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元禄14年3月14日発行夕刊(第045号)

忠臣蔵新聞

幕府の侍医栗崎道有さんに
聞きました

幕府が治療方針を変更した
時間と理由

栗崎さんが上野介さんを治療(角石氏模写)

内匠頭さんは正気に戻っても乱心していないと主張
幕府もそれを認める


時間的には、多門さんが内匠頭さんの尋問を終え、老中に報告した後か


 刃傷事件の最初のうち、老中は「浅野内匠頭さんが乱心して、吉良上野介さんに切りつけた」と
解釈し、公傷扱いで上野介さんを治療しするように私に申しました。
 ところが、内匠頭さんを取り調べた結果、内匠頭さんは「乱心ではない。どうしても堪忍できない
ことがあったので、御座敷をけがすような無調法なことをしてしまいました」と主張したと、聞きまし
た。
 そこで幕府は、「内匠頭さんは、乱気でなかった」と結論づけた様です。
 他方、上野介さんに「内匠頭さんから意旨を受ける覚はあるか」と尋問すると、上野介さんは「そ
のような覚はない」と答えたと、聞きました。
 そこで幕府は「乱気による処置」、すなわち公傷による治療をうち切り私にその旨を伝えてきまし
た。

刃傷事件の4時間後(午後3時)、
上野介さんは帰宅する


史料原文

 手負初ノ内ハ御老中方ニてハ内匠頭乱心ニて吉良ヲ切ルノ沙汰依之療治之儀吉良ハ 公
家衆へ何角指行ノ役人ナレハ血モ不止元気モヨハク見ル、然ハ道有ヲ呼上ケ療治被 仰付之
沙汰ト相聞ヘ、然所ニ其中ケ場ヘナリテ内匠口上之趣ヲ御聞被成候所ニ、乱心ニアラス即座ニ
何トモカンニンノ不成仕合故 御座席ヲ穢カシ無調法ノ段可申上様無之
ノ訳ケニテ中々乱気ニ
見ヘス
、扨吉良へ御尋有之ハ兼而意旨覚有之カトノ事、吉良ハ曽而意旨覚無之トノ事ナリ、
之テ乱気ノ沙汰ニ不及ニ付
」(中略)
 先刻ハ公儀より我等へ吉良療治被仰付之沙汰ニ有之処ニ、只今ハ療治被仰付之沙汰ニハ不
之由、併上野介并ニ同役衆幸道有罷出元気ヲモツヨメ血モ止メ置タル事ナレハ、病人ノ願同
役中道有外治ニモ被致度トノ事ニ候ハゝ其段御老中へも可申上候
 其刻限早八半過七前ニ…吉良ノ本宅へ罷帰ル(後略)

「乱心でない場合は意趣・遺恨で私傷の規定」
幕府は乱心でないとして治療から手を引く。
つまり幕府は喧嘩と認定しました。


幕府は喧嘩と認定しながら、
何故両成敗の処分をしなかったのでしょうか?
多門伝八郎さんらに詳細を聞きましょう!!

出典
「栗崎道有記録」(赤穂市発行『忠臣蔵第三巻』)
講談社『忠臣蔵とその時代』

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