文政元(1818)年発行(第071号)
「浅野本家が伊達本家に抗議」
に新事実(2/3)
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和睦の試み、再度失敗(1713年)【概略】 正徳3(1713)年1月25日、それでもなお林信篤さんは浅野家に対して再び説得を開始する。 それに対し浅野吉長さん(父が綱長さん)さんは「代々不通であるのに、私の代に和睦をしては、 先祖への不孝になる」(『先祖江之不孝尓も可相成哉』)と答えました。しかし再三の信篤さんの 説得に浅野家は和睦に応ずる気持ちになっていきました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2月29日、稲葉正往さんは信篤さんに「伊達家からは政宗の絶交状の写しを添えて『先祖の意 志を無にすることになる』と返答してきた」と伝えました。 信篤さんが「浅野家は応じてもいいと言っているのに…」とため息を付いたので、稲葉さんは再 度伊達家を説得することにしました。 それに対して伊達家からは稲葉さんに「将軍が替わったと言っても我々の考えは変わっていな い」(『手前之世ハ互尓替り不申候』)という手紙を送りました。 |