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元禄14(1701)年6月12日発行(第109号)

忠臣蔵新聞

赤穂の内蔵助さん、江戸の安兵衛さん
考えに大きな隔たり

内蔵助さんが描いた馬 内蔵助さんの仮居跡(赤穂市尾崎)
6月12日(赤穂支局発)

大勢で下向するのはよくない。
自分は病気で下向できない、上洛する必要もない


 記者は再び内蔵助さんが仮居している尾崎村を訪ねました。
 内蔵助さんは安兵衛さんからの手紙が来ていることを認めて、次のように話してくれました。
 「この時節大勢で下向するのはよくない。私も早々に下向したいところではあるが、5月11日よりより左の腕に腫れ物ができて、それもかなわないと返事を書きました。」
 次いで「安兵衛殿は焦っており、それならば上洛すると言うかもしれないので、その必要がないとも言ってやった」と、何か深く感ずる口調でした。
 内蔵助さんは遠く江戸から離れていて冷静に幕府が約束したことを実行しようとしています。
 安兵衛さんは上野介さんを眼前にしてそんな悠長なことは言っておれないという感じです。
特に安兵衛さんは主君内匠頭さんのお側にいながら大事を未然に防ぐことが出来なかったことの強く責任を感じているようです。
史料

『先月十一日ヨリ左ノ腕ニ疔腫(はれもの)出来候』… 
   六月十二日      原惣右衛門判
                大石内蔵助判
    高田郡兵衛様     
    堀部安兵衛様
    奥田兵左衛門様」
と書き、追って書きで次のようにも書いている。
 『御三人ノ内御一人』が上洛すると聞いているが、『此段必御無用』である」と。
参考資料
『忠臣蔵第三巻』(赤穂市発行)

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