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1701(元禄14)年3月14日発行(第065号)

忠臣蔵新聞

内匠頭さんの死骸引き取り

死骸や遺品を大学さんの家来が引き取り

浅野内匠頭さんの墓(泉岳寺) 泉岳寺

死骸や遺品を引き取ったは
内匠頭さんの弟大学さんの家臣

 「内匠頭さんの死骸を親類へ引き取る様に連絡することについて老中の許可を得ている」
と庄田さんが言った。
 そこで内匠頭さんについては弟の大学さんに早速手紙を出した。
 そこで大学さんの家来の建部さんと糟谷さん、それに内匠頭さの近習であった片岡源五右
衛門さんと磯貝十郎左衛門さんらが受け取りに来ました。時刻は午後10時でした。
 私たちは死骸と小さ刀、大紋・鼻紙袋・烏帽子を渡しました。

史料原文

 一 右内匠死骸近キ親類江引取候様ニと可申遺旨御老中江も得御内意候由、庄田下総守
殿演説ニ付而内匠儀浅野大学(長広)方江早速以手紙申遣候処奉得其意由ニ而家来(留守
居)建部喜六・糟谷勘左衛門両人を以請取度由申越候、右両人江家来共出会対談死骸并小
サ刀、大紋・鼻紙袋・烏帽子為渡之候
、以上
出典
「一関藩家来長岡七郎兵衛記録」(赤穂市発行『忠臣蔵第三巻』)

田村さんが浅野長広さんに出した
死骸引き取りの手紙原文

     口上書の写し
 「浅野内匠頭さんはさっき私宅において大目付の庄田さんや目付の多門さんらが来られ、
切腹を命じられました。
 『死骸は親類へ遠慮なく引き取るように』と大目付ら三人が言われました。
 もちろん老中にも連絡しているということであるから、好きなように早く引き取りなさい」

史料原文

    御口上書之写
 浅野内匠只今於私宅ニ庄田下総守・大久保権左衛門・多門伝八郎被参切腹被 仰付候、
死骸ハ近キ親類中へ無遠慮引取候様ニ可申遺由右三人被申候、尤御老中へも被申上候由
ニ候間御勝手次第早々御引取可被成候、以上
  三月十四日         田村右京大夫
   浅野大学様

「一関藩家中記録『御用留書抜』」(赤穂市発行『忠臣蔵第三巻』)

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