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孫に伝える小説忠臣蔵

第一章
【008回】赤穂浅野家の誕生(3)━赤穂城下町の構造

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@千馬三郎兵衛A木村岡右衛門B間 喜兵衛C岡野金右衛門D岡島八十右衛門E原惣右衛門F不破数右衛門G勝田新左衛門
H貝賀弥左衛門I大高源五J早水藤左衛門K近松勘六L菅谷半之丞M中村勘助N矢頭右衛門七O潮田又之丞

@大蓮寺(第二代浅野長友夫人戒珠院の菩提寺)
A万福寺(堀部弥兵衛・不破数右衛門・矢頭右衛門七・間喜兵衛・大高源五の書状)
B高光寺(初代浅野長直夫人高光院の菩提寺)
C花岳寺(浅野家三代の菩提寺、山門は西惣門を移築)D随鴎寺(隣が遠林寺)

@船入跡(町方、ここから上流へ行くと佐用の平福)A旧赤穂上水道モニュメントB息継ぎ井戸C東惣門(姫路街道)
赤穂城下町の構造

赤穂城の南は瀬戸内海、東は千種川
赤穂城の西は武家屋敷、北は寺町
自然の要害と人口の要害を配置した赤穂城
 湖南土井瑠「上の写真は、現在の赤穂市の地図なんだ。みんなの家はどこにあるのかな」
 大野蛍子「私の家は高光寺の傍です」
 土井瑠「ということは、この地図のB高光寺のあたりだね」
 蛍子「そうです」
 木村葉月「私の家はAのあたりです」
 土井瑠「Aは赤穂浪士の1人木村岡右衛門の屋敷跡だね」
 葉月「ひょっとすると、私の先祖も赤穂浪士なんですか?」
 土井瑠「木村という名だから、かも知れないね。お父さんに聞いてみるといいね」
 湖南あこな「私の家は、Cの近くの大森眼科のあたりです。まさか私の先祖も赤穂浪士?」
 土井瑠「私は、そんな話は聞いていないから、違うね」
 あこな「それにしても、江戸時代の雰囲気が残っているなんてすごいですね」
 土井瑠「以前勉強したように、赤穂城の南は瀬戸内海、東は千種川なんだね。では西側は?」
 葉月「この地図で見ると、赤穂浪士の屋敷跡がたくさん残っているので、武家屋敷だったんですか?」
 土井瑠「そうなんだね。城の西は武家屋敷を置いて、城を防御する役目になっていたんだ」
 蛍子「私が住んでいる城の北側は何なんですか?」
 土井瑠「B高光寺の東は、浅野家の菩提寺であるC花岳寺だね。高光寺の南には@大蓮寺とA万福寺があるね。この4ケ寺は全て浅野家と関係があるお寺なんだ」
 葉月「あこなちゃんが住んでいる近くにもD隋応寺がありますよ」
 土井瑠「そうそう、城の北はお寺を置いて、これもいざという時の砦の役目を持たせていたんだよ」
 あこな「ふーん、私の家の近くに東惣門という石碑があります。これも関係があるんですか」
 土井瑠「よく気が付いたね。実は、赤穂から姫路に行くには、この惣門を通る必要があるんだよ。当然、姫路の方から赤穂に入る時もこの門を通ったんだ」
 蛍子「私も父から、花岳寺から姫路に行くには門前をそのまま東に行けばいいが、岡山に行くには南に下がってから西に行くようになっていると教えてもらったことがあります」
 土井瑠「蛍子さんのお父さんは、かなり専門的なことを知っているんだね。岡山に行く道を備前街道といって、今も古い街並みが残っているよ。とてもいい感じだから、そういう意識で
通ってごらん」
 3人「はーい」

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写真提供(加古川市の藤原一徳さん)
パラグライダーで空撮した赤穂城

空からの赤穂城に感激
先祖を思って、もう一度よく見てみます!!
 土井瑠「上の写真は、加古川の藤原さんがパラグライダーで空から写した赤穂城で、右上が現在の千種川なんだ。クリックして大きくして見るともっとよく分かるよ」
 あこな「蛍子さんの先祖の大野九郎兵衛さんが苦労した城でもあるんですね」
 蛍子「もっと大切に見てみます」
 葉月「私も同感!!」

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