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元禄14(1701)年6月18日発行(第110号)

忠臣蔵新聞

安兵衛さんは内蔵助さんの叔父に
討入りの本音をもらす

内蔵助さんらとは話が合わないと非難
甘さが見える安兵衛さん

堀部安兵衛さん愛用の刀

石束毎公 りく
池田由成 クマ 良金 (主税)
━━━━ 良雄 くう
良昭 専貞 吉千代
小山孫六 源右衛門 良房
大石良欽 小山
源五右衛門
覚運
覚運 (大西坊)
(近藤源八室)
大石内蔵助系図

6月18日(東京本社発)


 記者は新しい動きがあったというので、再び安兵衛さん宅を訪問しました。安兵衛さんは護持院の僧隆光さんを通じて浅野家再興の動きをしている内蔵助さんの真意を知り、心安く付き合っていた小山源五右衛門(内蔵助さんの叔父)に手紙を出しましたことは認めました。そしてその内容を語ってくれました。

安井さんに裏切られ、内蔵助さんに裏切られ、
安兵衛さんに同調する者4〜5人

 「私たちも同志を募っているが、4〜5人しか集まらない。そこで同志をもっと増やす必要がある」
 「しかし、赤穂の内蔵助さんや江戸の安井さんらは『大学さんの安否を見届けたい』と亡君のことも忘れて世渡りをしている。私たちは「恥開(ハチヒラ)キヨリ外ハ無之候」と思っています。」

次に内蔵助さんの叔父さんに
同志20人を依頼
甘さの見える安兵衛さん

 「内蔵助さんに下向の意志がないので、赤穂の同志に下向の指図は望めません。
 内蔵助さんの心に叶わぬ者であっても勇気ある者と相談して欲しい。何と言っても『小勢ニテは本望』は達することが出来ません。私たちの気持ちはただ『亡君ノ憤ヲモ休申度ノミ存念ニ御坐候』(亡君の憤りをお休みさせたいだけです)」
 「大勢が一度に下向しては目立ってしまうので、相談して少しずつ下向して欲しい。20人づつで下向されるのが安心と思います。」   
参考資料
『忠臣蔵第三巻』(赤穂市発行)

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