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孫に伝える小説忠臣蔵

第二章
【013回】浅野内匠頭は、田村右京太夫邸で切腹

唐丸駕籠で浅野内匠頭 平河門を出る
(1)午前中は殿様
(2)午後は在任」
写真A:唐丸駕籠で運ばれる浅野内匠頭(挿絵:寺田幸さん
 今日は2011年の3月14日です。内匠頭が切腹して、310年になります。310年前の内匠頭の切腹の状況を考えることにしました
 湖南土井瑠「今日は、浅野内匠頭が切腹して310年になるんだよ」
 大野蛍子「そういえば、大石神社でも御命日祭の準備をしていました」
 湖南あこな「切腹の場所はどこなんですか?」
 土井瑠「一ノ関の殿さんで、田村右京大夫という人の家なんだ」
 木村葉月「江戸城から平河門を通ったと習ったんですが?」
 土井瑠「そうだね。平河門とは、別名不浄門と呼ばれているんだよ」
 あこな「不浄門ってどんな門なんですか」
 土井瑠「”浄”は、浄土のように使われて、”清い”という意味なんだ。”不浄”とは”清くない”という意味になるね。この場合、大手門から江戸城に入り、何らかの罪を犯した者が罰として、江戸城から出る門ということなんだ」
 葉月「ふーん。だから、上の絵のように鳥かごのような物に入れられたんですね」
 土井瑠「唐丸駕籠といって、重罪人を護送するんだ。ただ、上の絵はフィクションの産物で、事実かどうかは分からないんだよ」
 あこな「午前中はお殿さんが、午後は重罪人として、みんなが見ている中で、運ばれるなんて、さぞつらかったでしょうね」

田村邸に当分お預けが1時間後に切腹は将軍の怒り
(1)吉良上野介には養生せよの恩情ことば
(2)浅野内匠頭には即刻切腹の不公平
 土井瑠「余り取り上げられていないんだが、老中の決定は、じつは、”すぐに切腹せよ”でなく、”当分の間、田村家に預ける”という内容だったんだよ」「史料原文は、”田村右京大夫(建顕)江内匠頭儀当分御預ケ被 仰付、老中列座相模守伝達之”で、読解できるように勉強しようね」
 あこな「おじいちゃんの口癖の”何でも勉強”になるんですね」
 蛍子「どういうことなんですか」
 土井瑠「老中は、喧嘩の原因がはっきりしないので、しばらく田村家に預けて、その間に、時間を懸けて事実を明らかにしようとしていたという立場が分かるんだよ」
 葉月「その後、どうなったんですか」
 土井瑠「側用人の柳沢吉保から報告を聞いた将軍の徳川綱吉が、貴重な儀式を血で汚したとして激怒し、内匠頭には直ちに切腹を命じたんだ」「史料原文を紹介するよ。”吉良上野介江意趣有之由にて折柄と申不憚 殿中理不尽に切付之段重々不届至極に被 思召依之切腹被 仰付者也
 「吉良上野介には養生せよとねぎらいの言葉をかけたんだ」「史料原文を紹介するよ。”上野介儀御構無之間手疵養生仕様にと被 仰付之”」
 あこな「前に、おじいちゃんに教えてもらった喧嘩に対する処分とは大違いですね」
 土井瑠「そうなんだ。当時の武士の習いとして、喧嘩という罪にたして、両成敗という罰が確立していたんだ。それをあっさり破ったことで”片落ちのお裁き”という噂が広まったんだよ」
 蛍子「江戸時代は、裁判がないので、怖い所ですね」
 土井瑠「一部の学者や作家などが”江戸時代は明るく、いい時代だった”と主張しているが、将軍の独裁性を見ない偏った意見だね」
 葉月「バランスよく歴史を見ないとダメということですね」

浅野内匠頭の辞世の句と遺言
(1)辞世の句「自分の死後、私の恨みはどうなるのだろうか」
写真B:辞世の句を各浅野内匠頭(挿絵:寺田幸さん
 土井瑠「老中の決定では、”浅野内匠頭を当分の間田村家に預ける”だったね」
 3人「はい、そうです」
 あこな「何かあったんですか」
 土井瑠「そうなんだ、老中の命令が届いた1時間後の午後4時頃に、幕府の大目付・庄田下総守や目付の多門伝八郎がやって来て、”今直ぐ切腹せよ”と命じたんだ」「史料原文を紹介するよ。”内匠事所柄時節旁以不届至極成儀共故切腹被 仰付候間、此段右京江も為申聞候様ニと相模守殿(老中土屋政直)被仰候由下総守被申候”」
 蛍子「綱吉の怒りがよく分かります」


 土井瑠「そうだね。所で写真Bは何の絵か分かるかな?」
 葉月「辞世の句を書いている内匠頭だね」
 土井瑠「その句を知っているかな」
 蛍子「風さそふ 花よりも猶 我ハまた 春の名残を いかにとやせん」
 葉月「どういう意味なんですか」
 土井瑠「風が吹くと、花よりも私の命は軽い、花が散った後の春をどうすればいいのだろうか」
 あこな「それはよく言う直訳ですね。私たちに分かるように意訳するとどうなるんですか」
 土井瑠「風が吹くと花よりも軽い私の命は散ってしまう。私の命が散った後、私の思い(吉良上野介)への恨みはどのようになるのだろうか」
 蛍子「ふーん、家臣に討入して恨みを晴らしてくれて読めますね」
 土井瑠「目付の多門伝八郎の記録にしかなく、余りに上手に出来ているので、偽作という説もあるんだな」
 葉月「ロマンとして、そのまま残しておいてほしいですね」
 土井瑠「じゃー、多門伝八郎の記録はあまり深い追いせずに、ここらで、次の話に進もうか」
風に誘われて散る花も名残り惜しいだろうが、 それよりもなお春の名残が惜しい私は、いったいどうすれば良いのだろうかという、とても美しい歌だと思います。 ...

浅野内匠頭の辞世の句と遺言
(2)意味不明の遺言は、改ざんの可能性
写真C:切腹する浅野内匠頭と介錯する(挿絵:寺田幸さん
 湖南土井瑠「浅野内匠頭には、辞世の句の外に遺言があるんだよ」
 あこな「どんなんですか」
 土井瑠「”このことについては以前知らせるべきであったが、今日やむを得ないことになって知らせなかった。不思議に思うだろう”」「史料原文を紹介するよ。”此段兼て為知可申候へ共今日不得止事候故為知不申候、不審ニ可存候”」
 あこな「辞世の句と遺言の違いはどこですか?」
 土井瑠「辞世又は辞世の句とは、人が死に際して残す漢詩・和歌などの定形式の詩なんだ。遺言とは、人が死に際して残す不定形式の言葉や文章なんだよ」
 葉月「遺言の直訳も分からないんですが」
 土井瑠「”このことについては以前知らせるべきであった”については、”このこと”が不明なので、次も分からないというのが正解だね。”今日やむを得ないこと(切腹)になって知らせなかった。不思議に思うだろう”は、読んで字の通りだね」
 蛍子「どうしてこんな意味不明な遺言の残したのですか?」
 土井瑠「内匠頭は、紙と墨などを要求したが、幕府の命令だとして拒否されました。口述ならば許可すると言われ、先に紹介した遺言を述べたんだ。それを筆記した田村家の家臣が片岡源五右衛門に渡した遺言なんだ」
 あこな「じゃー。直筆でないと、幕府や田村家に不都合な部分を書き直して、手渡したということが考えられませんか?」
 蛍子・葉月「あこなちゃん、するどい!!」
 土井瑠「実際、学者や研究者も、そのことを指摘しているよ。私もそう思っている1人だ」

浅野内匠頭の切腹と磯田武大夫の介錯
(1)家を出る時は殿さん、帰る時は死骸の無念
(2)落とした首を持ち上げて、検視に披露の残酷
 湖南土井瑠「写真Cを見て、何か感ずるかな」
 蛍子「浅野内匠頭の切腹の場面ですね」
 葉月「後ろに立っている人を介錯人というんですね」
 あこな「この時の内匠頭はたしか、35歳だったと思うんですが、さぞかし残念だったなーと思います」
 土井瑠「切腹の場面だね。後ろに立っている人は、介錯人で、御徒歩目付の磯田武大夫という人なんだ」
 土井瑠「家を出る時は、家臣に見送られ、家には帰らず、死体となって泉岳寺に帰って来たんだから、無念には違いないね」


 蛍子「切腹後はどうなったんですか?」
 土井瑠「”介錯人の磯田武大夫は、打ち落とした内匠頭の首を差し上げ、検使に見せた”とあるんだよ」「史料原文を紹介するよ。”介錯御徒目付之内磯田武太夫則相仕舞首を差揚検使江見之”」
 3人「残酷ですね」
 土井瑠「そうだね。内匠頭の遺体は田村邸から運ばれ、泉岳寺に埋葬されたことは次回にしようね」
 3人「よろしくお願いします」

老中の喧嘩両成敗を将軍が片落ち裁定(第一の事件)→討ち入り(第二事件)へ

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