃー、大手門の入口付近に屋敷があるのは?」
 木村葉月「長屋門がありました。たしか、大石内蔵助の家でしたね?」
 土井瑠「そうそう、内蔵助の屋敷跡の一部だね。奥野将監の屋敷はどの門付近だった?」
 湖南あこな「自信はないけど、清水門ですか?」
 土井瑠「そうそう、清水門を守ったのが奥野将監だね」
 蛍子「やはり、門付近に屋敷があるお侍さんは立派だったんですか」
 土井瑠「立派という表現は適当ではないが、お殿さんから高い給料、これを高禄というんだが、それを与えられている人といえるね」
 蛍子「高禄を与えられているということは、お殿さんからの信頼が厚いということですね」
 土井瑠「そういうことになるね」

赤穂城の主要門を任された武士とは?
大石内蔵助は浅野家に代々仕えた譜代の侍
奥野将監も大石内蔵助の親戚で譜代の侍
大野九郎兵衛は浅野長直に塩田開発で新規採用
 あこな「どうして、お殿さんの信頼を得たのですか?」
 土井瑠「これは厳しい指摘だな」
 蛍子と葉月「私も知りたい」
 土井瑠「大石内蔵助(1500石)の曽祖父良勝が18歳の時、常陸国(今の茨城県)笠間の城主浅野長重(長直の父)に仕えたことが最初で、以来、忠節を尽したということで非常に信頼を得て、家老職に抜擢されました」
 あこな「やっぱり、そういう背景があったんですね」
 土井瑠「そうそう。次に奥野将監は、大石家と親戚ということで組頭・1000石です」
 蛍子「それでは、大野九郎兵衛はどうなんですか」
 土井瑠「実は、よく分かっていないんだ。だから、色々な憶測が生まれるんだが・・」
 蛍子「ショック!!」
 動揺している蛍子を見て、2人「何とかならないんですか」
 土井瑠「分かっていることは、浅野長直が赤穂に来た2カ月後(1645年8月)に、大野九郎兵衛・近藤正純・奥野将監が連名して、大坂・高砂の町人に対して、赤穂東浜における塩田開発の条件を出していることは確認されているんだ」
 蛍子「つまり、その時には、大野九郎兵衛は重要な役を与えられていたんですね」
 土井瑠「内蔵助や将監のように代々の家臣でなく、浅野長直の時に、採用されているんだよ」
 あこな「どうしてですか」
 土井瑠「赤穂城を新築するには、お金がいるね。赤穂は入浜塩田として有名で、浅野長直はそれを利用して、お金を得ようとしたんだ」
 蛍子「そこで、塩田のことが詳しい大野九郎兵衛が採用されたんですね」
 土井瑠「ずばり、そうだね」
 葉月「すごい人だったんですね。蛍子ちゃんの先祖は・・」
 あこな「塩田のことが詳しいってどういうことですか」

入浜式塩田の構造図
入浜式塩田を解剖
毛管現象を利用して、海面より上の地表に塩の結晶
 土井瑠「戦国時代、上杉謙信が塩造りが出来ない武田信玄に塩を送ったという話は有名だね。つまり、塩は人間の生活にはなくてはならないという証拠なんだ」
 葉月「『万葉集』には「藻塩焼く」という表現でよく出てきます。奈良時代、海藻を焼いて塩を作っていた証拠ですね」
 土井瑠「外国のように岩塩のない日本では、海藻を焼いたり、海浜に海水をまいて、塩を造ったんだね」
 葉月「揚げ浜塩田といういんですね」
 蛍子「大野九郎兵衛の入浜塩田というのはどんなんですか」
 土井瑠「入浜式塩田の構造図を見ると、かなり高度な技術だということがわかるよ」
 湖南土井瑠は、模式図を使いながら、専門的な話を始めました。
01 満潮時に、@「伏樋」の栓を抜いて、海水をA「潮まわし」に入れる
02 A「潮まわし」の海水を干潮水面から1メートルに調整して、B「浜溝」に入れる
03 干潮時に、@「伏樋」の栓を抜いて、雨水・悪水を海に流す
04 はりめぐらされたB「浜溝」から、海水がC「塩田地盤」に浸透する
05 浸透した海水は、毛管現象を利用して上昇させ、引き浜されたD「撒砂」を湿らせる
06 太陽・風が海水で湿ったD「撒砂」を乾燥させて、塩の結晶を浮き出させる
07 こうして出来た塩の結晶が着いた砂をE「鹹砂」という
08 E「鹹砂」を浜寄せして、F「沼井」に入れ、台踏みする
09 G「沼井下穴」に残っH「たもんだれ」(2番水)とB「浜溝」の海水をF沼井に注ぐ
10 その結果、スノコ状のF「沼井」で砂と塩分を分離させる
11 分離したI「鹹水」は、G「沼井下穴」に滴下させる
12 G「沼井下穴」のI「鹹水」は、J「突き返し」に入れる
13 K「地場樋」を通して、L「鹹水溜」に送る
14 L「鹹水溜」のI「鹹水」は、M「はねつるべ」で、N「鹹水槽」に送る
Hもんだれ(最初のI「鹹水」を汲み上げた後、滲んで出てきた二番手のI「鹹水」)

写真:入浜式塩田の復元(赤穂海浜公園)
大野九郎兵衛は毛管現象を利用した入浜塩田を開発
大野九郎兵衛は藩札を発行して塩の生産と販売を独占
 @「伏樋」の栓を抜いて、海水をA「潮まわし」に入れる
 A「潮まわし」の海水をB「浜溝」に入れる
 毛管現象を利用して、海水をC「塩田地盤」に浸透させる
 湖南土井瑠「上の写真を見ると、入浜式塩田の構造がよく分かるだろう?」
 3人「ぜーんぜん」
 土井瑠「そうかな。まず、満潮時に@「の栓を抜いて、海水をABに入れる」
 蛍子「それなら分かります」
 土井瑠「Cの下の海水が毛管現象を利用して、海水面より上に浸透する。CABより高いのに湿っていることが分かるね」
 葉月「分かります」
 あこな「こうした現象が毛管現象というんですか。これなら人力を省けますね。すごい!!」
 土井瑠「そうなんだ」
 蛍子「つまり、毛管現象を利用した入浜塩田を開発したのが大野九郎兵衛なんですね」
 土井瑠「その通りなんだ」
 蛍子「それで、お殿様から褒められて、出世しのたですね」
 土井瑠「赤穂三代目の浅野長矩の時の1675年に、大野九郎兵衛は藩札の発行主張して、許可されているんだ」
 蛍子「それも塩田と関係があるんですか」
 土井瑠「藩札の発行で、浜男・浜子を賃金労働者としたんだ。その結果、協業生産という方式が確立し、赤穂藩は生産と販売を一手に握ることになるんだよ」

(T)東浜(千種川以東)で約93町歩
(U)西浜(千種川以西)で34町歩
(A)合計127町歩余(T+U)
(B)従来の塩田80町歩
(C)総合計207町歩余(塩を米に換算すると3万5000石)(A+B)
(D)赤穂浅野氏の表高5万3500石
(E)8万8500石(C+D)
統計(塩田による増収)
赤穂藩の幕府掌握高は5万3500石
塩田収入は3万5000石
実際の高は8万8500石
大野九郎兵衛の活躍→それが「ねたみ」を買った?
 あこな「それでどれだけのお金が入ったんですか」
 土井瑠「上の統計をみると、従来の塩田が80町、新塩田が127町、これを米に換算すると3万5000石になるね」
 葉月「すごいですね。大野九郎兵衛がお殿さんから塩屋門を任された理由がよく分かりました」
 あこな「代々浅野家に仕えた譜代の侍でなく、よそから来た外様の侍から出世したって、すごい実力者だったんですね」
 蛍子「そこら辺が皆なからねたまれ、色々な噂話になったということも考えられませんか」
 土井瑠「するどいね。そうかも知れないね。おいおい大野九郎兵衛がどんな人物だったのか、調べていこうね」

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