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1701(元禄14)年3月14日発行(第060号)

忠臣蔵新聞

正使が内匠頭さんに
切腹を通達

「老人故おぼつかない」と聞き
内匠頭さん、にっこと笑う

浅野内匠頭さん終焉の地(右が記念碑、で囲った部分)
現地リポート(田村家の長岡さんの報告)
切腹を言われた内匠頭さん
「ありがたいことです」と
 「あなたは恨みがあるからといって、吉良上野介さんに理不尽にも切り付け、しかも殿中をはばからず、時を考えず重ね重ねの不届である。よって切腹を命ずる」 内匠頭さんはそれをうけて、「今日は不調法なことをしました。どのような命令が出ても覚悟していましたのに、切腹を命じられありがとう存じます」と答えた。
史料原文
(略)一 上意之趣庄田下総守申渡其方儀意趣有之由ニて吉良上野介を理不尽ニ切付殿中をも不憚時節柄と申重畳不届至極候、仍而切腹被 仰付候

 内匠御請
 今日不調法成仕方如何様ニも可被 仰付儀を切腹と被 仰付難有奉存候
(略)
出典
「一関藩家来長岡七郎兵衛記録」(赤穂市発行『忠臣蔵第三巻』)

現地リポート(目付多門さんの報告)
内匠頭さんはにっこり
上野介さんの容体が「おぼつかない」と聞き
 内匠頭さんが「上野介はどうなったか知りたい」と言うので、庄田さんは「傷は手当を受け自宅に帰った」と冷たく答えた。
 内匠頭さんがなおも「私が切り付けた疵は二カ所と覚えている。どのような具合であったか」と尋ねるので、多門さんが「おしゃる通り二カ所であった。浅手ではあるが、相手は老人の事で殊に急所でもあり、痛みも強く養生の程はおぼつかないと聞いている」と話すと、内匠頭さんと涙を流さんばかりに、にっことお笑いになった。 
史料原文
 (略)上野介は如何相成候と被承候処、下総守ニ被申候ニは手疵も手当被 仰付候而退出被致候と申候故、(略)先刻私切付候疵二ケ所ニ覚申候如何ニ御見分被致候哉と之御尋故、伝八郎・権右衛門両人口を揃へ被申侯通り二ケ所有之、乍去浅手ニ有之候得共老人之事殊ニ急(処)故痛強くつかれ被申候間養生之程は如何候哉無覚束被申聞候へは内匠頭落涙之体ニ而につこと笑ひ被申候(略)
出典
「多門伝八郎覚書」(赤穂市発行『忠臣蔵第三巻』)
凡例
−原史料を抹消している箇所

内匠頭さんをめぐる冷たさと温かさ
どっちがどっち?
老中の土屋さん、大目付の庄田さんの冷たさ
将軍の心情を考えると当然?
多門さんらの温かさ
世間の常識?

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