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元禄14年3月14日発行夕刊(第053号)

忠臣蔵新聞

多門伝八郎さんが二度も直訴
それを二度も取り次いだ若年寄

その背景に柳沢派と反柳沢派の対立?

柳沢吉保さんの書 六義園(柳沢吉保さんの別荘)

若年寄は伝八郎さんの申し分に理解を示しながらも、
「柳沢殿がすでに決着をしたことである」と申し渡す

史料原文

 若年寄稲垣対馬守殿・加藤越中守殿被仰渡候ニは、只今御自分方被申立候処尤之至ニ存候
へ共、最早松平美濃守殿江被聞届御決着有之候上は右之通被仰渡候と可心得被申渡候(可相
心得被仰渡)

「将軍の決定なら仕方がないが、
柳沢殿の一存なら」と伝八郎さんは再度直訴

 伝八郎さんのみはそれでも抗議をする。
 「柳沢殿一存の決着ならば、もう一度お上にお伝え下さい。余りに片落ちの処分なので、外様大
名にも恥ずかしい。もはやお上に申し上げての結論ならば是非もないが…」
 その考えと気迫に押された若年寄の稲垣さんと加藤さんは柳沢さんにもう一度その旨を伝えまし
た。
史料原文
 伝八郎強而壱人申立候旨は美濃守殿御一存之御決着ニ御坐候ハヽ猶又被仰上可被下候、
り片落之御仕置、外様之大名共存候処もはつかしく存候
、今一応被仰上可被下候、夫共最早言
上ニ相成上之 思召ニも有之候ハヽ是非も無之仕合、(松平)美濃守(柳沢吉保)殿御一存之御
聞届ニ御坐候ハヽ私達而申上候
段被仰立可被下候と申候故、対馬守殿・越中守殿猶又(再応)
美濃守殿江伝八郎ケ様申立候と被申立候処

  柳沢さんは「執政たる自分が承認したことである」
    と怒って、伝八郎さんを謹慎処分に

 柳沢さんは怒って、「お上には言上していないが、側用人たる自分が決定したことに二度も抗議
をすることは許されない。伝八郎を謹慎にせよ」と命令しました。

史料原文

 (松平)美濃守(柳沢吉保)殿立腹被致、上江言上は無之候共執政之者聞届之義ヲ再応申立候
義難心得候
伝八郎差扣之格ニ部屋に可扣旨井上大和守殿被仰渡候
出典
「多門伝八郎覚書」(赤穂市発行『忠臣蔵第三巻』)
凡例
文字−原史料を抹消している箇所

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