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1701(元禄14)年3月14日発行(第061号)

忠臣蔵新聞

多門さんが語る
主従の今生の別れ


源五右衛門さんの花押と署名 源五右衛門さん(赤穂大石神社蔵)

源五右衛門さんの主従の暇乞い
多門さんが許す

 正使の庄田さんと副使の多門さんの間で大口論が始まろうとしていたとき、田村右京太夫
さんがやって来て「只今内匠頭さんの家来である片岡源五右衛門がやってきて、私の主人
が切腹と聞きましたので、主従の暇乞いがしたい。一目主人に会いたいと言ってきた。どうい
たしましょうか」という申し出があった。
 しかし庄田さんは一向に答えるでもなく「それくらいのことは大検使たる自分に報告すること
もあるまい」という感じで、一言も話さなかった。
 そこで多門さんが右京太夫さんに「会わせていいではないか。一目今生の慈悲であるから、
私の一存で承知しよう」と答え、庄田さんに「如何ですか?」と聞くと、庄田さんは「そなたの考
え次第」と返事した。

史料原文(1)

 (略)大取合共可相成所へ左(右)京大夫被罷出、只今浅野内匠頭家来片岡源五右衛門
申者罷出、主人義於手前切腹被仰付候段承り主従之暇乞ニ候故一眼主人を見申度段相願
(略)、先御達申候由被申聞候、然処下総守一向無言ニ而夫しきの事大検使江被申達候
程之義ニも有之間敷と被申候而不相成共何共一言不被申、伝八郎左(右)京太夫江申聞候
ニは不苦候(略)、一眼位ハ生上慈悲故拙者承届候、如何と下総守江申聞候処思召次第と
被申候
(略)

多門さん本音を報道陣にもらす
「実は辞職を覚悟であった」

 何事についても正使の庄田さんと副使の多門さんとは仲が悪かった。
 だから多門さんが明日は辞職を覚悟でして何事についても口出しをするので、庄田さんは
「けしからん」と思っているようだった。

史料原文(2)

 何事も大検使・副使と不和ニ有之、然処伝八郎(略)明日は退役と覚悟いたし不依何事
使より申出候
故下総守以之外之体ニ相見申候(略)
出典
史料(1)(2)とも「多門伝八郎覚書」(赤穂市発行『忠臣蔵第三巻』)
凡例
−原史料を抹消している箇所

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