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1701(元禄14)年3月15日発行(第069号)

忠臣蔵新聞

浅野本家が抗議を申し込む

庭にての切腹はどなたの指図であるか
五万石の城主としてのお咎めなら、取り扱いもそうあるべきだ

浅野本家広島城

「内匠頭という官名での切腹には、
それなりの取り扱いが必要
  庭前切腹は、どなたの指図か聞きたい」と

 3月15日昼頃、浅野本家が伊達本家とその分家の田村家に使者を出して次のような申
し入れをした。
 「内匠頭が不届きなのは申すに及ばない。切腹を命じられたことは恐れ入ったことではあ
るが、田村邸での庭前の切腹については何方よりの指図であるか伺いたい。不届きなのは
申すに及ばないが、内匠頭という官名での切腹には、5万石の城主としての処分であるの
でそのような取り扱いであるべきである」。

史料原文

 三月十五日昼時ニは松平安芸守(本家浅野綱長)より松平陸奥守(本家伊達綱村)并田
村左(右)京太夫(建顕)方へ使者ヲ以申入候(略)、内匠頭不届は不及申切腹被 仰付候
儀恐入候得共、左(右)京太夫殿於庭前切腹之義は何方より御差図ニ而御坐候哉承知
(致)度候、不届之儀は不及申候得共内匠頭と申官名ニ而御仕置之上は五万石城主之
格ニ而御咎
には御座候間、其取扱も可有之哉ニ存候と申遣候由後ニ相知申(略)
出典
「多聞伝八郎覚書」(赤穂市発行『忠臣蔵第三巻』)
凡例
−原史料を抹消している箇所

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