1701(元禄14)年3月14日発行(第058号)
切腹の場所となった田村邸(□で囲った部分) | ●が浅野内匠頭さんの切腹の場所 |
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右京太夫さんは反論する 正使庄田さんの許可を得ていると |
史料原文 |
左(右)京太夫も立腹之様子ニ而、大目付衆江申立絵図ヲ以入御見分可然趣ニ御達し請候上御手前様御趣意之趣難心得候(略) |
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正使庄田さんも激怒 「私が大検使だ、任せろ」と |
そこで今度は庄田さんに「検分したところとんでもないことであった。だから『さっき全て手抜きはござらぬか』と申したのに、『手抜きはない』とのお答えであった。私たちが差し出がましいことを言うというのでそのままにしておいたが、果たしてこのような不始末になった。このことは後にあなたとは別に報告するつもりである」と申し入れた。 それに対して庄田んさんは非常に立腹して、「すきなようにしなされ。大検使のことは私に任せよ。その後別に報告したければそれもよかろう」と言い放った。 |
史料原文 |
夫より下総守方ニ向逐一見分致候処以之外相違ニ御坐候、夫故先刻より御 |
出典 「多門伝八郎覚書」(赤穂市発行『忠臣蔵第三巻』) 「忠臣蔵」ワイズ出版(『松田完一コレクション』) 凡例 |