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文政元(1818)年発行(第072号)

忠臣蔵新聞

「浅野本家が伊達本家に抗議」
に新事実(3/3)

文政元(1818)年現在も不通

浅野長政さん 伊達政宗さん

1818年現在も不通


【概略】
 浅野家の『済美録』(1818年成立)には「今に至まで伊達家とは長く不通である」(『今に至るまで
彼御家とハ永く御不通の御事なれハ
』)とあり、1818年現在も両家は不通であることが分かります。

庭前切腹抗議の背景


【検証】
 記者はこの史料を検討する機会に接しました。その結果、1596年に不通となったことは確認でき
ました。次に「政宗の絶交状」とか「先祖(長政)への不孝」という表現はありますが、1701年の庭前
での切腹の話が出てきていません。もしこの確執が事実で有れば、当然この重要な場面が引用さ
れるだろうと考えました。
 多門伝八郎さんは、浅野本家ならたぶんこうしただろう、あるいは本家ならこうして欲しかったという
想像・期待が「庭前の切腹に対する抗議」というフィクションを誕生させたのではないでしょうか。
 

この記事が出来るまでに
次の様な経過がありました。


@東京の佐藤誠さんから「『多聞伝八郎覚書』にある浅野本家が伊達家に抗議
 したという記事は全くあり得ません。というのは浅野本家と伊達家は当時「不
 通」といって音信・付き合いを拒否したほど仲が悪かったのです」と指摘され、
 同時に貴重な資料も送付して頂きました。有り難うございました。
A【概略】は送付された資料を参考に作者がまとめました。詳細は松方冬子『浅
 野家と伊達家の和睦の試みと失敗』 (日本歴史1999年10月号)をご覧下さ
 い。
B【検証】は作者がまとめたものです。
C「インターネット時代と忠臣蔵」というのが私のテーマですので、このような形
 で話が発展していくことはとても有り難いことです。今後ともよろしくお願いし
 ます。

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