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1695年発行(第036号)

忠臣蔵新聞

貨幣改鋳による
幕府の莫大な利益

経過報告(10年分の年収)

五代将軍徳川綱吉 側用人柳沢吉保 新井白石

貨幣改鋳の担当者に荻原重秀を抜擢

 『常憲院殿御実紀』の元禄8年8月11日の条
 「金改鋳の事…勘定吟味役荻原彦次郎重秀これをつかさどり」

新井白石の分析

史料原文

 「重秀が議り申す所は、御料すべて四百万石、歳々に納めらるゝ所の金は凡七十六七万両余、
此内長崎の運上といふもの六万両、酒運上といふもの六千両、これら近江守申し行ひし所也、此
内夏冬御給金の料三十万両余を除く外、余る所は四十六七万両余也。しかるに去歳の国用、凡
百四十万両に及べり。此外に内裏を造りまいらせらるゝ所の料凡金七八十万両を用ひらるべし。
されば今国財の足らざる所、凡百七八十万両に余れり。(中略)只今、御蔵にある所の金、わずか
三十七万両にすぎず。(中略)前代の御時、歳ごとに其出るところ、入る所に倍増して、国財すで
につまづきしを以て、元禄八年の九月より、金銀の製を改造らる。これより此かた、歳々に収められ
し所の公利
、総計金凡五百万両、これを以ってつねにその足らざる所を補ひしに、おなじき十六年
の冬、大地震によりて傾き壊れし所々を修治せらるゝに至て、彼歳々に収められし所の公利も忽に
つきぬ。そのゝち、また国財たらざる事、もとのごとくなりぬれば、宝永三年七月、かさねて又、銀貨
を改造られし。」

出展
新井白石の『折焚く柴の記』

毎年の収支=年収76万両


@収入-毎年の年貢76万両(内長崎運上6万両、酒造運上6000両)
A支出-旗本への給金30万両
B余るところの金-47万両

昨年(1708年)の収支


@支出-140万両
A内裏再建費用-80万両
B幕府財政の不足-170万両
C幕府の御金蔵に保管-37万両

元禄8(1695)年9月から金銀を改鋳、
それによる利益(出目)は500万両

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