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元禄14(1701)年5月21日発行(第106号)

忠臣蔵新聞

内蔵助さんは一族の浅野長恒さんに
城明け渡しとその苦心を報告

長友 赤穂藩主
浅野長直 長賢 加東領主
長恒 若狭野領主
若狭野浅野家系図(長恒さんは伯父)
長恒さんの菩提寺(観音寺)

5月21日(赤穂支局発)

「大学さんの安否が不明の段階で
家中の者を納得させるのに苦労した」

 内蔵助さん以下33人は赤穂での居残り業務を一段落させたので、城明け渡しの大体
の模様を、江戸にいる一族の浅野美濃守長恒さん(内匠頭さんの叔父。若狭野浅野家)
に報告しました。
 「この度赤穂城を引き渡すについては、以前浅野長澄さん(三次藩主)が使者に書状
をことづけられました。
 本家や戸田氏定さんよりも使者が派遣されました。
 少しづつ命じられた内容を家中の者に言い含め、支障なく4月19日に引き渡しも済み
家中の者も退散いたしました。
 しかし大学さんの行く末を聞かずに離散することについては、家中の者も安心できな
い様子で、かわいそうに思います。
 大学さんの閉門も限りがあり、お許しが出ても面目もあり、『人前の御交も御心能く、御
奉公成られ侯様に仕り度く、家中一同に願い奉り侯事に御座侯』。
 目付衆が赤穂に来られて城内見分された時、以上のようなことを大体言ったところ、
『程無く御下向の上、仰せ上げらるの旨御挨拶御座候』と返事されました。
参考資料
「大石内蔵助書状」(赤穂市発行『忠臣蔵第三巻』)

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