4月5日(東京本社社会部)
江戸で同志集めに失敗した安兵衛さんら
仲間を募集に赤穂に出向く
堀部安兵衛さんらは「吉良上野介さんが死んだので、内匠頭さんは切腹させられたと思っていた。ところが
上野介さんは生きていた。そのまましておき難く、家中の面々に相談したが、誰も取り合わない。我々三人で
ともかく踏み込むかと決めたが、上杉殿父子が代わる代わる吉良邸に出かけているので、本望を達すること
はできません。そこで赤穂へ行って、家中が離散しない内にこの事を相談しよう」と思って、本日江戸を発っ
て赤穂へ向かいました。
安兵衛さんらも喧嘩両成敗による解決を願っていることがわかります。
史料原文
『上杉殿父子力ハルヽヽヽ上野介宅へ被相詰候由、左候ハヽ本望難達』
4月14日(赤穂支局発)
赤穂退去の家臣
花岳寺などに田地を寄進
赤穂藩家臣が赤穂を退去する際、浅野家代々の永代供養のために集めた寄付が銀19貫296匁2分にな
りました。皆で相談して、そのお金で田地を買い、花岳寺・大蓮寺・高光寺に寄進しました。 |