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1701(元禄14)年3月14日発行(第043号)

忠臣蔵新聞

老中の尋問に梶川さんが答弁
「上野さんは刀には手をかけなかった」

刃傷の現場にいた梶川さんの答弁が幕府処分に大きく影響

吉良上野介さんに切り付けた浅野内匠頭さんの小さ刀(大石神社蔵)
江戸城内の図

「上野介さんは刀には手をかけなかった」と答える

@老中の土屋相模守さんが梶川さんに「上野介の傷の程度はどれくらいか」 と聞きますと、梶川さんは「二三カ
 所ではあるが、深手では ない」と答えました。
A老中の阿部豊後守さんが「上野介さんはその時刀に手をかけたか、又は刀を抜くことはあったか」と尋ねます
 と、梶川さんは「刀には手をかけなかった」と答えました。
B相手が切りかかっても、堪忍した時は「喧嘩両成敗」の適用から除外されるというのが当時の掟でありました。

史料の原文

 時計の間の御次へ参り候ヘハ、豊後殿(老中阿部正武)・相模殿(土屋政直)・佐渡殿(小笠原長重)・丹波殿
(丹後守稲葉正通)・大和殿(若年寄井上正岑)・対馬殿(稲垣重富)・伯耆殿(本多正永)其外大目付衆も御列
座にて先刻の一件御尋有之候付、初中終之趣逐一に申上候、其後相模殿御申ニハ、上野介手疵の義ハ如何
程の事に候哉
と御尋故二三ケ所にて可有之、尤深手にてハ有之間敷旨申上候、豊後殿御申ニハ、上野介事
其節刀に手をかけ或ハ抜合せなと致し候哉
と被仰候、拙者見及候へ共帯刀に手ハ懸不申候段申上候(後略)
出展
「梶川氏日記」(赤穂市発行『忠臣蔵第三巻』)

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