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1701(元禄14)年3月14日発行(第059号)

忠臣蔵新聞

正使と副使の口論に
田村家から重要証言

田村家では座敷の準備
でも大目付の指示で白砂に変更

が内匠頭さんが切腹した場所 多門伝八郎さんの墓

再度田村家の長岡さんに聞きました
庭にムシロ、その上に畳み、その上に毛氈を敷いたと

 切腹の場所は多門さんが言われるように、庭に莚を広く敷き、その上に畳を敷き、そこに毛氈
をおきましたと証言しました。

史料原文

(略)一 切腹場所出会之間庭ニ筵を広く敷其上畳を敷毛氈構置申候(略)
出典
「一関藩家中長岡七郎兵衛記録」(赤穂市発行『忠臣蔵第三巻』)

田村家の北郷さんも重要な発言
田村家では座敷の準備
でも大目付の指示で白砂に変更と

 浅野さんの切腹の場所ははじめはやはり座敷内であったが、そうなると幕府の上使と浅野さん
とが同じ間となり、よくない。そこで間を隔てて段違いにするのがよかろうということになり、北郷さ
んの指図で早速段違いにとりかかろうとしていた。
 そこへ大目付の庄田さんが来られて「さっき老中土屋さんからこの件についての指図を得てい
る。白砂でするようにと言われているので、その通りにするように」と言われた。
 「そこで指図通りにしました」と北郷さんは証言する。

史料原文

(略)一 内匠殿切腹之場所最初ハやはり御坐敷之内、左候ハヽ 御上使ト一間一席ハ不可然
候間、間を隔段違ニ可然(略)杢助指図ニ而早速段違出候積ニ成候、庄田様御出場所御吟味
之処ニ庄田様御申ニ先刻相模守殿(老中土屋政直)江此義は得御指図候白砂ニ而と被仰
聞候間、其通りニ被成候様庄田様御申、其通ニ御用意之事(略)
出典
「一関藩家中北郷杢助手控」(赤穂市発行『忠臣蔵第三巻』)

世間一般の常識は座敷での切腹
目付が考え、大名が考えた座敷での切腹が常識
それを覆させた幕府の思惑は何か?
誰の指示か?

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