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元禄14(1701)年6月18日発行(第108a号)

忠臣蔵新聞

元赤穂藩士の開城後の居所判明
京都21人、江戸20人、赤穂19人、
加東郡14人、伏見10人など合計97人

赤穂(19人)
間 喜兵衛 間 新六 間 十次郎 岡島八十右衛門 梶半左衛門
岡野金右衛門 榎戸新助 大塚藤兵衛 前野新蔵 茅野和助
各務八右衛門 小瀬十左衛門 土田三郎右衛門 佐藤伊右衛門 渡遵半右衛門
鈴木重八 奥野為助 井口半歳 木村孫右衛門  

加東郡(14人)
吉田忠左衛門 吉田澤右衛門 寺坂吉右衛門 渡遠角兵衛 渡遠佐野右衛門
高谷儀左衛門 河村太郎右衛門 間瀬久太夫 多芸太郎左衛門 木村岡右衛門
間瀬孫九郎 高久長右衛門 上嶋弥助 山城金兵衛

大坂(7人)
原 惣右衛門 原 兵太夫 千馬三郎兵衛 中村清右衛門 中田藤内
矢頭右衛門七 嶺 谷左衛門

奈良(3人)
大石孫四郎 大石瀬左衛門 幸田与三左衛門

京都(21人)
小山源五左衛門 河村伝兵衛 潮田又之丞 大高源五 小野寺十内
小野寺幸右衛門 杉浦順右衛門 早水藤左衛門 平野半平 灰方藤兵衛
貝賀弥左衛門 近藤新五 三輪喜兵衛 三輪弥九郎 井口忠兵衛
近松勘六 小幡弥右衛門 佐々小左衛門 武林唯七 進藤源四郎
小山弥六

伏見(10人)
岡本次左衛門 岡本喜八郎 糟屋勘左衛門 糟屋五左衛門 田中序右衛門
近松貞六 菅谷半之丞 田中権右衛門 田中代右衛門 山羽理左衛門

山科(3人)
大石内蔵助 大石主税 三村次郎左衛門

江戸(20人)
冨森助右衛門 赤埴源蔵 矢田五郎右衛門 堀部弥兵衛 堀部安兵衛
松本新五左衛門 片岡源五右衛門 田中貞四郎 磯貝十郎左衛門 杉野十平次
奥田孫太夫 奥田小四郎 倉橋伝助 前原伊助 勝田新左衛門
中村勘助 村松喜兵衛 村松三太夫 神崎与五郎 横川勘平
合計(97人)
(『堀部弥兵衛金丸私記』に考証を加えて作成。赤字は討ち入り参加者)
6月18日(東京本社発)
開城後、本社の調査で、元赤穂藩士の居所判明
総勢97人
 本社を結集して、元赤穂藩士の開城後の足取りを調査いたしました。
 その結果は、上記の表の通りです。
参考資料
『忠臣蔵第三巻』(赤穂市発行)
「忠臣蔵のことが面白いほどわかる本」(山本博文)

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